Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

マリア様は「決して心配する事はない。希望を失ってはいけない。十字架のいけにえに留まろう」と仰って下さるに違いありません。

2021年03月12日 | お説教・霊的講話
2021年3月6日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(修道院にて)

聖父と聖子と聖霊との御名によりてアーメン。

今日は、初土曜日に多くの方々がミサに参加して下さって、とても嬉しく思います。マリア様が皆さんの愛を見て、とてもお喜びになっていると確信しています。

このミサが終わりましたら、マリア様の御心を称えて、御聖体降福式もいつものように行ないましょう。

今日福音では、イエズス様が十字架の上で御説教をします。

最後の遺言を、最後の残る財産を私たちに伝えようと、遺産として残そうとします。

「見よ、汝の母ここにあり」と。



聖ヨハネを通して、私たちにマリア様を下さいました。私たちの母として。イエズス様が下さったのですから、私たちはマリア様を本当にお母さんとして受け取らなければなりません。

マリア様も、イエズス様の命令に従います。
「汝の子、ここにあり」と。

私たちの事を、「これからは、本当の子供のように愛しなさい」と、イエズス様はマリア様にお願いします。

マリア様はイエズス様を愛すると同じ愛を以って、私たちを愛されようとします。例え不出来な子供であっても、マリア様は私たちは全力を尽くして愛して、私たちにおいてイエズス様を形造ろうとされます。

聖ヨハネを見て下さい。使徒たちが裏切って、ユダが、イエズス様からあれだけの愛を受けて、そして責任も与えられて、司教となった、そして最後の晩餐にも与ったそのユダが、イエズス様をお金の為に裏切ります。愛のしるしの接吻を以って裏切ります。そしてローマ当局に身柄を渡してしまいます。それを見て弟子たちも、あれだけ一緒にいた弟子たちも、皆逃亡します。ヨハネも逃亡しました。

しかし、おそらく使徒ヨハネは、「もしかしたら、マリア様の身に危険が及ぶかもしれない。イエズス様のお母様だ」と、「もしかしたら」と思って、マリア様に「危ない」という事を知らせに来たのかもしれません。

マリア様はそのヨハネの話を聞いて、使徒たちが皆逃げてしまった、イエズス様はたった一人だ、これからもう逮捕されてしまった、という事に、どれほど心を痛めた事でしょうか。

しかしマリア様の汚れなき御心はすぐに、イエズス様の元に行く事を決心します。ヨハネも、マリア様を見て勇気を得ます。



マリア様がいれば、どんな事があっても、何も危害が行きませんでした。たとえイエズス様の弟子だという事が分かっていても、どんな事もありませんでした。

使徒聖ヨハネは、マリア様のおかげで、十字架の元に佇む事ができました。イエズス様の元に戻る事ができました。



今現代、カトリック教会でも、イエズス様の超自然の教えを離れて、それ以外の事を教えています。残念ながらイエズス様を暗黙の内に否定しています。

「イエズス様だけが本物の救い主だ」という事は、あたかも言ってはいけない事であるかのように、自分で検閲をしています。そうでなくて、イエズス様を知らないともとれる、カトリック教会の過去を否定するような事さえも言う、司祭や司教様もいます。

この背教の時に、私たちも、マリア様の所に参りましょう。

今日、皆さんがこうやって汚れなき御心の元に来られたというのを御覧になって、マリア様は皆さんに、聖ヨハネのように、「さぁ、決して心配する事はない。希望を失ってはいけない。私たちはイエズス様の共に留まろう」と、「聖伝のミサに留まろう。十字架のいけにえに留まろう」と仰って下さるに違いありません。

マリア様の元に、心から馳せ寄る事に致しましょう。

「汝の母、ここにあり。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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