Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

韓国でのミッション

2009年10月26日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでしょうか?私たちは、韓国のソウルで昨日の王たるキリストの祝日に、聖ピオ十世会アジア管区長のクチュール神父様を迎えて祝日を祝いました。

 先週の金曜日には、管区長は新しい司祭館の祝別式を執行しました。

 主日にはミサ聖祭の直後に聖体行列を執行しました。その後「簡単な軽食」(つもりが御馳走となった)をとった後、クチュール神父様の講話がありました。最後に王たるキリストの第二晩歌をグレゴリオ聖歌で歌って祝日を終えました。

 本日は、私は初めて韓国の高速鉄道KTXに乗って、クチュール管区長と韓国を移動しました。列車はフランスのそのままでした。私たちは水曜日まで韓国滞在を延長します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

カトリック的文明社会(3 )

2009年10月26日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 デカルトは、人間を二つの要素に分断しました。精神と延長(=物質)です。

 しかし、人間は一つであり、人間は私たちの主イエズス・キリストの到来以来、四つの観点から考察されます。

 まず、人間が存在しているという観点。

 次に、人間が快楽を要求する感覚を持った動物であるという観点。

 更に、人間が理性を持ち人間であるということ、徳と善とを追求するという観点。

 最後に、人間が超自然の天主の聖寵によって、天主と共に永遠の天主の命のまどいに参与するように招かれているという観点。

 人間は、現実世界に存在していますが、それは動物として感覚するためです。人間は動物のように感覚していますが、それは人間として理性を働かせるためです。人間は天使ではないので、知性を働かせるために感覚を通す必要があるからです。人間は理性を働かせますが、それは究極の真理・善である天主を知り愛するためです。だから、聖トマスは「全ての人間の機能は真理の観想のためにあると思われる」と言ったのです。

 人間が作り上げる社会も、この観点から考察されます。

 人間社会が存在しているという観点。これに人間の機械的労働、手仕事、職人が対応するでしょう。

 次に、人間社会が快楽を追求するという観点。快楽や利益や物質の蓄積のために動き回ることから、資本や経済や投資活動、商人や財界がこれに対応するでしょう。

 更に、人間社会が善徳を追求するという観点。共通善や皆のための福利を追求するということから、政治や統治、政治家や王、貴族らがこれに対応するでしょう。

 最後に、人間社会が天主を追求するという観点。これは、キリストの代理者であるローマの教皇を目に見える頭とするカトリック教会、イエズス・キリストの司祭がこれに対応するでしょう。

 カトリック的文明社会は、全ての社会機能をキリストの与える超自然の真理と善を受けるために秩序付けられ、そのために存在するのです。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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