平成から令和に一気に変わったように、季節もまた一気に変わった。昨日仕舞った扇風機の後に、今晩は電気ファンヒーターが風を送りつけてくる。
旅から戻った洗濯ものには、水着やら半そでのTシャツに加えて、長そでのTシャツが混じる。
商店の窓辺をかぼちゃのお化けが彩れば、都内の紅葉も始まるだろう。
・・・結局は感性を磨けってことなのだろう。
「駄目なことの一切を 時代のせいにするな わずかに残る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」 茂木のり子詩集・自分の感性くらい
こうも台風被害情報に接すると、のんきにブログを更新する気も起きなくなる。
こんな時こそ自分の言葉で想いを綴るべきなのだろうが、遠い国の話ならいざ知らず、あまりにも身近過ぎて気持ちに整理がつかない。
怒り・悲しみ・あきらめ・同情・後悔・畏怖、いろんな感情がこみ上げて、何を書けばいいのかわからなくなってくる。
遠い昔も自然災害は死と直結していた。収穫前の米がやられれば家族は生きて行かれない。娘たちはどこかに売られるしかなかった。
それでも人々は耐えた。日本の民俗舞踊は、狭い地域でのきずなを深めるための、そして、深い悲しみを忘れるために代々受け継がれてきたのだろう。
風の盆か・・・いとおしさが増す。
内戦が続くシリアでは、さまざまな勢力が入り乱れて戦闘が繰り返されてきた。続く内戦で、国境はあいまいなものとなった。トルコとの国境は、過激派組織に加わるために世界各国からやってきた若者たちにとっての入り口となる一方、内戦で家を追われた人たちにとっては出口となった。
アメリカは1930年代にサウジアラビアで石油の利権を獲得し、巨額の利益を上げてきた。石油を安定的に確保し、利権を守るため中東の安定が必要だった。
また、アメリカは国内にユダヤ人を多く有し、アラブ諸国の反対を押し切って建国されたユダヤ国家のイスラエルは、アラブ諸国と紛争を繰り返してきた。
2010年の年末に北アフリカのチュニジアで始まり、瞬く間にアラブ諸国に広がった、「アラブの春」。独裁を終わらせ、民主化を実現しようという動きだった。
独裁政権によって維持されていた中東の秩序は崩れていったが混乱も招いた。
かつて中東では、記憶に新しい湾岸戦争、イラク戦争などアメリカが思い切った関与をして秩序を形づくってきた。トランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都と認めたことでパレスチナ側の怒りを買い、中東和平の見通しはつかなくなっている。さらにシェール革命で、アメリカは巨大な埋蔵量を持つエネルギー大国となり、中東に依存する必要はなくなった。それと同時に世界の温暖化ガスをアメリカが激増させていくことになろう。
中東に対するアメリカの関与が弱まって影響力が高まったのはロシア。シリアをめぐり、トルコやイランとの関係を深めている。しかしロシアが中東にどう関与しようとしているのかはまだ見えない。だが、ねらいはシリア復興利権だ。
イスタンブールからエーゲ海へ。地中海につながるエーゲ海と黒海につながるマルマラ海を結ぶダーダネルス海峡をフェリーで渡り、アイワルク、エフェソス、パムッカレ、コンヤ、そしてカッパドキア。総計1570km。5日間の旅。
若い頃なら夜行バスで長距離を移動したものだが、さずがに寄る年波には勝てない。
お金持ちのおじちゃん、おばちゃんたちに混じって、照り付ける太陽の下を高速リムジンバスの快適シートで移動。移りゆく海辺の景色やオリーブ街道を見ていた。
リムジン・バスは日本のバスツーと同様に、2時間に一度、カフェのあるガソリンスタンドでトイレ休憩。できるだけ無料のトイレのある場所をツアーに組み込んでいるようだ。
カフェで注文するのは、たいていはチャイ。安くて、そして、うまい。一日の始めなら、リムジン・バスのドライバーとともにトルコ・コーヒー。
言葉は通じないものの、40代のくだんのドライバー氏も、朝はストロング・コーヒーがお気に入りのようだ。
デミタスカップにドロッとした粉まじりのコーヒー。細かくひいたコーヒー豆を煮だして入れてある。そこに角砂糖をこれでもかとばかり放り込み、上澄みをすする。良いコーヒーの香りに、眠気もどっかに行ってしまう。
イスラムでは偶像崇拝が禁止されていたため幾何学模様と文字装飾が発展し、美しいアラベスクやカリグラフィーがイスラム建築を彩る。
宗教を越えて綺麗とため息をつかせる美しさ。エキゾチックな雰囲気と、細部まで精巧な装飾が施された芸術美。
余計な理屈は抜きにして、ただその美しさを全身で感じる。そして、朝昼夜、時間帯によって異なる表情を見せてくれる。