最近の女子プロレスラーは可愛い子や美人が多い。そして、「プ女子」と呼ばれる女子プロレスファンまでもが急増しているようだ。
かつてのガチなプロレスは、どちらかといえば殺伐とした試合が多かった。しかし、ここに来て勝敗がすべてではない見せる要素を持ったエンターテインメントとしてプロレスは成熟しつつあるように思う。今は選手がツイッターやフェイスブックで自ら発信する時代。もはやリングでいい試合をすればよいという時代ではなくなっている。
試合で女性プロレスラーが観せるのは、プロレス技と同時にレスラーとしてのキャラ(演技)。
本気の蹴りを食らい、思わずかっとなりそうなものだが、そこはプロ。仕事と割り切って演技を続ける。
もちろん、パワフルに大技を駆使してスピード感のある試合を見せているのだが、客を興奮させてナンボだということを理解している。プロフェッショナルなのだ。筋書きのある試合かもだけど、以前のいかにも女子レスラーとは様子が異なったルックス重視の女性が苦闘する華麗な姿に客はしびれてしまう。
健気に頑張るその姿を見ると応援し続けたい気持ちになる。そこに女性らしい豊かな表現が加われば、もう彼女たちのつくりだす世界のとりこに。
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マスクを被ったルチャドールたちによる華麗なレスリング。
そして観客を交えたユーモアたっぷりのルチャリブレは、本流のプロレスにはないメキシコの究極のエンターテインメイントかもしれない。「フィエスタメヒカーナ」のイベントの一つルチャリブレ。本場メキシコ流の技でレスラー達が試合を魅せる。
観客席の中で試合を見て興奮した子供たちが、レスラーの真似をしてやんちゃしていた。
子供も楽しめるエンターテイメント。。
・・・かつてプロレスは、野球、相撲と並ぶ国民的スポーツだった。
1954(昭和29)年の力道山とシャープ兄弟と国際試合。街頭テレビに大勢の人が群がって観たという。
1963年5月の力道山vsザ・デストロイヤーの試合は、テレビ史上歴代4位の高視聴率(64%)だった。
その年に力道山が急逝した後もプロレスの灯は消えず、ジャイアント馬場やアントニオ猪木が大活躍をした。
馬場、猪木ともに「テレビが一番の娯楽」という昭和の時代の国民的スターだったのだ。1998年4月4日の東京ドームにおける猪木引退試合は7万人の大観衆を動員。
一方、初代タイガーマスクが日本じゅうに大ブームを巻き起こしたのは、1981(昭和56)年。
人気アニメ(タイガーマスク)の“実写版”として登場した初代タイガーマスクは、デビューからわずか2年4カ月後の1983(昭和58)年に突然、引退を表明。シングル通算戦績は155勝1敗9分け。シングルとタッグを含めて一度もフォール負けがない。
唯一の1敗はダイナマイト・キッドをフェンスアウトさせての反則負けだった。
・・・ここに来てプロレスの人気が再燃している。昨年秋頃から、テレビ、新聞、雑誌、ネット、あらゆるメディアがこぞってプロレスを取り上げている。この四半世紀で、世の中の人のプロレスに対する見方がガラリと変わった。レスラーは肉体表現で客を喜ばせるプロフェッショナルだ。客を興奮させて徹底的に楽しませてくれる。
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はじめてのアメリカ一人旅。もっぱら食事は、会話が通じなくても注文ができそうなマックだった。毎日、高カロリーなマックの食事に耐えかねて飛び込んだのが、多くのヒスパニックが出入りするこじんまりとしたレストラン。
メキシコ料理の店だった。何を注文したのか覚えていない。メニューにある写真を指差し、注文終了。初めて食べたアメリカの食事らしい食事に嬉しさが込み上げてきた。なにこれおいしい。しかも、マックの半額程度。
旅も終わりの頃だったので、ものすごく後悔した。なんでメキシコ料理の店に入らなかったんだろうと。
そんな思い出がメキシコ料理にある。
お台場のフィエスタ・メヒカーナ。シルバーウィークということもあって、台場はいくつものイベントが重なり合ってすごい人だ。
イベントを巡って散策しているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまう。
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深川のよさこい会場は変則的だった。
正面にテントを張った本部席。踊りの採点は、本部で行われる。
本部に対してL字型に一般の観客席が設けられていた。
なお、本部席には、審査員を含めて4~5人。多くの席が空席のままだった。
一方、正面左手側の一般席。こちらには大勢の観客が並んでよさこい踊りを観ていた。
よさこいチームによっては、正面席に向かって踊るチーム、観客席に向かって踊るチームに分かれた。
記憶に残るのか、記録に残るのか。チームによって戦略が違った。賞を取りに行くのなら当然、正面席。ぼくらカメラマンは、当然のことながら、審査員よりも観客を大切にしてくれるチームに魅力を感じる。
・・・踊り終わったチームは、観客、あるいは、審査員に「ありがとうございました」と全員であいさつをする。見てくれてありがとうと感謝の意。よさこいを踊る人たちの礼儀になっているようだ。
他の踊りでは見られない、「よさこい」の特徴。
チーム全員でのあいさつが終わって帰りかけた一人の踊り手の女性が、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。そのタイミングがぼくと目があったその時だったから、ドキッとした。
知り合いのカメラマンがいて、その人への挨拶だろうと周りを見渡しても、みな、画像のチェックやらほかのほうを見ていて、その女性と相対しているのはぼくだけ・・・。
やぱ、焦る。
今まで写真を撮ったことなどないチームだから、写真を撮るときは、とりあえず、センターの踊り手を狙う。というのも、センターの踊り手は、チームで一番踊りにキレのある人が務めることが多いからだ。
AKB48でいえば、総選挙で選ばれた人。
そのチームに対しても、センターを中心に狙ってた。でも、ぼくにあいさつをしてくれたのは、センターの踊り手じゃなかったのだ。しかも、とびきりかわいい女性。
後悔先に立たずってやつだ。もっと、チームをよく見まわして見るべきだったんだな。
写真はセンターしか撮っていないのだが、せめて片隅にでも、そのままに可愛く写っていてくれと思わず願ってしまう。
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駅の線路に傷ついたハトがいた。不注意でホームに入ってくる電車にぶつかったのかもしれない。
折れた翼を引きずりながら、よたよた歩いている。
それをカラスが執拗に狙ってた。自然のおきてだ。傷ついたものは、強いものの餌になる。
弱肉強食の世界。平和の使者であるハト。それを見ているホームの人間たちは、だれも傷ついたハトをたすけようとはしない。
・・・日本は、傷ついたハトかもしれない。
戦前の日本兵器において、今でいう工業製品の規格(JIS)はなかった。
精度が維持できずに、規格以前の問題だった。弾薬の製造技術も悪いため、弾詰まりが多かった。
「日本の技術力は世界一だったが、アメリカに物量で負けた」と思っているお年寄りも多いが、どうもそうではなさそう。つまり、欧米に追いつけとタッチアップを図っていたが、追いついてはいなかった。
そんな、未熟な国が負けるのは当たり前だった。
戦勝国アメリカは、原爆の負い目もあってアジアの途上国である日本に肩入れをした。
小さなガキの面倒を見てやるつもりだった。ただし、日本はいつまでもガキのままでいる必要があった。
同じ敗戦国のドイツとは扱いが違っていた。なんでも言うことを聞く、使い走りが必要だったのだ。
世界の警察を気取るアメリカは、自国の経済が低調になると、軍事費を削るようになった。
その結果、使いぱしりのガキのような日本の存在が重くなった。
平和が欲しければ、自分でどうにかしろと。。
傷ついたハト。なにかあったら、強い力を持つ誰かが助けてくれると信じてる。
100年に一度の災害も、起こるはずはないと予算を削った国だ。だれもその責任をとろうとしない。
せめて、被害にあった土地へ慰問に行くならまだしもなのだが。
びんたを張られてやり返す度胸も力もない日本は、いまさら軍事力を強化するのではなく、これまでの日本をガキの使いたらしめた経済と技術力にもっともっと力を入れなければならない。
自転車操業でもいい。経済を一時も早く立て直し、技術開発に予算をつぎ込んでいく。
そうでなければ、いずれ、どの国からも見放される。絶対に2位ではダメだ。
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