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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

野毛大道芸(1)

2009-05-12 22:37:28 | 港町 YOKOHAMA
 
 
 
 

正直に言うと、昨年、この野毛の大道芸でベリーダンスをする女性の目の輝きに心を奪われて、それ以来、ベリーダンスする女性に心が惹きつけられてしまっている。
ベリーダンスのなにがこうも僕の心を射抜いたのかをうまく説明することができないのだが、そのひとつには、なかなか思うような写真が撮れないことにあるのかもしれない。若い女性特有の弾ける魅力。 彼女たちが持つ内面的な美しさを表現したいと思っているのだが、いまだに果たせていない。
ベリーダンスは、エジプトや中近東のアラブ諸国に古くから伝わる民族舞踊と言われているが、実はその歴史ははっきりしていないようだ。古代エジプト・古代ペルシアの絵画や古代ギリシャの彫刻に見られる踊り子の姿が原型と言う説もあれば、ステップしにくい砂の大地をしっかりと踏みしめ、砂漠の民が腰から上を震わせて踊ったのがはじまりとする説もある。
その基本の動きは、胸・腰・肩・首など、カラダのパーツをバラバラに独立させて動かす アイソレーション( isolation = 孤立 )の組み合わせらしい。幻想的でエキゾチック、愛や悲しみや喜びなどを全身で表現する踊り。ダラブッカやレクなどといった、床から響いてくるような打楽器のリズムと見事に呼応するダンサーの踊りには、カメラのシャッターを押すのを忘れて見入ってしまうより手だてがない。

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YOKOHAMA大道芸(4)

2009-05-11 23:04:46 | 港町 YOKOHAMA
 
 
 
 

さて、このブログ。笑いという文章の部分では、いつもスベってしまいがちなのは自分が一番理解している。それでも、もし、ブログを大道芸に例えるのなら、ブログにあげている写真がパフォーマンス部分、すなわち、「技」と呼ばれる部分に相当するのかもしれない。
はたして、tetujinブログにアップしている写真は、生活に困っている人たちを癒すことができるモノとなっているのだろうか。
パンを買うのを止めて写真を飾ってくれるというのなら、ブログ作者冥利につきるところだ。
もし、そんな方がいらっしゃるのなら、タダで写真を提供しても構わないと思う。
・・・のだが、そうしたコメントをもらえることがないのは、それだけの価値がないということなのだろう。もっと、がんばって感動を呼ぶ写真を撮れるようになりたいと常々思っている。


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YOKOHAMA大道芸(3)

2009-05-10 20:24:23 | 港町 YOKOHAMA
 
 
 
 

昨今の大道芸は、ジャグリングやアクロバット、あるいはパントマイム等のサーカス芸が主流で、70年代以降に欧米で演じられてきたものが多い。パリのナイトクラブにしろ、欧米ではこうした大道芸のパフォーマンスをきちんと評価する土台があり、パフォーマーたちは道行く人たちの投げ銭で生活が成り立っているようである。
一方、日本では大道芸だけで生計を立てられるのは一部の人で、多くの芸人はアルバイトをしながらというのが実状のようだ。海外では相応の評価を得て、生活できているパフォーマーたちが一様に口をそろえるのは、日本にはまだ大道芸を理解し、育てるという土壌ができていないということ。
たとえば、1日のパンにすら苦労している暮らしの貧しい人々が、大道芸をきちんと評価して、身銭を切ってパフォーマーたちを育てているのである。そうした人々の心にあるものは、芸術に対する深い理解であろう。貧しきものにお金を恵むという感覚ではさらさらなく、自身がもらった感動の対価としての投げ銭である。

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YOKOHAMA大道芸(2)

2009-05-09 22:51:26 | 港町 YOKOHAMA

 
 
 
 

プレゼンの秘訣。8割ぐらいを分かりやすい内容で、残りの2割の内容が難解なものであることが良いプレゼンだと言われていた。これは、そのまま、良い文章にあてはまる。10割すべてが分かりやすい内容だと、読んだ読者は「こんなことは当たり前じゃん」と書いてある内容に価値を認めないだろうし、適当に難解な部分があって初めて、すごい文章として評価を得ることになるのかもしれない。
ここで「・・・なるのかもしれない」と書いたのは、2割ぐらい難解な文章でブログを書くと、だれも読んでくれなくなってしまうからである。
以前、tetujinのブログによく遊びに来てくれる方から言われた。「ブログの文章はぜんぜん読んでません」と。

ブログを大道芸にたとえると、文章がしゃべりで、写真がパフォーマンスに相当するのかもしれない。しゃべりがだめでも、技だけで成り立っているブログは、それこそゴチャマンとある。これに対し、しゃべりに相当する文章だけでファンを獲得しているブログは、数えるほど少ない・・・ように思われる。


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YOKOHAMA大道芸(1)

2009-05-08 22:38:52 | 港町 YOKOHAMA

 
 
 
 

世の中の研究をなりわいとしている者に対して、定期的に研究成果のプレゼンテーションが義務付けられているのが常である。このプレゼンがうまく行かないと翌年の研究予算に直接響いてくるし、なによりも、研究者の代わりはゴチャマンといるから、プレゼンのでき不出来によっては、そのポジションすら危うくなることになる。だから、研究者がスポンサー、あるいは、経営者の前でプレゼンする時は、必死にならざるを得ない。

このプレゼン。初めて研究内容を聞く人がその内容を容易に理解できたら、非常に簡単な研究のように思われがちな面がある。一方、特殊相対性原理のように、何度聞いても完全に理解することが困難な発表は、一般に非常に高度な研究だと思われがちだ。
もちろん、こんな高度な研究内容も、シロートが聞いて理解できたと思わせるようなわかりやすいプレゼンが良いプレゼンであるらしい。
ここで、「・・・あるらしい」と書くのは、分かっていてもなかなかこのようなプレゼンができないからだ。
その昔は、8割ぐらいを分かりやすい内容で、残りの2割の内容が難解なものであることが良いプレゼンだと言われていた。だが、情報社会の今の世の中では、少しでも難解な部分がある情報は放って置かれがちで、すなわち、その研究に対する評価はぐっと下がることになる。もっとも、内容のないものをまるですごい研究のように話すには、できるだけ難しく話すという姑息な手段も講じられがちなのだが。。
プレゼンに必要なことは、自分が発表する内容を完全に理解して他人が理解できる平易な言葉でしゃべること。これにつきる。
つまり、自分の研究を理解できていない人ほど、プレゼンは理解困難なものになりがちなのだ。

おそらく、大道芸を演じている方たちも、同じようなプレッシャーを感じているのかもしれない。チョー難しいパフォーマンスをあっさりとやってしまえば、簡単そうな技と思われてしまうかもしれないし、シロートが見て簡単にできそうな技を難しそうに演じても、見ている人にはなんの感動も与えないことになる。彼らにとって、観客の反応が生活のすべてだから、我々、研究者以上に厳しい状況に置かれているのは間違いない。


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