遠野のしし踊りは、幕をもって踊る幕踊り。
寛永4年、八戸より転封された南部直栄が、「南部ばやし」に引き続き、民芸に理解を示したのがこれ。
徳川秀忠が将軍職に就任するために上洛する際、関東・東北・甲信の諸大名をあわせて10万人規模の軍を率いた。それに南部直栄も宗家南部重直に従って従者を連れて参加。
その上洛途中の遠州掛川は秋祭りの最中だった。
さて、南部直栄の従者の駒木村海上の角助( 覚助)は、そこの土地のしし踊りに見入ってしまい、領主の行列一行とはぐれてしまう。その土地の踊りの師匠は、迷子になってしまった角助を弟子にして面倒を見る。その後、角助は練習に精進し踊りをすべてマスター。師匠は立派に成長した角助の幸せを願い、角助と2人で遠野に赴き、直栄に事の次第を述べ、平伏謝罪、許しを懇願。
民芸に理解のある直栄は、角助の罪を許して、その踊りを後世に伝えることにした。
こうして歌詞とその踊りや囃しの曲譜200余種は巻き物として遠野に伝わり、領内の神社の祭典などには、十教団体が競って出演・奉納するようになったのだ。
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