キルギスには40の部族があるとされ、国旗の中央にある40本の光条の入った黄色い太陽はこの40の部族を表す。キルギスの主な宗教はイスラム教のスンナ派。また、キルギスに暮らすロシア人の間ではロシア正教会が多数を占める。
キルギス共和国は1991年に独立して30年弱に過ぎないが、キルギス民族の歴史は2000年以上にわたる。古代のキルギス民族はチュルク語族に分類される遊牧民族であり、宗教的慣行はシャーマニズム、アニミズム、トーテミズム、多神教、一神教、先祖崇拝など。
8~12世紀にかけてイスラム教がもたらされた結果としてキルギス民族の民族衣装も変化した。女性は動物の毛皮で作られた帽子ではなく、顔を覆う長いスカーフを身に着けるようになった。ただし中東のニカブとは対照的に、キルギスにおけるイスラム風の衣装は現在でも明るくカラフルだ。
さらに、遊牧生活を営むこともあり、キルギス社会の宗教が多様化する傾向からは、イスラム教の戒律や伝統が比較的緩やかのようだ。食事の際は、輸入物の豚肉のサラミソーセージが出てくるし、街にはかならずモスクがあり、日曜日の朝の礼拝には道路が渋滞するほど多くの車が押しかける。
一見、敬虔なイスラム教徒のようであり、その実、一般の人々に日々のお祈りの時間があるわけでもない。なんか適当。
イスラム教徒の嫌う写真撮影も、やや嫌う傾向はあるものの基本はOK。
「Can I take a photo?」 途中の村で出会った双子の幼女。母親が「Why?」と聞き返すが、やっぱ、かわいいっすからね。許しももらってパチリ。
https://www.youtube.com/watch?v=E8XlFBSR1iE
この動画は、女性が何を着るべきか、キルギスのアイデンティティを巡って物議をかもしたものだ。
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イシククル東側の町、標高1720mのカラコル。天山山脈のふもとカルカラ谷へのトレッキングのスタートとなる町だ。キルギス第4の都市。人口は8万弱。
アルティンアラシャンなどの温泉やスキーリゾートもある。冬は非常に寒さが厳しく、1月の平均気温は−13.2℃。そのかわり夏は冷涼。
カラコルでは、毎週日曜日の夜明けから午前中にかけて町はずれで動物市場が開かれる。世界第二位の規模の動物市場。
駐車場の軽トラックの荷台には動物の姿がチラホラ。羊たちが背中にペンキでマークをつけらて、つながれて並ぶ。羊一頭は約4千円。馬は一頭7-8万円とのこと。原付バイクを買うよりも安い(たぶん)。
動物たちも自分の運命を知っているのだろうか。力づくで連れて行かれるのだが、必死で抵抗する。動かない動物を無理に引っ張り、後ろから押し、手で後ろ脚を持って無理やり前に踏み出させていた。
小さいころからこんな風景を見ているせいか、バザールの売り手の子供たちも家畜の扱いには慣れたものだ。
異邦人であるぼくたちだけが、売られて行き、やがて肉にされる動物たちに哀れを覚えてしかたない。リアルドナドナの世界。
バザールのあのヤンチャBOYたちにはまた会いたいな。ヤ ハチュー ブィーチ ヤンチャボーイ フシェクダ。
キルギス共和国の国語はキルギス語。クルグズ語とも。キルギスの他に、近隣諸国に住むキルギス人の間で話され、490万人の話者がいる。どうやらキルギス語はチュルク諸語の直系本家らしい。
しかし1826年にロシアに占領。百年後にソ連の一自治州に。ロシア語を強制されて、公の席でギルギス語を話すのは無理だった。ソ連崩壊後、1993年に新憲法のもとに正式にキルギス共和国を構成してからは、公用語をキルギス語とロシア語と定めた。
キルギス語は日本語と似たSOV型の文法を持つ。日本人の故郷ともいわれる原因だ。
しかし、キルギス語の適当な日本語教材がないから、出発前にアマゾンで購入したロシア語会話の本で勉強。
「ティ ムニェー ヌラーヴィシシャ」は大好きだよ!! の意味。・・・使うシーンは限られてはいるが。。
・・・今後のための覚書。使うシーンは限られているが。。
天山山脈のシルクロード沿い、4000m級の山々を望むイシククリ湖東岸の町カラコル(標高1700m)。そこからトレッキング・コースのカラコル谷(標高2500m)までは、1960年代にソビエト連邦のゴーリキー自動車工場 で開発された4×4輪駆動のキャブオーバー型軍用バスタイプトラックGAZ-66-96(・・・だと思う)で移動。ロシア空挺軍第106親衛空挺師団の車両にそっくりのヤツだ。
未舗装路の山道を約30㎞、1時間半のオフロード・ドライブだ。動力は115hp, 4,2L V8ガソリンエンジン。なお、フロントバンパー部分のウィンチはついていないタイプ。全高は2.44m。その約半分がタイヤ。したがって、ナビゲータシートは1.2mあたりの高さにあり、馬によじ登る感じで車軸に足を乗せ搭乗する。
道は狭いワインディング・ロード。しかも、ところどころ、50㎝ぐらいの深さで掘れている。対向車が来ると片側崖の狭い道を、すれ違えるポイントまでどちらかがバック。1時間半の道のりで数台の対向車と鉢合わせしたが、ドライバーの力関係でどちらが下がるか決まるらしい。
過去、様々な山のアプローチで悪路を体験したという旅行会社の担当の方が、その中で「ベスト・オブ・悪路」と言い、酔い止め薬を勧められたから相当ひどいのだろう。実際、車両が傾いてひっくり返りそうになりつつも、ヨタヨタと悪路を登っていく。よくぞスタックしないものだと思う。ウィンチはついていないから、スタックしたらアウト。車を捨てて歩いて登るしかない。
一時間半、ジェットコースターに乗ったように上下左右に思いっきり揺さぶられ、目的地に着いた時はドライバーに思わずグッド・ジョブと声をかけた。だが、ドラーバー氏はこの悪路をほぼ毎日運転してるらしく、当然といった顔。すごい人だ。
トレッキング・ゲスト6名に対し、ポーターが12名・女性シェフ1名、そしてガイドが正・サブの2名。合計21名のパーティ。個人手配では到底無理。
キルギスのトレッキングは馬を使ったホーストレッキングも可能だ。どちらが安いのかはよくわからない。ただし、馬が登れないような峠越えの絶景ポイントへアクセスするには自分の足で登るしかない。
ポーターたちは、それぞれ個人の5㎏程度の荷物を持ってもらえる。それ以外に、ダイニング用の折り畳みのテーブルやら、イスやら、食料やら。。スタート時点で彼らが背負う荷物の重量は25㎏程度らしい。スーパーで売ってるお米の袋ぐらいの重さなのはずだが、実際に持ち上げてみると持ちあがらない(涙。
3000m超えの高所を難儀してトレッキングしていたが、後ろから重い荷物を担いだポーターさんたちが登ってくることを思えば、着替えぐらいしか入っていない軽いバックパックのぼくらは申し訳なさに力が湧いてくる。
ちなみにポーターたちは、学生たちの夏休みのバイトらしい。若くなければできない仕事だ。
山を降りる最終日。パーティ全員で写真を撮った。シャッターを切るタイミングは、「Say!Cheese!」が世界共通かも。その昔は「プルーン」とも。
韓国では「キムチ」らしいし、カナダやブラジルでは「ウィスキー」。中国では「那須(チィズゥ)」。いずれも「イ」の口の形がよろしいようだ。
なので「えくすたし~っ」。さすがムスリムの国、だれも言ってくれはしなかったが全員すてきな笑顔。。ついでに2枚目は「パンティーッ」。こちらは全員が爆笑。。