「最初の教師」はキルギスの作家、アイトマートフがレーニン文学賞を受賞した1963年にノーヴィ・ミールに発表したラブストリー。
自分には学歴がないのにキルギスの山村で学校を作り、村人たちの嘲笑のなかで生徒たちに献身的に指導する傷病兵の独身の男を、成人してロシア・アカデミー会員となった彼の最初の女生徒の回想を通して語られる。
幼い女生徒の、それが当時のキルギスでの女性たちに課せられた運命。選択肢のない生き方。だが、彼女にとって初めての若い教師の献身的な愛により、彼女は学問に目覚め粗暴な社会から脱出する。
その教師は、その後、だれにもふり返られることのない平凡な郵便配達人として生涯を送る。60年代の多くのソ連の人々が負った悲しい過去でもある。
いくつか読んだアイトマートフのラブストーリーのなかで、この作品が一番好きだ。女性からの視点ということもあるが、たとえば後進国の底辺に置かれた女性たちの人生を切り開くすべを示唆しているし、切ない結末でもいくつかの可能性は残されている。
人生は未来があれば耐えられる・・・のかもしれないね。( ^ω^)・・・
彼女がぼくを目覚めさせた。ぼくの心を揺り動かした。ぼくは夢中で走り回り、大地と世界を眺めてみた。驚いた。まるで世界をはじめて見るような気がした・・・。
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アルマティ(カザフスタン)から入国→カラコル(キルギス)へ陸路による国境越え。出国ゲートから入国ゲートへ。舗装のない砂利道を距離にして10mぐらい、歩いて移動する。出国する国のビザが切れていて、入国側のビザが降りなければ、あるいはパスポートの条件が合わなければ、その10mぐらいの中間地帯(無国籍地帯)で足止めを食うことになる。(・・・なんかそんな映画があったな。国際情勢の変動には要注意)
周りを海に囲まれているぼくらとって、陸路の国境越えは手続きや国境を挟んだ街並みの違いなどワクワクの体験だ。国境のどちら側でもタクシーが客待ちをしているもよう。出入国検査に時間がかかったりすると乗ってきた国境越えのバスなどに置き去りにされてしまうかも。。
国境越えといっても、国境に線が引かれているわけでもない。大勢の脱獄者・・・違った旅行者に背中を押され、入出獄(国)検査。スタンプが押されいつの間にか越境。仲間たちと抱き合って感慨にふける暇もない。
さて、言葉の壁をどう乗り越える。でも大丈夫。「なんとかなる」のだ。。帰りのカザフスタン入国審査官は若い女性。いくつかの窓口の中で一番仕事が速い。余計なことは言わず、極力短文で。。「はろー。オンリー・トランジット。おーけー?」。変な英語の日本人旅行者に不信を抱いた同僚が彼女をヘルプ。でも、彼女は「ヒー・イズ・マイ・フレンド!」と言って入国を許可してくれる。。
国境は走り高跳びのバーをもってしても超えらない高さの鉄条網が、はるか向こうまで続く。鉄条網の端を迂回して密入獄できそうとか考えるのはぼくだけなんだろう。国境は制服を着た軍隊がガードしてて、その胸には血液型が記されたシールが。どうも、カザフスタンは日本人と同じくA型が多そうだ。中にはOのマイナス型の人も。。そんなとこでマイナーなのは、なんかかわいそう。
2500mを超えての高所は、体のあちこちに不調をきたすのは織り込み済み。キルギスのアラクル峠(3550m)越えのトレッキングには、前もっていろんな作戦を立てて臨んだ。
効果が一番大きかったのは、ダイアモックス。ご存じ、高山病の予防薬。トレッキング前日のカラコル(1,700m)から服用開始。朝晩、処方箋通り1/2錠づつ飲んだ。
ぼくのかつての最高到達は、エベレスト街道のナムチェ(3,440m)、富士山山頂(3,776m?)、ボリビア・ラパス(4,061m)、ペルー・クスコ(3,360m)。
もう何十年も前の学生時代には、クライン・マッターホルン展望台(3,883m)も経験しているが、当時は若く、血液がサラサラだったころだから、そこで酒をのんで酔っ払ってたのは参考にはなるまい。
服用したダイアモックスの効果があって、さほどひどいトラブルには陥らなかったものの、酸素が内臓に行きわたらず食欲は皆無。キャンプで若い女性シェフが腕によりをかけて作ってくれてたメイン料理(ラグ麺)には、ついに到達できなかった。前菜のスープ以外のものは胃が受け付けそうもなかったのだ。
高山病は高度を下げれば回復する。アラクル峠を超え、イシククル湖(1,607m)まで降りてきたら、食欲全開。せっかくのキャンプ料理、毎日残してごめんよ。でも、スープは最高においしかったです。
(ムスリムの娘は、恥ずかしがってなかなかファインダーに捕らえられない)
中央アジア全域で広く食べられている手延べ麺。ラグマン。
キルギスでは独特のラグマンがある。アシュラン・フーという一皿。辛くて酸っぱい冷麺で、中国から移住したムスリム(ドンガン人)の料理。ぼくのいちばんのお気に入り。
カラコルの街で有名な食べ物らしい。酸味の効いたスープにうどんに似た冷たい麺とジャガイモのデンプンから作ったツルツル麺の2種類が入っている。スープは真っ赤。一見、盛岡のジャージャー麺風。フルーツはのってないけど。
ジャージャー麺との最大の違いは、アシュラン・フーがすっぱからいところ。
四国の讃岐うどんのように、店が軒を連ねていて、一杯は40円ぐらいとのこと。システムもほぼ同じで、総菜が皿に盛られて売られており、好きな総菜を自分で取っておかずにするようだ。
店によってスープの素味が全然違うらしく、人気の店、ガラガラの店と客入りは店によって大きく異なる。ガイドに連れられて入ったお店は、日本人向きの味。
遊牧文化の国・キルギスの料理は何といっても肉中心。「客は満腹だと言い、主人はまだ足りぬと言う」そんなことわざが表すように毎日フルコースで攻められる。
・・・アシュラン・フーなら3食でもいいっすよ。
キルギスには一風変わった結婚の形態がある。「略奪婚」。
誘拐した女性を男性の家族一族で説得し、結婚の合意を得るものだ。男女が出会う機会が少ない遊牧生活で発達した形態なのかもしれない。
女性への説得が成功するかしないか、これには男性の事前の気配りと根回しが必要なことは言うまでもない。
なんどか女性と接触し、ある程度、女性の気持ちを確かめた上で「略奪」に踏み出す。別の視点からみれば、日本の「駆け落ち」としても違和感はない。
あくまでも、結婚を承諾するかは女性の意思。それでも女性に受け入れられる確立は高かったという。事前のじっくりとした気配りと根回しが成功の鍵だ。
ところが、時代の進展に伴って男性たちは気ぜわになって来た。じっくりと気配りと根回しをという流暢なことができなくなってきた。
事前の気配りや根回しが無い、いきなりの「誘拐」は単なる「略奪」。
文化も伝統もない立派な犯罪だ。
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「涙が星に変わるとき」は、ガイドに薦められたキルギスで生まれ育った人気作家チンギスアイトマートフの恋愛小説。
美しい村の少女とキルギスの実直な2人の男たちの物語だ。一つの過ちから、雪崩を打って崩れ去る幸福。
男たちの深い気持ちを受け止め、やがて寄り添う。母なる大地ガイアのような、やさしく愛情に満ちた女性。
男性の視点で書かれたラブストーリーがことごとくそうであるように、この小説もまた女性の心の動きは詳細には分からない。
謎のままにしておくからこそ、人生ははかなくももろく、そして面白いのかもしれない。