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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

私たちの時代

2011-12-08 22:17:16 | cinema
 

「部活」にしろ、「仕事」にしろ、生きて行動することは「自己との戦い」であり、また、「応援してくれていた人々との絆を強く、夢を実現すること」なのだろう。
そして、何事でも成し遂げた人々は、他人に対して優しくなれる。どこかの国の仕分け大臣に、経験しておいてほしかったことだ。

「私たちの時代」。恐らくは、2007年3月25日の能登沖地震で、このドキュメンタリーの取材プランは一度はつぶれたはずだ。門前高校は、ソフトボール部が全国選抜大会で2度目の準優勝に輝くなど、全国の常連校として活躍している。
当初は、このドクメンタリーは、県大会の新人戦で9連勝中の門前高校とライバル津幡高校との競り合いにフォーカスを当てていたのだと思う。まったく予想外の地震による被害が、このドキュメンタリーに得も言われぬスパイスを添えることになる。

エンドクレジットが出て、場内が明るくなって困った。あふれる涙を人に見られるのが恥ずかしかった。泣いた泣いた。鼻水も一緒にあふれ出て・・・。

部の顧問は、元ソフトボール日本代表選手。体育教員になって母校に就任し、ソフトボールの練習を通して人間を育てている。各地からソフトボールがやりたくて集まってきた選手たちは、部の顧問の自宅に下宿。食事も自分たちで準備する。
朝5時起きで当番が朝食を準備し、その後、学校で朝練。夜も遅くまで練習して、帰宅した後、また自分たちで食事を準備。彼女たちが夕食を食べるのは21時過ぎだ。大盛のごはんを前にして、彼女たちは屈託なく笑う。
携帯電話禁止、日焼け止め禁止。自分たちで髪の毛の切り合いっこ。なんか、ものすごく、まっすぐに生きていて、かっこいい。

番組制作取材中に、能登半島大地震が起こる。倒壊の危険があるからということで、ずっと住み続けた家から立ち退きを余儀なくされる村の人たち。ソフトボール部の何人かも、避難所での生活を送る。
それでも、学校では部の練習が再開される。
「こんなことで、負けてたまるか!」
「100人いるかってくらい大きな声を出しなさい!」
「絶対に諦めるな!」

スポーツでの勝者は、常にたった1人(チーム)で、圧倒的多数は敗者だ。
どんなに打ち込んでも頑張っても、能力のあるやつはそれを紙一重で越えいく。
それでも頑張るのは、今の「自分を越えるために」・・・。
彼女たちだけでなく、いろんな人がいろんな状況で、いろいろなことを抱えて戦っている。

現在の日本社会に対する高校生の戸惑いと憤り。
ひとりの大人として、とても情けない。
彼女たちの純真な心と涙。こうしたものは、ぼくが歳を重ねて失ってしまったたものだ。
・・・っつうか、ぼくにもあったのだろうか?純真な心が。
これから探しに行こうっと。。

 


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ナイロビの蜂

2011-09-13 22:30:30 | cinema

 
 
 

カフェしえとのコーヒー、”ケニア”の深い味わいで思い出した映画がこれ。

「ナイロビの蜂」
2005年制作のイギリス映画。ブラジル人監督フェルナンド・メイレレスがジョン・ル・カレの同名小説の映画化。

テッサを演じたレイチェル・コリンズはアカデミー賞助演女優賞を受賞。外国映画が助演女優賞を取るという初の快挙だった。

「アフリカ諸国の犠牲のもとに先進国が存在する」
・・・不治の病に対する新薬の開発は、人類にとって希望に満ちた光なのだが、その光に照らされる手元には必ず影の部分がある。人の命は同じだといいつつ、途上国の人々の命を金で買う先進国の人々。この問題提起にどう答えるのか、我々に問いかけられる。

治療を受けた後、長い道を歩いて家に帰る現地の病人。テッサは、病人を車に乗せて送ってあげようとすると、ジャスティンは反対する。

「一人を助けたところでどうにもならない。他に何千人もいるんだ」

医療を必要とする大勢を目の前にして、横目に通り過ぎようとするジャスティン。
夫ジャスティンの言葉を聞いて妻テッサは絶望的な表情になる。

テッサを演じるレイチェル・ワイズの優しさと強さ。彼女の印象的な笑顔とともに、博愛の爽やかさが心に残こる。

この映画の原題はThe Constant Gardener。まめな庭の手入れ人。
主人公ジャスティンは、趣味が庭いじり。独身時代に、テッサの荒れ放題の自宅の庭を見て、手を出したくなるほどの庭好きだ。
仕事は決められたことしかしない、そんな内向的な外交官の彼が、妻の死の真相を探るにつれ、社会の不正に気付き、社会に向けて立ち上がっていく男に変わっていく。

・・・Love. At any cost.
また、レイチェル・ワイズの笑顔が見たくなりました。



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Caramel

2011-04-22 23:15:50 | cinema
こんな写真を撮りたいなあ。
 

最近忙しくて、宅配レンタルのDVDすら観る時間を作れなくなってしまっている。、そのためか、時間の対価を払って観たDVDに意外と面白い拾い物があると思わず嬉しくなってしまう。こんなめっけもんの映画を観た時は、だれかとその感動を共有したくなるのかもしれない。

さて、ベイルートのエステサロンに働く女性たちを描いたこの映画、恥ずかしいことに、映画を観終わるまで、パリの裏路地のドラマだと思っていた。
というのも、同時に宅配で送られてきた某フジテレビが製作した某「のだめ前編映画バージョン」が、あまりにもチープな映像だったからだ。
同じパリなのに、光線の具合が違ってた。某「のだめ」は一般旅行者のパリ旅行した時の写真のような撮り方だよなあ・・・と思ってたら、この映画はベイルートでの撮影だっだ。

中近東に位置するレバノンは、なにかと内戦が多く、政情が不安定な印象を受けるが、そんな中でレバノンの首都ベイルートの女性たちがたくましく、おしゃれに人生を楽しんで生きていく様子が伺えて嬉しくなってしまった。特にベイルートは、中東における交通の要所であり、かつては商業と金融、観光の主要な中心地で中東のパリと呼ばれる華やかで美しい街だ。
第一次世界大戦にオスマン朝が崩壊すると、レバノンはフランスに与えられた。イスラムの厳格な教義を重んじる中近東にあって、レバノンは人口の6割がイスラム教徒、4割がキリスト教徒。両宗教の宗派計18が混在する「モザイク国家」で、異文化に寛容で開放的雰囲気があるといわれる。

セクシーな衣装や独特の音楽。ヒロインでエステサロンのオーナーのラヤールのまなざし。ベリーダンサーたちに共通するあの妖艶なまなざしに見つめられたら、それだけでイチコロだ。
いい映画だった。やさしかった。年老いた独身姉妹の話、エステサロンの客である女優志願の中年の女性のせつなさ。この映画は人の悲しさをちゃんとあたたかく見守っていた。

一度だけ、美容院で髪を切ってもらったことがある。床屋で「ビジ髪」 シチサンの髪型にされるのが嫌だったからだ。だが、美容院のドアを開けるのはかなりの勇気が必要だ。だから、場末で客が絶対いないと思われる夜の時間帯を選んだ。
「床屋に行きたいんだけど、もうしまってて」そんな言い訳を考えながら押した美容院のドア。
その店の若い美容師さんは、ヘアーカッターを手にしながら一生懸命、似合う髪形を模索してくれたっけ。。
・・・日本の美容院では資格の制限のためか、髭剃りはしてくれなかったなあ。。

ラヤールに片思いの警官。彼もまたエステサロンのドアを開き・・・イスラム的熱情のしるしと見なされている口ひげを剃られてしまった。
店を出て心細げに鼻の下に手をやる彼の姿がほほえましい。
一方、女性の髪は長くあるべきというジェンダーの通念に囚われられていた黒髪の美女は、短く切ってもらった後に嬉しそうに顔を輝かせていた。彼女は性的なタブーにも興味津々の様子。
ラヤールを演じた主演女優、ナディーン・ラバキーが、実は映画の監督・脚本も手がけていたと、あとで知ってびっくりした。
歴史の流れは往々にして男どもが作るのかもしれないが、時代の変化は女性たちが受け持っているのかもしれない。


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チョコレート・ファイター(英題:Chocolate)

2010-10-03 19:40:04 | cinema

映画のオープニングで
「才能ある子供たちとの出会いが、私たちにこの映画を作らせた」
との監督からのメッセージが流れる。

正に才能!相手との間合い、動き、技のタイミング、すべてにおいて本物の武道家が持つ動きをする美少女“ジージャー”。
体力的な面でどうしてもハンディがある少女にとって、相手の技の起こりばなを叩くのは武道の理にかなっている。柔よく剛を制す。
相手の力を利用すれば、か弱い女性でも大の男どもを相手にすることができる。

完璧なカウンターの連続。彼女は何者?と思ったら96年のバンコク・ユース・テコンドー大会で金メダルを獲得した現役のテコンドーの選手だった。
彼女は『七人のマッハ!!!!!!!』のオーディションを受けた時に、監督に才能を見出され、4年間の特訓を経てこの映画に出演。
加えて、命知らずのアクションに挑んでいく姿。映画のストーリーよりも、彼女のリアル人生の方がよりドラマチックに思えてしまうのはぼくだけだろうか・・・

しばらく前に宅配送られて来た2枚のDVD。なかなかそれを観る時間が作れないでいた。おまけに、DVDは予約してからだいぶ時間がたってから届くので、届いた頃には何故この映画を観たいと思ったのかなどとうに忘れてしまっている。
だが、そのおかげで、なんの先入観も無くDVDを鑑賞することができた。

超人的アクションを繰り広げるキュートなヒロイン。監督は、このあり得ない超人美少女にリアリティを付与するため、突出した能力や特技を発揮する精神障害者という設定をした。この設定がゆえに、この映画の評価としてフェミニストたちの眉を顰めさせることになるのだが、フェミニストじゃないぼくにとっては許容可能な範囲。無敵に強い美少女よりも、この設定の方がハラハラドキドキで感情移入がたやすい。
さらに障害者と言えば、息も付かせぬ格闘シーンが続く中でハンディキャップのある少年も出てくる。この少年もまた、めちゃくちゃに才能があふれている。・・・まったく先の読めないトリッキーな動き。
相手の動きが読めないから、ヒロインは攻撃の糸口さえつかめない。しかし、実は彼女もまた意外な方法で、この最強キャラをやっつけてしまうのだ。

そもそも、彼女が否応なく血塗られた格闘へ引き込まれていくのは、彼女の両親の悪行によるものだ。父は日本から来たヤクザ、そして母は犯罪組織を取り仕切るボスの右腕。まさに両親の業から導かれる運命。そして、運命は容易く変えられるものではない。
だが彼女は、ひたすら戦い続けることで新しい人生を切り開いていく。
彼女にとって、人生で必要なものは母親、親友、そしてチョコレートだけだった。しかし、運命が否応も無く彼女の一番大切なものを奪っていく。「チョコレート」は最後に彼女に残されたもの。

クライマックスでは、高所に加え、狭い足場というおよそ格闘には不向きな場所で、スタントなしにすごいアクションを展開する。彼女の挑戦する命知らずなアクションに、どこか物悲しさを感じてしまうのは何故なんだろう。
・・・「チョコレート」は、間違いなく観た後で何かを語りたくなるアクション映画で、続編がどうしても気になってしまう。



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ジュリー&ジュリア

2010-04-19 22:53:49 | cinema

The Julie/Julia Project
Nobody here but us servantless American cooks...

30歳を目前に人生に疑問を感じていた平凡な主婦のジュリーがブログを始めたのは、2002年8月25日土曜日のことだった。
http://blogs.salon.com/0001399/2002/08/25.html
そのブログの書き出しはこうだ。
”フランス料理の芸術の習得 (ルイゼット・バーゾール、シモーヌ・ベック、そしてもちろん、ジュリア・チャイルド)1961年初版。
1000人もの有名シェフを育て上げた本。ジュリア・チャイルドはアメリカに料理と、そして、食べることを教えた。
40年後。私たちは、料理家アリス・ウォーターの世界にいる。しかし、その基礎となっているのは、今日の日に90歳となるジュリア。
だれも、彼女の功績には近づけない”

2002年と言えば、ちょうどブログが世の中で認識され始めた頃。ジュリアは何かブログに綴ってみようととあるプロジェクトを立ち上げる。
かの有名なフランス料理レシピ本「Mastering the Art of French Cooking」の524のレシピを、1年間ですべて自分で料理することがプロジェクトの目標だった。

何事でも挑戦する人の姿って美しいと思う。
そのプロジェクトの進捗を綴ったブログは、当然のことながら多くのコメントが押し寄せる人気のブログに成長。

アメリカは、ブログ発祥地であり、何かと日本と違うイメージがある。
日本は単なる日記なのだが、アメリカではトラックバックを使った議論が盛んだ。情報が盛んに飛び交う。
しかも、英語でブログを書いている人の約6割が実名。それ以外の人も約2割は、友人たちが知っているファースト・ネームやニックネームを使っている。
これに対し、日本で実名を公開している人は7%に過ぎず、それ以外はみな匿名だ。

匿名で情報発信したい理由はよくわかる。
目立てば叩かれるだけで、名前を伏せて発言したほうが無難で心地いい。
日本でも、有名人以外に、あえて正体を明らかにした上でブログを書いている人たちもいる。例えば、ダイビングのインストラクターたち。
そうしたブログの記事に固定ハンドルネームやら、匿名のコメントが付くのだが、かなり閉鎖的と言わざるを得ない。
知らない人たちには、なにがなんだか分からないレスが展開される。
つまり、日本ではアメリカのようにブログで世界が広がるのは、その機会が少ないのかもしれない。

さて、The Julie/Julia Projectの映画を見て、ぼくは自分自身のプロジェクトを立ち上げることにした。
題して「E-PL1 in wonderland」プロジェクト。
新たに購入したオリンパスの小型デジイチを使って、来年の「地球の海フォトコンテスト」に応募するまでを書くつもりだ。
匿名ではあるが、写真が選から漏れればかっこ悪いことこの上ない。かっこ悪いがために、ブログを閉鎖せざるを得なくなるかもしれない。
しかし、これも挑戦。プロジェクトの詳細は後ほど・・・。
「ポナペティ!」(召し上がれ!)。

 
 

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