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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

The Cove トキの二の舞をしてはならない

2010-04-18 22:29:36 | cinema

「野生のイルカがかわいそうじゃね?いくらでも大量生産された食肉があるのになんで?」

ニュージーランドでは1979年に海洋ほ乳類保護法が施行された。同国の200カイリ経済水域内で、すべての海洋ほ乳類が完全保護されたのだ。
わが国でも、こうした新しい人類の知恵を素直に受け入れて、永続的な漁業を行うための法律を制定してもらいたいと思う。
30年前の長崎の壱岐でのイルカの虐殺の問題から今日に至るまで、イルカや野生生物について発言できる閣僚が一人もいないというわが国は、国際常識からかけ離れた野蛮な国と取られても仕方ない状況なのだから。

そもそも、近年の日本近海でのクジラやイルカによる漁業被害というのは、日本や韓国などの漁業関係者が魚をとりすぎたためと考えられる。日本の延縄漁やトロール漁法は世界的に有名だが、利益優先で、大局的な視点が無視されて乱獲さればいくつもの種が回復困難な状況となる。われわれは野生のトキの苦い経験を繰り返してはならない。種の絶滅は環境の悪化に結びつく。人類の未来にとって恐るべき危機として認識すべきだ。

10年も前に、コロラドの州都デンバーの北西40kmにあるボルダーで、市街地にあるホテルのそばの道路脇を自由に散歩する大鹿(エルク)を見た。日本人なら、なぜ殺さないのと問いかけるだろうし、中国人なら、なぜ食べないのと質問するかもしれない。わが国は、欧米各国に比べて自然保護に関して30年以上遅れているといわざるを得ない。
日本では野性生物の出没する環境をド田舎と言ってバカにするが、彼の地の人たちは自然を大切にする自分たちに誇りを持っているのだ。

米映画「ザ・コーヴ」での太地町でのイルカ漁が自然保護に反すると批判。それに加えて、ワシントン条約の第15回締約国会議での大西洋・地中海産クロマグロの国際取引禁止の動きは、水産資源や環境問題、さらには野生生物との共存に関わる新しい倫理概念の構築など、すべての自然保護の思想が結びついている。
国内における「地域の伝統的食文化に対する一方的中傷」という反論は、著しく見当違いといわざるとえない。
やるべきことは、イルカの正確な生態数の把握と生態数を制御するための方法の探索。さらには、定置網に迷い込むクジラやイルカを効率よく追い払うための方法の探索。イルカの追い込み猟は、即刻、禁止にすべきだ。

マグロを大量消費する寿司をやめろとは言わない。ブログに写真つきで載せているグルメな人も多いのだから。
そこで提案なのだが、寿司は江戸前が売り文句だ。だから、江戸前の古式に乗っ取ってシャリは大きめで行くのはどうだろう。
現在でも昔の大きな握りのすしが南房総にある。「田舎寿司」と呼ばれるそれは、一度見れば、その大きさにびっくりする。なんせ、おにぎりほどの大きさのシャリに、種(ネタ)がのっている。
これこそがヘルシーで、粋な国際感覚と国際常識を身につけたおしゃれな大人の食べ物と思うのだが・・・。

 
 

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The Cove 野生のイルカはかわいそうじゃん!

2010-04-17 23:22:58 | cinema

  米映画「ザ・コーヴ」では、太地町でのイルカ漁が自然保護に反すると批判している。
また自然保護の問題はイルカだけではない。今年のワシントン条約の第15回締約国会議(COP15)では、クロマグロ(本マグロ)を野生生物を保護するワシントン条約の対象に加えて国際間の取引を一時的に禁止すべきという提案(モナコ提案)、および、同提案に対して猶予期間を設けるなどの条件を付す修正案(EU修正案)が審議された。しかし、モナコ提案は賛成20票、反対68票、棄権30票で否決。EU修正案は賛成43票、反対72票、棄権14票で否決。この結果を受けて、わが国の外務省は歓迎の意を表した。この提案の否決は、大西洋クロマグロの8割を消費している日本の政府代表と、日本にマグロを売っている地中海沿岸諸国が求めていた結果だったのだ。

だが、この提案の発端は、大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)の科学者会議で、現在の産卵可能な親魚資源水準が、大西洋クロマグロが未利用状態であった時の推定産卵親魚資源量に対し、15%以下まで減少している可能性が高いと推定したことを受けてのものである。
「とりあえずは、今のままクロマグロを食える」という点のみが広く報道されているのだが、今のままで地中海・大西洋クロマグロの漁獲を続けた場合、本当に資源の枯渇を招くことにはならないのか、我々のマグロの消費のあり方を考え直す必要はないのか、と言う点については、十分な言及がなされていない。

逆に、こうした日本人の食卓を脅かす一連の欧米の動きに対して、日本からの感情的な反論が目に付く。たとえば、イルカの虐殺に対しては、「地域の伝統的食文化に対する一方的中傷」という論旨。
実はこうした日本への非難は、今回の「The Cove」という映画が始めてではなく、1978年5月、当時の福田首相訪米に際して、アメリカでは首相のホテルにデモ隊がおしかけてクジラやイルカを殺すなという抗議行動が起こっている。このときは和歌山の太地町ではなく、長崎の壱岐でのイルカ殺しが問題となっていた。

さて、虐殺されるイルカはかわいそうか。
近年、クジラやイルカが網に入ったり海岸に打ち上げられたりしていると、ウエットスーツを着た人たちが必死に沖へと誘導する光景をニュースなどで見かける。
定置網に入った場合は網を切って逃がしている。だが、かわいそうなのは網の持ち主の方。網の修理に100万円を越える莫大な費用が必要となるのだ。
以前は、定置網で混獲されたクジラやイルカの肉の販売は一切認められていなかった。だが、現在は、定置網で混獲されたクジラは、DNA鑑定のために肉の一部を切り取り、国の機関に提出・報告すれば、販売して良いことになっている。定置網にかかったクジラやイルカの肉を売る漁業者にも理由があるのだ。
また、日本近海では、この15年間でイカの水揚げが7割、鯵の水揚げも5割減った。水温上昇の影響もあるのだろうが、漁業関係者たちは、クジラとイルカが増えすぎて魚を食べてしまうためだと口をそろえる。日本鯨類研究所によるとクジラやイルカが食べる魚の量は、世界中の漁獲量の5倍に匹敵するらしい。

もし、野生のクマが大量発生して牧場の牛を襲うようになったら、欧米の人たちも増えすぎた野生のクマに対して対策をとるだろう。
今から30年も前の長崎の壱岐でのイルカ殺しの問題。水産資源の確保のため、イルカを間引く必要があるのなら、しっかりとした科学的な根拠を基にして、国の法律の下で行うべきだ。
残念ながら、当時からこの問題に対して誰一人、動きを見せる政治家はいなかった。またぞろ、欧米からイルカを食べる悪習慣やマグロの乱獲を止めるように批判がでている。
今度こそ、政府は国内の法律や必要な制度を決めて、各国にきちんと説明した上で、国際意見に孤立する状況に対処する必要がある。

 
 
 
 

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The Cove 野生のイルカがかわいそうじゃね?

2010-04-16 23:00:32 | cinema

 和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りした米映画「ザ・コーヴ」が、第82回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した。
映画のタイトルは「入り江」を意味する。太地町でイルカ漁の現場に潜入、隠し撮りした映像だ。シホヨス監督は米国の団体「海洋保護協会」の代表を務め、映画を通じてイルカ漁を自然保護に反すると批判。
「年2万3千頭が不必要に殺されている」「水銀で汚染されたイルカ肉が学校給食に使われている」との指摘。

映画で出てくるイルカ保護活動家として登場するリチャード・オバリー氏は、日本でも放映された米テレビドラマ「わんぱくフリッパー」(1960年代)に登場する、元イルカ調教師。この映画、昨年10月に東京国際映画祭で上映されたが、太地町側から抗議を受けて上映中止。日本国内ではDVDの販売でさえも見送られている。

この映画に対する日本国内の反応は、奇妙なことに統一された意見のみ。発言が自由で何の制約もないブログでさえ、決まって判で押したように同じ言葉が並ぶ。

「欧米人は牛肉など家畜の肉を食ってんだろう!同じ動物なのになんでイルカはダメで牛ならいいんだよ。そもそもイルカを食べるのは日本の地域の伝統的食文化だ。
他国の文化にケチをつけるんじゃない」

理解できないのは、こうした反論が日本語で日本人に向けて発せられていること。なぜなんだろう・・・。人と違った意見を書き込んだばかりに、ふくろだたきに遭うことをおそれているのだろうか。
日本語がわかる欧米人がこうしたブログを読むことがあれば、コピー・アンド・ペーストしたような文章に違和感を覚えると同時に、日本人の個性のなさをバカにするだけだろう。お前らは自分の考えというものがあるのかと。

そもそも、イルカ漁を反対している欧米人たちの指摘は

「野生のイルカがかわいそうじゃね?いくらでも大量生産された食肉があるのになんで?」

という点。論点は野生のイルカがかわいそうか、かわいそうでないかである。
「イルカがかわいそうじゃね?」という意見に対して、「おめえらだって牛を殺してんじゃん」というのは論点のすり替えだ。
それを、多くのブロガーがやっているのは、あまりにも幼稚な国民と思われても仕方ないだろう。

 
 
 
 

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太陽に恋して

2009-08-06 22:49:07 | cinema

ふいに英語で問いかけられた時、”イエス”の意味で”ヤア(Ja)”を連発してしまう。僕の英語はどうやらドイツ語の影響を受けているようだ。
バカンスで出会った女の子たちの影響。ドイツ語圏はドイツ、オーストリア、スイスだけではなく実際はもっと広い。東欧では約50% に人たちが小学生の頃からドイツ語を習っている。
もっとも欧州では、きれいな英語ってあまり聞いたことがない。きれいな英語をしゃべるのは日本人ぐらいなものだ。若いときにヨーロッパを2ヶ月間、貧乏旅行したときに、安宿で使い覚えた英語の癖も残っている。1日1000円で東欧を回れた過去の話。

欧州連合の発展により、ヨーロッパの人々の旅行の頻度や質も増し、旅行にかかる費用もかなり高くなったようだ。レストランは非常に高いし、マクドナルドでさえどこでも高い。もちろん、交通費も。したがって、ひと昔前までは、ヨーロッパではヒッチハイクは当たりまえの交通手段だった。欧州ではヒッチ・ハイカーのことをオート・ストッパーと言う。
皆がマイカーを持つようになったヨーロッパの大都市では、止まってくれる車は少なくなってしまった。しかし、その一方で、大都市郊外や旧東ヨーロッパなど公共交通手段が非常に少ない地域では、まだまだヒッチハイクが主役だ。
合理的な人々ゆえ、今から40年前に“アロー・ストップ”というヒッチハイクのシステムがフランスで生まれ、車を探している人と、人を載せたい運転手を紹介してくれるNPOが発足した。このシステムはドイツ、ベルギー、イタリア、イギリスにも飛び火して、ヨーロッパでの賢い交通手段網になっている。
日本でも、こうしたヒッチハイクのシステムが発展してほしいのだが、無理だろうか。学生時代に、千葉の館山で乗っけてもらった軽トラックが妙になつかしい。

夏のバカンス。イタリアはアメリカ人、カナダ人、オーストラリア人、韓国人みんな2人か3人で来ている。その方が、ホテル代が安くなるからだ。

”いとしい人 僕は何千キロも遠くから・・・・・・幾つもの川を渡り山を越えて来た 苦しみや つらさに耐え・・・・・・誘惑に打ち勝ち 太陽を追って旅をした 君の前に立ち 想いを告げるために”
”愛してる”

 

In July - Cannabis Scene - English Subtitles     

     

ひとみちゃん。結婚、おめでと~。
末永くお幸せに!(。・ω・)ノ゛



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幸福な食卓~しあわせのはね~

2008-10-07 23:34:36 | cinema

「父さんは、今日で父さんをやめようと思う」
第26回吉川英治新人文学賞を受賞した瀬尾まいこの代表作「幸福な食卓」の出だしだ。
父親は5年前に自殺未遂。そして今回は突然父親を辞めると言い出したうえに中学校の教師まで退職。一方、母親は家を出て近所に一人住まい。
父さんが父さんを止める理由、それは実は教師と言う仕事のつらさに他ならない。仕事からの逃避。彼は医学部を受験して、人生をやり直そうとしている。そう、医者なら、他人とのコミュニケーションがたやすく、孤独に陥ることはない。
原作者の瀬尾まいこは、京都府内の中学校の現役国語教師だ。だから、“うつ病”や“神経症”などの精神疾患で休職する教師が増えている教育の現場をよく知っている。毎日、生徒と会話するはずの教師たちは、実は、生徒以外に会話する相手もなく、自分を理解してくれる他人の存在がないため、孤独に陥ってしまっているのだ。自分を理解してほしい妻さえも、一方的に理想の家族を強要したあげく、それに耐え切れずに自殺未遂を起こすと、今度は家を出て近所に一人で逃避。ここに、男女含めて中高年の孤独さがよく描かれている。

この物語の特徴的なところは、家庭の中心の存在である母親を、あたかもピンセットで圏外につまみだしたように、家庭から退場させているところ。母親がいれば、種々の不調和音が渦巻く中、もっと別な展開になっていただろう。母親が介在しないことで、親子の微妙な心のバランスが保持されている。むろん、この設定がなければ、ストーリーとして成り立たない。携帯を持たない主人公が、「会えば済むでしょう」と言い放つ場面も含めて、ある意味、原作者の願望が現れているのかもしれない。

それでも、家族を守らなくちゃいけない。
幸福な食卓。それは家族との会話を意味する。大昔から、人は一緒に食事をすることで心を通わせてきた。中原家の食卓。残念ながら、母親はあいかわらず不在なものの、父親と、兄と、主人公の佐和子は、毎朝、そろって朝食を食べている。たぶん、この家族は、こうして再生して行けるんだろうなと思わせる。
このストーリーは、佐和子のボーイフレンドの死で急展開を迎える。だが、この作品の良いところは、お涙頂戴の昨今の映画と違って、それを淡々と処理しているところ。思春期の主人公にすれば、生まれて初めてのつらい別離であったはずと思われるのに、さらっと流している。そのぶん、新しいスタートを予感させ、すがすがしい気持ちにさえさせてくれる。
そう、人は気付かないところで、自分以外の人に守られてる。だから、佐和子。思いっきり甘えていい。どんなに、傷つくようなことを言っても、父親はそれを許してくれる。また、家族はそれを許してくれる。

Mr.Children - くるみ