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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

旅情

2012-07-08 22:15:44 | cinema

  中坊の頃、人生で最初に買ったLP(LPって何?と聞かないように!)は、通販で購入した10枚組の映画音楽大全集(←うろ覚え)だった。収納ボックスには副読本が付いていて、女優たちの写真リストが載っていた。
中坊のぼくにとって、有名女優などだれがだれと知るはずもなく、無邪気に顔写真を見比べて美人ベスト5などを決めていた。すげえ美人だと思ったのはラブ・ストーリー主演のアリ・マックグロウ。彼女がいつも美人トーナメントのウィナーだった。そして、そのライバルの一人がキャサリン・ヘップバーン。カトリーヌ・ドヌーブと2位を競っていた。
なぜか、グレース・ケリーとかイングリット・バーグマンとか、映画を観るようになって銀幕で痺れた女優たちはトーナメントを勝ち上がらなかった。写真リストの写りが良くなかったのか、当時中坊のぼくは女性の美くしさがよくわからなかったのか、永遠の美人女優といわれるハリウッド女優たちはなぜか敗者の一群だった。

そういうわけで、映画「旅情」は最初にその音楽から知った。実際に映画を観たのは、音楽を聴いてからその何年も先だ。そしてこの映画を観なおすまで、映画のストーリーは、まったく記憶に残っていなかった。

実に多くの人たちがこの映画を観てベニスにあこがれを馳せた。
・・・旅をするなら、飛行機や自動車ではなく列車がいい。ベニス・メストレ駅を過ぎると、視界に広がるのは、アドリア海の真っ青な大海原。ただし、残念ながら今の列車は大きく窓を開け放ち、駅の構内を走って追いかけてくるレナトに手を差し伸べるのはムリだ。
心ときめく出来事を求めてベニスに一人でやってきたアラフォーのジェーン。ベニスで知り合ったレナトとの愛に溺れそうになるけれど、彼に抱かれて手にしていた赤いハイヒールをベランダに落としたときに彼女は気づく。・・・このままでは、別れなくなってしまうと。

よくあるリゾラバ(リゾラバって何?と聞かないように!)の話だが、レナトの誠実さだけが印象に残り、自己中のジェーンの身勝手さが鼻につく。このジェーンの役が若き日のイングリット・バーグマンとかだったら、もっと印象が変わっていたかもしれない。・・・彼女には味方しちゃうんだよね。
それでも、恋をすると表情が変わってきて女らしさがにじみ出てくる。それをキャサリン・ヘップバーンは完璧に演じている。やっぱ、名女優だ。
この映画のとき、キャサリン・ヘップバーンは48歳。運河に流したgardenia(クチナシ)の花が咲いていたということは、summertimeの早い時期(6~7月ごろ)の設定だったんだ。

"I'm a man and you're a woman."
"Don't you see? It's wrong. That's the way it is."
「旅情」より

昔の映画って、この映画の赤いハイヒールのように何かを暗示してたりと、観客の想像力に訴える手法が多用されていた。映画を観た後に、その意味が分かんなくて、みんなであれこれ話をしたものだった。
・・・さて、ステーキじゃなくてラビオリ食いに行こうっと(暗示)。

 


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「道」(La Strada)

2012-07-04 22:02:38 | cinema

やはりマシーナの魅力は、野獣のようなザンパノの粗暴な言動とは対照的なジェルソミーナの純粋無垢な心を、パントマイムで見事なまでに表現したその演技力にあった。ジェルソミーナ。なぜか懐かしく、昔はいつもぼくの傍にいたような、心がきゅんとなるそんな思いがした。

La Strada。何度か観たのだが、まだまだ見る度に少しずつ理解できてくる。年齢的にわかってくるものもあるのだろう・・・。
モノクロの完璧な構図。音楽の素晴らしさ。いい映画だ。
歳を重ねるほどに新鮮な意味が読み解けてきてというのは、昔の名画どれにもあてはまるのかもしれない。

ジェルソミーナって、何?
・・・みたいな反応ばかりの女子どもにウンザリしていたのだが、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の永作博美を思い出した。彼女の演技は、これだったんだ。ジェルソミーナ。

そして、ザンパノはぼくの中にもいる。将来のことなど考えもせず、また、他人の気持ちを分かろうともしない。自分を邪魔する者には容赦しない。・・・ある意味、理想的な男の行動美学だ。そんな男の心理を理解する自分もいる。そのことに気付いたお陰で、最後のザンパノの慟哭が強く心に響く。

本当に切ない。一人の人間として扱わうことはなかった。ただの道具、商品として扱い、人格を無視する。それでも、天使のような優しい心で尽くしてくれた。
「私がいないと 彼は独りぼっちだから」と。

一番好きなシーンは、「私は何の役にも立たない女よ」と言うジェルソミーナに、綱渡り芸人アルレッキーノが「この世の中にあるものは何かの役に立つんだ」と言う場面。

「君の顔はおかしいな。それで女かい?まるでアザミだよ」
「私はザンパノを待たないわ。皆に誘われたのよ」
「やつと別れるいい機会じゃないか。明日、奴が出てきて誰もいない時の顔を見たいもんだ。
絶対に別れた方がいいね。奴は野蛮人だよ。
何の理由もないが、ついからかいたくなるんだよ。なぜなんだろう?自分でも分からん。
いつもそうなるんだ。ところで、どうしてザンパノと一緒になったんだい?」
「母さんに1万リラをくれたのよ」
「本当に?たったそれだけで?」
「私は4人姉妹の長女なの」
「奴を好きかい?」
「私が?」
「そうさ、君がさ。逃げないのかい?」
「逃げようとしたわ。でもだめだったの」
「君は変わってるねだめってどういうこと?奴がいやなら皆と行けばいいじゃない」
「皆と行っても同じ事よ。ザンパノと一緒にいたって変わりはないわ。どっちだって同じよ。
私は何の役にもたたない女よ。いやだわ・・・。生きることが嫌になったわ」
「料理はどうだい?」
「え?」
「料理は作れるのかい?」
「いいえ・・・」
「君は何ができるんだい?歌や踊りは?・・・すると、男と寝るのが好きか?」
「・・・」
「じゃあ何が好きなんだい?別に美人じゃないし・・・」
「私はこの世で何をしたらいいの?」
「君とおれが一緒になったら、綱渡りを教えるよ。ライトを当ててやる。おれの車で巡業するんだ。世の中を楽しめる。どうだい?それとも、いつまでもザンパノと一緒に苦労を続けるのかい?
ロバみたいにこき使われながら。でも、お前もザンパノには何かの役に立ってるんだろ?ほら、前に逃げたときはどうだった?」
「ひどく殴られたわ・・・」
「奴はどうして君を引き戻したんだろう?わからん。おれなら一発で逃げたお前を捨てているね。おそらく、奴は君に惚れてるんだ」
「ザンパノが私に?」
「変かい?奴は犬みたいなもんだ。お前に話しかけたいのに、吠える事しか知らないんだよ」
「それはかわいそうね」
「そうだね、かわいそうだね。でも、君以外に誰が奴の側にいてあげれるんだい?おれは無学だけど、何かの本で読んだよ。この世の中にあるものは、何かの役に立つんだ。例えばこの石ころね」
「どれ?」
「どれでもいいんだ。こんな小石でも、何かの役に立ってるんだよ」
「どんな?」
「それは・・・。おれなんかに聞いても分かんないよ。神様だけが知っているのさ。君が生まれる時も死ぬ時も、人間には分かんないことだよ。おれは小石が何の役に立つかは分かんないけど、何かの役に立ってるんだよ。もしこれが無益なら、すべてが無益さ。空の星だって、おれは同じだと思うよ。君だって、何かの役に立ってるのさ。アザミ顔のブスでもね」

・・・映画って本当にいい。

 



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長靴下のピッピ

2012-03-28 22:19:24 | cinema

 

なにをどういう風に間違えていたのだろう。アストリッド・リンドグレーン作の「長くつ下のピッピ」と黒柳徹子作の「窓ぎわのトットちゃん」。
主人公の語感が似ているからだろうか。・・・いつの頃からか2つを混同していた。両方ともに読んだことがないから、単純なる勘違いだ。恥ずかしながらこの年まで、「長くつ下のピッピ」は黒柳徹子氏が書いた小説だと思い込んでいたのだ。

ベニスの裏町のレストランで、壁にかけられた大型の薄型テレビで、赤毛のおさげに、左右色違いの長くつ下をはいた少女の奇想天外な旅の物語を放送していた。
もう少し遅くなればサッカーの試合の放送が始まり、カウンターの地元客たちは大いに湧き上がるのだが、まだ宵の口だ。テレビでは子供向けの番組しかやっていない。

・・・黒柳徹子氏は知らない間に世界的な作家になったんだ!
日本を遠く離れたイタリアの地のレストランのテレビに映る赤毛のおさげのピッピを観て、黒柳徹子作と勘違いしていたぼくは、短絡的にそう思い込んでしまった。
自分の誤りに気が付いたのは、ホテルに帰って、フロントにいたお姉さんと話をした時だった。
彼女の茶色の瞳と明るい栗色の髪から、さきほどテレビで見た「赤毛のおさげのピッピ」を思い出し、
「ピッピ・ロングストッキングって知ってる?」
と聞いたら「アストリッド・リンドグレーンでしょ」との答え。
てっきり、クロヤナギテツコ氏の名前が出てくると思い込んでいたから、びっくりした。その場は、「うん、そうだっけ?」でごまかし、日本に帰ってきてから調べて自分の思い込みがやはり間違いだったことがわかった。

ぼくには子供の頃に兄と観た忘れられない映画がある。「ぼくらの冒険旅行」。
ユーゴスラビアの戦時の児童ドラマだ。1963年ベニス児童映画祭金獅子賞。
第二次大戦中、ナチ占領下のユーゴスラビア人の抑留所で、病気の少女の願いをかなえるため、2人の男の子が故郷のリンゴを手に入れるため旅に立つというストーリー。
長くつ下のピッピの一場面を観ていて、「ぼくらの冒険旅行」で子どもたちが野宿していたシーンを思い出していた。

ぼくの旅行はすべて、この映画が原体験になっている。
もう「ぼくらの冒険旅行」のプリントは、日本には残っていない。ネットで探したが、世界にもDVDは出てなさそう。・・・いい映画なんだけどなあ。

・・・「The New Adventures of Pippi Longstocking (長くつ下のピッピ)」ならDVDで観れる。
黒柳徹子氏に敬意を表してこちらを観てみるか。


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私の殺した男

2012-01-27 22:23:41 | cinema

第一次世界大戦は、植民地と世界の覇権を競い合う帝国主義戦争だった。
普仏戦争以来、ヨーロッパで約40年ぶりとなる大規模な戦争は、騎士道精神に彩られたロマンチックなイメージだった。これゆえ、ドイツでは戦争を不安や不満を吹き払うものだったし、フランスではアルザス・ロレーヌを奪還する神聖な祖国防衛戦争だった。それぞれの国民が戦争を歓迎したのだ。

映画「私の殺した男(原題:Broken Lullaby)」は、1932年、エルンスト・ルビッチ監督による。
原作は「シラノ・ド・ベルジュラック」で有名なエドモン・ウジェーヌ・アレクシ・ロスタンと詩人で劇作家のロズモンド・ジェラールの子息モーリス・ロスタン。

・・・ハリウッドの古いモノクロ映画。
エスタブリッシング・ショット、クローズアップ 、ロングショットなど、映画技法の基礎なるものが駆使されており、古さを感じない。むしろ、フレーミングについては、対角線論法 ? 三分割法の教科書のような構図で、ぼくの写真の構図はこうした古い映画のワンシーンに影響されていることを思い知らされる。
ストーリーは、現代の韓国映画風。ようやく、アジア映画が80年も前のアメリカの映画に追いついたというか、アメリカの映画にもこんな時代があったんだ!という印象だ。

第一次世界大戦の後のドイツの家族とフランスの兵士の話なのだが、会話が英語のため少々混乱させられる。それでも、生活の中の宗教、あるいは生きた宗教文化が感じられる冒頭のシーンなど、古き良きアメリカが見え隠れしていた。

「私の殺した男」。結末は、こんなもんなのかな?一生、心に重荷を背負って生きていくことができるのだろうか。とってつけたような結末には疑問がわき起こってくる。これも、古い映画の魅力なのだろう。・・・これまでにたちの悪い映画を見過ぎたのかも。




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曲がれ!スプーン

2011-12-21 23:06:45 | cinema
  
  

前にブログに書いたが、ぼくには特殊能力がある。

"No, I am not a peeping Tom!.....
http://pub.ne.jp/tetujin/?entry_id=341179

・・・初対面の女性の下着の色を当てることができるというものだ。

女性を前にして、「この色!」と最初に頭に浮かんだ色はたいていの場合に違っているので、それを外して次なる候補を挙げる。違っていても3回ぐらいやれば、正解率は90%以上を超えていた。
超えていたと書いたのは、その昔、そんなことを飲み屋のお姉さんを相手にやっていたわけで、今はもうやってはいない。「なんだこのエロ親父!」と顰蹙をかうのも、止めたの理由のひとつだが・・・。
なお、普通のエスパーたちが持っている「透視能力」や、「予知能力」などの超能力とは趣を異にする。なにぶん、肝心のところの映像が浮かんでくるわけではないのだから・・・。どちらかと言えば、心理学的な分野に近いというか。。

ところで、エスパーたちが持っている能力で、ぜひ、身に付けたいと思うのは、「時間を止める」能力だ。これがあったら、もう少し違った人生があったのかもしれない。「5秒でいいから時間よ止まれ」と何度、この人生で思ったことだろう。・・・時間を止めてなにができるのかといえば、なにができるのかわからないが。
いや、そうではなく、「時間を止める」っつうことは、すべての物質を構成する原子・電子・素粒子の動きを止めることだ。したがって、空気の分厚い層の分子の壁が存在し、時間を止めても自身は動きが取れないことになる。・・・長澤まさみを前にして、時間を止めても何もできないことにすなおに納得。。

残念ながら、サイコキネシスも、物理の法則を思いっきり無視した能力と言わざるを得ない。
E=mc^2。質量とエネルギーの等価性。ある物質を動かすには、それだけの質量が必要なのだ。

女性の下着の色を当てるのはやめたのだが、最近、ぼくには人の心を読む能力が身についてきた・・・ようだ。
そう、今、ここで断言できる。この記事を読んでいる読者の方、あなたは、今、
「なんだこのエロ親父!」
と思っているはずだ。おそらく90%以上の確率で当たっているのじゃまいか。そして、苦笑しつつ、ブログの下にあるポチッを「クリックする。。ん?予知能力も身に付いてきたか?

  


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