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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ストレイト・ストーリー

2013-08-08 23:57:47 | cinema

 
 

アイオワ州の田舎町に娘と2人で暮らす73歳のアルヴィン・ストレイト。遠く離れた土地で暮らす彼の兄が倒れたと報される。
アルヴィンは兄と10年前にケンカ別れして以来、一度も顔を合わせていない。

年相応の不具合ばかりか、長年の不摂生が祟って、体中あちこちにガタが来ている。
杖なしでは思うように歩けない。車のライセンスも持ち合わせていない。
だが、兄と永遠に会えなくなってしまう前に、せめて一度でも兄を訪ね、つまらぬ仲違いを水に流したいと思ったのだ。
アルヴィンは、彼が唯一乗りこなせる芝刈りに使う時速8キロのトラクターで兄に会いに行くことを決意する。

ニューヨーク・タイムズに掲載されたトゥルー・ストーリー。1994年の夏のストレイト氏のJohn Deere(トラクター)旅の物語だ。
ニューヨーク・タイムズの元記事はこれ
http://www.nytimes.com/1994/08/25/us/brotherly-love-powers-a-lawn-mower-trek.html

「本気で願えば、いつかは心が通じる」
世の中がそんな奇麗事ではすまないことは知っている。
だが、思いは伝えなければ永遠に届かない。
そんな人生の綾を描いた作品。

たいていの場合に映画は思いを寄せる側から描く。だが、兄側から見たら、この話はどうなんだろう。
・・・突如襲った心筋梗塞。医師からはあと10年も生きられないと余命宣告。
人は自分の死を意識すると気弱になるものだ。そして、残された者たちを思いやるようになる。
「弟と仲直りしたい」
仲たがいの原因は、いつもほんの些細なことだ。60~70代の老兄弟。
お互いに頑固だから、他から見たらどうでもいいようなことを言い争い、そして、喧嘩別れになる。

・・・6週間も前に電話したのだ。
いつしか電話したことなぞ忘れたころ、家に向かって近所の大型トラクターに引かれた見知らぬちっぽけなトラクターがやってくる。
なんだろう?こんな夕飯時に。。
トラクターの運転席に目をやると、そこにはみすぼらしいなりをした老人が。
だがその老人にはみまちがえようがない面影がある。
・・・思わず目頭が熱くなる。心が震える。
弟だ。弟が訪ねてきたんだ。

10年ぶりに会う2人がする会話は
「あれで来たのか?」
「あれで来た」
これだけなんだろうなあ。旅のすべてをあの1966年製 John Deere 110が物語ってくれる。
http://www.imcdb.org/vehicle_36490-John-Deere-110-1966.html

Did you ride that thing all the way here to see me?
I did Lyle.



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パイの物語

2013-07-30 22:08:30 | cinema

 

先日、ネットのニュースを何気なく見ていて、台湾で不法残留となった39歳のチェコ籍の男性が、映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を真似て筏を自作して日本への渡航を試み、海上を漂流中、台湾海巡隊に救出されたとのニュースが目に留まった。

せっぱ詰まった理由があるせよ、さまよえる人生を切り開こうともがくチェコ人の行動力に乾杯だ。

さて、ライフ・オブ・パイは、カナダの作家のヤン・マーテルがブッカー賞を受賞した小説「パイの物語」をアン・リー監督が映像化した作品。
「グリーン・デスティニー」、「ブロークバック・マウンテン」など、アン・リー監督のシネマトグラフィの美しさにぼくはとりこになってる。
この映画、ラストに驚愕のシーンがあり、多くの伏線やメタファーがちりばめられた上出来の作品だった。

ライフ・オブ・パイは救命ボートに取り残されたインドの青年とトラとの漂流の話だが、その漂流には多くの人が辿るであろう人生のドラマが象徴されている。
人生のドラマ。つまり、大人になったぼくらが生きてく上で必要なおとぎ話だ。
辛い経験、受け入れたくない事実、果たせなかった夢、数々の失敗。だれもが経験する陳腐な人生のストーリー。
どこにでもあるような陳腐な話を「おとぎ話」に変えていくのは、その人の生き方しだいだ。

写真を含め、良い芸術、良い映画は人に生きる力を与えてくれる。
非現実的な話や構図、図柄でも、その中に人生の真実があれば感動をよぶ。
大切なのは、人生を感動をもって生きていくことじゃまいか。
とか思うものの、この夏にハワイを目指して手製のいかだで漂流する気には な れ な い。
やぱ、虎がジャングルに入る時に振り返らなかったことが、悲しくて泣けてしまう。
・・・若さという荒ぶる魂との決別。世渡り上手にはなるが、何かへの情熱がうばわれてしまう。
だからこそ、おとぎ話が夢をぼくらにくれるのは確かだ。

 


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火の魚

2013-01-08 22:40:27 | cinema

実はこの文章、三度目の書き直しだ。どうにも、村田が折見の見舞いに病院へ行った時、折見がすぐに会おうとしなかったその理由がうまく説明できないでいた。また村田がそこで2時間も待ったわけ、折見がスーツを着て村田の前に現れたわけ。物語の根幹にかかわる重要なシーンであり、解釈の仕方次第でこのドラマの主張するところが大きく変わってくる。
ただ村田が待った理由については、そこ以外に行くところがなかったからという説明がつけられないでもない。そうだとすると、村田が自分の健康に執着しがちな気持ちに説明がつかなくなる。

・・・人は孤独を重ねていると、自分以外の人に対する忍耐力が失われて攻撃的な性格になる。
そして年齢を重ねるにつれそれがひどくなる。瀬戸内海の離れ小島にユーターンした村田もそうだった。

一方、都会で一人暮らしをする折見。こちらは都会の孤独に直面していた。だが、若いだけあって他人に対して攻撃的になることはない。島で5時間もの帰りの船の待ち時間ができたとき、島の子供たちに砂浜で龍を描いて見せた。おそらく、瀬戸内海地方に伝わる龍伝説を口にしながら・・・。警戒心の強い田舎の子を手なずけられるのは若い女性の特技なのだろう。
彼女はガンの手術を受けたことがあり、死と一人で向き合うことの恐さを体験していた。

・・・NHKで放送されたテレビドラマ「火の魚」。原作は室生犀星の小説。2009年にNHK広島放送局が制作した。

村田もまた、かつての都会での放蕩生活で胃に腫瘍ができて田舎に帰ってきた。それまでの、チェーンスモークと酒びたりの日々との決別。日課しているウォーキング。健康的な暮らしを手に入れるも、彼の書く小説は迫力をなくしていった。陳腐な売文になってしまっていた。ありきたりだが、これも立派な生き方。

女性編集者である彼女のガンの再発。村田はそれを聞いて東京へ見舞いに駆けつける。

・・・病院で、最初、折見が彼に会おうとしなかったのは何故なんだろう。彼女は常に丁寧な言葉で村田と接していた。小説家と編集者の関係を崩そうとしなかった。一方、村田にとって、世の中との接点だった彼女の存在は、彼女のコーヒーカップを用意するほど大きなものだった。
彼女は「幸福な王子」のしもべとなったツバメを思っていた。彼の眠れる才能から宝石のようなきらめきを引き出し、世の中に送り出そうとした。そして彼女は、越冬するツバメのようにボロボロになって誰にも知られずに死んでいくことを覚悟していた。これが彼女の生き方だ。

大きなバラの花束を抱え病院の前で、来るか来ないかわからない彼女を待つ。
一方、折見は編集者としてスーツに着替えるため、入院先から遠出した。村田が2時間も彼女を待っていてくれる確証もないままに。携帯ですべてを終わらせることのない2人の間柄。

「何にも言うな」
何も言わないことで、お互いの気持ちがそのままストレートに伝わりあう。むしろ何も言えなかったのは村田のほうかもしれない。2人は今生の別れを覚悟していた。
帰りの船で村田は瀬戸内海に伝わる竜神に祈ったことだろう。もう一度だけ、彼女に会わせてくれと。。そして、「タバコ吸いてえ~」と叫んだのは、素直に自分の気持ちを言えない孤独な老人のさがだ。
だが、彼女の「くすぶってんじゃねえよ。ばか」というメッセージは重く心に響いている。

・・・ガンの再発。その重さは想像もつかない。村田には彼女にもう一度会ってほしいと思うが、それがぼくの生き方であって、人それぞれ意見が別れるところだろう。

http://www.nhk.or.jp/hiroshima/program/etc2009/drama09/

 
 


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「打ち上げ花火」・・・一人で見るか。彼女と見るか。

2012-10-25 21:50:56 | cinema

 
 

「今度会えるの2学期だね!楽しみだね。」

あの時、彼女は夏休みを最後に転校してしまうことを知っていたのだろうか。知ってたとしても、知らなかったとしても、胸がキュンとなってしまう。
・・・彼女はずっと忘れないだろう。人生でもっとも多感な年頃。
そして、ドキドキと「下からみる」しかない男の子たち。

彼女も一人どこかであの花火を見上げていたのだろうか。

秋の熱海、海上花火。横から見たけど、すごく大きかった。やっぱ、レンズは広角かあ。
冬にもう一度。・・・もちろん、一人で。


 
打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? もうひとつのエンディング


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ジャガーノート

2012-10-22 22:13:35 | cinema

 

子供の頃に見た映画の予告編。リチャード・ハリス率いる海軍の爆発物処理チームが、処女航海に出発した豪華客船”ブリタニック”号に仕掛けられた爆発物処理に挑む。
主人公は爆弾を処理する最後の段階で、赤のリード線と青のリード線のどちらか一方のみを切断する選択を迫られる。ロンドン警察に捕えられた犯人と連絡が取れるのだが、残り時間はあと3分。

赤を切るのか、あるいは青を切るのか・・・。主人公の元上官だった犯人は青をカットせよと言い放つ。

手に汗を握る緊迫のシーン。どっちのリード線を切るのだろうと、子供のころからず~と気になっていた。1974年のイギリス映画だから、約40年ぶりにその答えを知ることができたわけだ。

人間の心理、及び電子工学の原則としては、赤を「ホットエンド」、青(白、黒)を「コールドエンド」とする。コールドエンドを断てばセーフという回路構成にする事がまま多い。

ついでに言えば、粘性液体を利用した現代のショックセンサーからすれば、振り子式の旧式センサーの使用など、時代の変遷を感じずにはいられない。対爆スーツも着用しておらず、液体窒素で起爆装置を凍り漬けにしたりもしてしない。

この映画が製作された1974年はデタントの時代だ。米ソ間で戦略兵器制限交渉(SALT)を開始、1972年と1979年の協定で核兵器の量的削減が行われ、緊張緩和を世界が感じることができた時代だった。一方、過去の東西緊張の間は、その水面下で、虚々実々の駆け引き、せめぎ合い、諜報戦が繰り広げられていたことが周知となっていた。
・・・だれも信じない。こうした考えが世界の外交を占めていたのだろう。
「テロには屈しない」。この後、国際社会は、テロに対して断固たる態度を見せるようになったのかもしれない。

ちなみに、2本のリード線に関する映画の中のやり取りでは
「One trips off the detonator.」
「The other is a booby trap, the sucker punch.」
と言っていて、その日本語訳は
「片方は爆発。片方は絶縁」
だったりする。

以後、起爆装置のリード線のどれかを切断する選択を迫られるシチュエーションは、様々な映画で使われるようになった。たとえば、映画「アビス」(1989年)、そして映画「リーサル・ウェポン3」。
主人公の元上官だった犯人の指示は「青をカットせよ」。
・・・あなただったら、どちらを切るのだろうか。

なお、ジャガーノート(ジャガナート・juggernaut)は、止めることのできない巨大な力、圧倒的破壊力の意味。語源は、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の八番目の化身であるクリシュナの異名、ジャガンナート (Jagannāth)。

 


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