今月のメニューは、「素人に出来る珍しい料理十二ケ月(東京料理献立研究会 昭和12年刊)」の中の一品、「ボイルドポーク ホースレジスソース」。
うむ。今月は解読が難しい。メニューに書かれてある材料を見れば、
「1.豚ロース、2.人参、3.馬鈴薯、4.玉葱生姜(一個づつ)、5.山葵、6.調味品、牛乳」
とある。
つまり、「ホースレジス」って、ホースラディッシュと、一瞬、考えたが、どうやらワサビ(山葵)のこと。
っていうか、ワサビとホースラディッシュって別モンと今の今まで思ってた。
調べたらどちらもアブラナ科。原産地・形・色・香りなどが異なる。
ホースラディッシュは同じアブラナ科のからし、ワサビ、大根によく似た辛さ。
アリル芥子油(アリルイソチオシアネート)という揮発性の精油成分で、和からしやワサビと同じ。
つまり、ワサビも、ローストビーフ、ビーフステーキ、ボイルドビーフなどの肉料理に合う。なので、なつかしい香りのホワイトソースがけあっさり薄味のゆで豚。
・・・最近、昭和の味@モダン食堂はとみに人気急上昇中!
11時半開店なのだが、13時にはもう売り切れの様子。
「昭和の味」っつうのもワンダーランド。食のテーマパークなんすね。モダン食堂。来月も行きたいけど3連休かあ。。無理かも。
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フランス領ポリネシア。タヒチ。
西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め渡った島。
『我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか』
芸術のために精神を崩壊させるのではなく、自らの生活を崩壊させる道を選択した彼は誰にも知られることなくこの世を去った。
妻子も仕事も故郷も捨てた彼にとって、この結末は必然的な最後だった。
楽園であるはずの南の島々も、彼にとっては地獄だったのかもしれない。
我々は何処に行くのか。
できるのなら変わらずに、そのままでいてほしい。
そんな思いがするタヒチ。南の島。。
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「この急須と同じ色の茶碗ってないんですか?」
「紫砂(しさ)の茶壺(ちゃこ)が欲しいのね」
「この褐色のやつ」
「こういう陶器はもう作ってないから無いわね」
「え?作ってないんですか」
「匂いが付くでしょ。だから、いまは磁器が多いのよ」
江蘇省(こうそしょう)・宜興(ぎこう)で明の時代から作られてきた茶壺(ちゃこ)。
特に紫砂(しさ)と呼ばれる土を用いた紫砂茶壺は、中国の人々に愛されてきた。
粒子が細かいので、かたちをつくりやすい土だ。鉄分が多く、焼きあがったものは赤から褐色、黒などの色調を帯びる。
また、無釉ゆえに、使うほどに艶と深みが出てくるのも特徴。
日本でも室町時代から宜興の茶壺が輸入され、その後手型の茶壺は日本の茶注の手本にもなり各産地で作られた。
江戸時代には、横手の茶注も作られるようになった。
茶壺の肌を美しくするため使い込んでいくことを、茶壺を育てる“養壺(やんふう)”という。
古来焼締の無釉の茶器はお茶を美味しくすると言われ、中国の宜興の茶壺、万古焼、常滑焼の急須が代表的なものだ。
日ごろのお茶のシーンで、万古焼、常滑焼の急須も、目にすることが少なくなってきた。
それがいいのか悪いのか、いまはわからない。
”七杯(しちはい) 未(いま)だ喫(きっ)せずして 仙源(せんげん)を覘(うかが)わん”
・・・小さい茶碗だから7杯いけるかも。
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<!-- 花火 -->
都内への通勤電車や幹線道路は普段の1/2。
さすがお盆休み。
プールに通う女性に聞くと、千葉の街中では新暦(7月15日)にお盆だそうだ。
同じ千葉でも、ぼくが住む山奥では8月15日を中心に、ひと月おくれの盆行事。
人が死ぬとその魂は別世界に行き、一定の期間が過ぎると個人の区別は無くなり「祖霊」になる。
つまり、ご先祖様。その祖霊は春になると「田の神」に、秋が終わると「山の神」に、正月には「歳神」になって、子孫の繁栄を見守ってくれている。
古くは、旧暦の7月15日に先祖供養の儀式(お盆)を行った。
この、ご先祖様の精霊が現世に戻ってきて、再び別世界に帰っていくという日本古来の精霊信仰は、仏教と結びついて「盂蘭盆会」として定着した。
盂蘭盆会とは、サンスクリット語で「逆さ吊り」を意味するウラバンナが語源。「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」をいう。
ある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいることを知った目連尊者が、どうしたら母親を救えるのかをお釈迦様に問う。
お釈迦様いわく、
「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、供養すれば母を救うことが出来る」
目連尊者が教えのままにしたところ、母親の極楽往生が遂げられたとのことだ。
これが盂蘭盆会の由来。
ほうろくの上でおがらを焚き、キュウリやナスで作った馬、牛で、死者の霊を迎え、そして送る。今でも見かけるお盆の風景。
だが、浄土真宗では盆提灯を灯し先祖と仏様に感謝を捧げるだけで、迎えの慣習はない。
というのも、浄土真宗では故人は全て極楽往生するからのよう。
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今も貧乏だが、当時はなおさら。ふだん、ろくなものは食べられなかった。
だから週末は精一杯のぜいたくのつもり。
値段の安い定食となれば、野菜炒め。これに、安い肉をということで牛肉の煮込み。。
学生の頃、欧州を貧乏旅行した時(コジード・ア・ポルトゲーサ@ポルトガル)を除けば、当時食べてた煮込みが、ぼくにとって生まれてはじめての「煮込み」だった。
田舎では、内臓なんて売ってる店はなく、「内臓の煮込み」料理の習慣もなかった。
なので、実家では煮込みが食卓に出てきたことは一度もない。
もっとも、飼っていたニワトリをつぶして食べたことがあるから、鳥の内臓の煮込み料理は一度だけ。
(・・・ニワトリが気の毒で食べられなかったけど。)
ということで、「煮込み」は、ぼくの郷愁をさそう。
酒のつまみにというのが、酒飲みのテッパン。それでもご飯がほしくなる。
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