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横浜・瀬谷にあった旧日本海軍の防空壕は

2017-03-08 18:40:39 | 横浜歴史散策
瀬谷の軍事施設と云うと、2015年に返還されたアメリカ海軍上瀬谷通信施設と思うことであり、その前身は旧横須賀海軍資材集結所であったことは承知のこと思う。
瀬谷にあった防空壕は、そこから2kmちょっと南に下った場所の位置する海軍施設である。

それは、瀬谷区の相沢川東岸の丘陵地に「旧日本海軍機器格納庫」と謂われている防空壕(地下壕)で、西に4km近く行くと帝国海軍厚木飛行場があり、また、資材集結所もあったのでそのほかの海軍関連施設があってもおかしくはない。
が、何が置かれ、どの機関が使用していたのだろうか???


防空壕についてはネットの「はまれぽ」にも、
『南瀬谷中から南台方面につらなる公園ですが、公園になる前は雑木林で立ち入り出来ないようにフェンスが張られていました。
今から40年も前の話ですが、小学生だった私たちはフェンスの切れ目から侵入して、中間辺りにあった防空壕に出入りしていました。
中ほどに換気塔がありましたが、通路はかなり狭く、かまどうまやら怪しげな虫たちが這っていて、インディジョーンズの世界でしたね。
その後崩落を防ぐために入り口は埋めら れましたので、今となっては知っている人もいなくなったかな。
2011年12月22日 14時31分  とうさんさん』と、書かれている。
文中の「かまどうま」とは、キリギリスやコオロギ、ウマオイに似る昆虫で、跳躍力は非常に強く、飼育器の壁などに自ら激突死してしまうほどである。姿や体色、飛び跳ねるさまが馬を連想させ、古い日本家屋では竈(かまど)の周辺などによく見られたことからこの名前が付いた。俗称として「便所コオロギ」などと呼ばれることがある。日本列島及び朝鮮半島の一部に分布する。

文中の公園とは「南台こどものもり公園」のことと思われる。
この防空壕は、先ほどの海軍の格納庫とは別で、すぐ近くにも一般民間人以外が造ったと思われる、当時としては堅牢な防空壕が戦時中造られていたようだ。


「旧日本海軍機器格納庫」と謂われている防空壕(地下壕)の資料展示は、南瀬谷小学校コミスクで開催された「やよいまつり」の『横浜・瀬谷地図くらぶ』出品で、先ほどの?が知りたい目的もある展示である。
開催中に展示物を見た方が、格納庫近くには、これとは別に地下の試射場があったとの話も聞く。
中原街道挟んで南側に終戦近くこちらに移転してきた、旧大日本兵器(株)の弾薬等の第5製作所があり、試射場は、その旧大日本兵器(株)の所有である。

こうしてみると、上記地図上の狭い地域には相沢川丘陵地を利用して一般民間人以外の手で造られた防空壕が集中していたことを知った。

『横浜・瀬谷地図くらぶ』が「さくらまつり」の展示した資料はこのほかに瀬谷地域での米軍機による空爆被害の展示もあった。
戦後71年だが、戦争の生々しい記憶を掘り起こしている。










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