モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)の花

2016-06-17 07:42:37 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)の花

日本の園芸店でブルーセージ(Blue sage)として販売されているサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)は、開花期が長く春から晩秋までの長い間咲く。夏場は暑さに弱いため一休みするが、その休み前の一時の写真を撮った。

不思議なことに過去のサルビアの栽培記録を見直してみたら、今回が初めての栽培ということが分かった。
何故手を出さないできたかというと、1年草の扱いがされてきたためで、同じ扱いがされている真っ赤な花が咲き園芸店で「サルビア」として販売されているサルビア・スプレンデンス(Salvia splendens)にも手を出していない。但し、多年草の園芸品種には幾つか手を出して栽培しているが・・・。

サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)もブルーセージ(Blue sage)と呼ばれているが、同じブルーセージと呼ばれるサルビアが結構ある。
しかしこれでは区別がつかない。サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のブルーセージはしょうがないとして、他は識別がつくように次のように呼ばれている。
・アズレアブルーセージ(Salvia azurea)
・コスミックブルーセージ(Salvia sinaloensis)
・メキシカンブルーセージ(Salvia chamaedryoides)

サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のコレクターと命名のなぞ
この、サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)は、メキシコ北部から米国南部テキサス地域が原産地で、
1823年4月にフランスの探検家で博物学者のベルランディア(Berlandier, Jean Louis 1805-1851)によって米国テキサス(米墨戦争前はメキシコ)で採取され、
1833年に英国の大植物学者ベンサム(Bentham, George 1800-1884)によって「Salvia farinacea Benth. 1833」と命名された。
どうしてベンサムが命名できたのだろうか? というのが疑問となる。

(写真)Berlandier著「The Indians of Texas in 1830」


(写真) Berlandier Owl (Strix torquata)

出典:Smithsonian Institution Archives.

サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のコレクター、ベルランディアは、メキシコとアメリカの国境地帯での動植物調査を1827年~1829年までの20歳代の若い時に経験し、1829年11月からは米国との国境近くにあるタマリパス州マタモロスで医師・薬剤師として居住し、この一帯の植物調査を行ったという。現在のマタモロスは、米国と国境を接し、GM、ベンツなどの自動車生産の拠点となってる発展著しいところだ。
ベルランディアが採取した植物は、スイスの大植物学者デ・キャンドール(Augustin Pyrame de Candolle 1778‐1841)の息子Alphonse de Candolle(1806-1893)にも送ったというので、サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)もデ・キャンドールの息子のところに届いていたのだろう。

一方、ベルランディアは、ある面で米国とメキシコの国境地帯の自然環境・地理に詳しいスペシャリストでもあり、米国とメキシコとの間で起きた米墨戦争(1846-1848)ではメキシコ軍の大尉・地図製作者として参加し、メキシコ敗戦後にカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド等領土の1/3を割譲する協定を結んだが、国境を画定する委員会に現地を知るエキスパートとして参画したという。
奥地を探検するプラントハンターは、いざ戦争となるとその特殊能力が高い価値を持ち、地図製作者、諜報員・スパイなどで戦争に巻き込まれやすい。

ベルランディアよりも20年も前にサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)を採取した人間がいた。
時期としては1787年~1803年頃で、メキシコ、サカテカス州ラ・カヘテイリャ辺りで採取し、この植物に「Salvia linearis」と命名した。種小名の“linearis”は“リニア”つまり真直ぐに伸びる花穂を意味したのだろう。
採取し名前を付けたのは、スペイン王立メキシコ植物探検隊の隊長セッセ(Sessé y Lacasta, Martín 1751 –1808)とその隊員のモシーニョ(Mociño, José Mariano 1757 ‐1820)だった。

彼らがスペインに戻り提出した報告書が発見され、1887年にメキシコで出版され以上のことが明らかになった。
ルールでは、先に公表し認められた植物名とその命名者が採用されることになっているので、セッセ達の命名は残念ながら採用されない。

しかし、命名者ベンサムは、何処で或いはどの植物標本を見てサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)と命名したのだろうか?

推理するための事実を箇条書きにまとめてみると次のようになる。
1.メキシコで植物を採取しているベルランディアが採取した植物標本は、デ・キャンドールの息子に届けられていた。
2.セッセ探検隊の成果である植物画はモシーニョーが持っていて、これをデ・キャンドールに一時預け、デ・キャンドールはこのコピーを作り保持していた。
3.セッセ探検隊の成果である植物標本及び特徴などを記述したものが、当時のスペインの植物学者パボン(Pavón, Jiménez José Antonio Jiménez 1754-1840)のコレクションに紛れ込んだようだ。この標本は現在キューガーデン、大英博物館にあるという。
4.ベンサムはデ・キャンドールを尊敬し又親交があった。
5.1830~1834年の間、ベンサムはヨーロッパ中の植物標本を調べるために各地を訪問した。

ベンサムとそれぞれの関係を見ると
1.デ・キャンドール親子とは親交があり、1830年からの訪問で植物標本或いはセッセ探検隊の植物画のコピーを見せてもらった可能性は高い。
2.パポンのコレクションを見せてもらい、又このコレクションに紛れ込んだセッセ探検隊の植物標本を見た可能性も否定できない。
1833年にベンサムが「Salvia farinacea Benth. 1833」と命名しているので、デ・キャンドール親子からの情報ルートの確率が高そうだ。

(写真)サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)立ち姿


サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)
・シソ科アキギリ属の耐寒性が弱い多年性小木。日本では、耐寒性が無いため1年草として扱われている。
・学名はサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea Benth. (1833).)。種小名のファリナセアは“粉をふく”という意味で、1833年に英国の植物学者ベンサム(George Bentham 1800-1884)によって命名された。
・英名ではmealy sage“粉状のセージ”と呼ばれるが、日本では花色の青さでブルーセージ(Blue sage)として流通・販売している。。
・原産地はメキシコ北部からアメリカ・テキサス。
・丈は60cm、横幅30cm程度で直立した低木。
・20cm程度の花柄を伸ばしその茎にラベンダー色の花を多数咲かせる。開花期は晩春~晩秋で夏場は木陰で休ませると良い。
・葉はコンパクトで、披針形。
・冬場は水をあまりやらずに、室内又は霜の当たらない暖かいところで管理する。


【セッセ探検隊の物語】
先行しているはずのセッセ探検隊の成果報告が消えた謎解きをされたい方は

No33:セッセ探検隊①:偶然から始ったメキシコ植物探検隊
No34:セッセ探検隊②:メキシコ植物相探検プロデューサー、オルテガと隊員
No35:セッセ探検隊③:準備・第一回の探検(1787-1788年)
No36:セッセ探検隊④:仲たがい
No37:セッセ探検隊⑤:世紀の谷間に消えたセッセ探検隊の成果
No38:セッセ探検隊⑥:漂流するモシニョーと植物画
No39:セッセ探検隊⑦:漂流するモシニョーと植物画:その2
No40:セッセ探検隊⑧:セッセ探検隊が採取したサルビア
コメント

サルビア・チアペンシス(Salvia chiapensis)の花

2016-06-09 11:02:23 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・チアペンシスの花


メキシコのサルビアは艶やかなものが結構あるが、このサルビア・チアペンシス(Salvia chiapensis)もかなり艶やかだ。別名、サルビア・ローズシャンデリアとも呼ばれているが、バラの花色のようなシャンデリアとは言い得て妙だと思う。

このサルビア・チアペンシスは、メキシコ南部の州チアパスの2100-2900mの霧の多い湿った地域で生息し、草丈50-60㎝で横に広がり、花茎を伸ばしその先に鮮やかな桃色の花を5~11月まで咲かせる。光沢のあるオリーブ色の葉も美しい。

(写真)Edward William Nelson


このサルビアを最初に採取したのは、アメリカの博物学者ネルソン(Edward William Nelson 1855-1934)で、1892年から1906年までの14年間米国農務省の下でメキシコの動植物フィールド調査をアシスタントのEdward Alphonso Goldman (1873 – 1946)と一緒に行っており、1895年9月にチアパス州サン・クリストバル市近くの標高2150-2460mのところでこのサルビアを採取した。

ネルソンは、アラスカの博物学的調査をした初期の人間で、彼が22歳の時の1877年から4年間天気を観測する役割で米国陸軍のメンバーとしてアラスカに駐在し、エスキモーとアサバスカ文化の民族学的情報を記録した。ネルソンの徹底した調査・収集は“役立たずのものまで集めた男”として知られるようになった。この実績があり、メキシコの動植物調査にふさわしい男として選ばれたと言う。

しかし、ネルソンは、博物学者として何でも関心を持ち、ゴールドマンは動物学者として後に大成するのでこのチームは植物への関心があまり高くない。ミズリー大学植物園の植物標本データに記録されているところでは、ネルソンが採取した植物は320個、サルビアに関しては5個3品種だけしか採取していない。その中の1品がサルビア・チアペンシスということになる。

このネルソンが収集した標本を元に命名したのは、ハーバード大学グレイ植物標本館のアシスタントだった(後には館長、植物学教授)Fernald, Merritt Lyndon (1873-1950)であり、1900年に原産地の名を採用してSalvia chiapensisと名付けた。

しかし、実際の庭に導入されたのは時間が大分経過した1981年の頃であり、カルフォルニア大学バークレイ校植物園の探検隊がメキシコ、チアパスで採取してから普及したという。

(写真)Dennis Eugene Breedlove、サンフランシスコ植物園のチアパスから移植した雲霧林の植物をバックに


どんな人たちが探検隊で出かけたのだろうかと気になり調べてみたら、ブリードラブ(Breedlove, Dennis Eugene 1939–2012)という人物が登場してきた。

カリフォルニア科学学校の植物学者だったデニス・ブリードラブは、メキシコ最南端の州チアパスの植物相の研究を25歳のときの1964年から開始し、1992年まで広範囲な調査を行い、72,000セットという膨大な植物標本を収集し1981年には「Flora of Chiapas」を出版した。

デニス・ブリードラブは、数多くの植物品種をチアパスで採取したが、サルビアに関しても65種類も採取しており、また見知らぬサルビアが存在しているのではないかと興味がわいてきた。
ブリードラブが活躍したメキシコ最南端のチアパス州は、8250種もの植物種がある植物相が豊かな地域で、今でも開発という人間の手が入らないところが残るメキシコでも最貧地域であり、植物種の宝庫とも言えるところのようだ。

ブリードラブ(Breedlove, Dennis Eugene)、バーソロミュー(Bartholomew, Bruce Monroe 1946-)達を隊員とする、カリフォルニア大学植物園の種子及びカッティングなどを収集する探検隊が1981年11月にメキシコ、チアパスに出発した。
この旅行は2週間を予定し、全世界400あまりの植物園にメキシコの植物の種子を送ることと、カリフォルニアの気候に適したチアパスの植物を採取し同地域の植物園に配布すること、及び、余剰の収穫があった場合は翌春に販売することが目的だった。

カリフォルニアの気候に適した植物となると、気温が似ている高度での探索採取となり、2000メートル以上の地域での探索がなされ、成果としては、200品種以上の種子と生きた移植用の植物がこの探検で採取された。
採取した中でのハイライトは第一にサルビア類であり、サルビア・チアペンシスもこの探検隊に採取され、サンフランシスコに持ってこられた。採取したのはバーソロミューではなく、フリードラブのようだ。

(写真)サルビア・チアペンシスの花と葉


サルビア・チアペンシス(Salvia chiapensis)
・シソ科アキギリ属の耐寒性が弱い多年草。冬場は、室内に取り込むか、霜があたらないような場所で管理する。
・原産地はメキシコ・チアパス州の標高2100-2900mの霧の多い湿った地帯。
・学名は、Salvia chiapensis Fernald.(1900)。米国の植物学者Fernald, Merritt Lyndon (1873-1950)によって1900年に命名された。
・英名ではChiapas Sage(チアパスセージ)、日本の園芸店ではサルビア‘ローズシャンデリア’で流通している。
・このサルビアを最初に採取したのはNelson, Edward William (1855-1934)で、1895年にメキシコ、チアパス州サン・クリストバル近くの2150~2460mの高さのところで採取した。
・草丈は、60~120cmで地植えすると大株に育つようだ。現在は鉢植えなので30cm程度。
・葉は対生し、光沢のある濃い緑色の葉が光を反射して美しい。
・20cm程度の花序が数本伸び、ここに桃色(Magentaマゼンタ)に輝く花を咲かせる。開花期は一年中ということだが、暑い夏場は咲かないようだ。

コメント

サルビア・クリスティン(Salvia ‘Christine Yeo’)の花

2016-05-24 11:36:44 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・クリスティン‘イエオ’の花

朝、出掛けに目をやると、パープル色をした小さな花が咲いていた。
蕾すら気づかないほど気配を感じさせないでいたので、開花の発見はうれしかった。
それにしても、小さな花だ。葉の香りも素晴らしい。

このSalvia ‘Christine Yeo’(サルビア・クリスティン・イェオ)は、英国のPleasant View Nursery Christine Yeoによって作出された園芸品種で、英国王立園芸協会に登録されている。

園芸品種ということは交配させた両親がいて、このサルビアの両親は、Salvia chamaedryoides Salvia microphylla のハイブリッドで、いつ頃作出されたか不明だが、1995年3月にChristine Yeoが自費出版した『SALVIAS』という本に紹介しているのでこれ以前に作出したようだ。

(写真)Christine Yeo作 「SALVIAS」


(写真)サルビア・クリスティン‘イエオ’の葉と花


サルビア・クリスティン(Salvia ‘Christine Yeo’)
・シソ科アキギリ属の多年草
・学名はSalvia ‘Christine Yeo’で、Salvia chamaedryoidesとSalvia microphyllaのハイブリッド。英国のPleasant View NurseryのChristine Yeoによって1995年以前に作出された。
・どちらかと言えば、Salvia chamaedryoidesの特徴であるコンパクトな花と葉を受け継ぎ、そこにSalvia microphyllaの直立系の茎が加わっている感じがする。
・花は5月末から9月頃までパープル色の1㎝足らずの小さな花が咲く。
・葉は1.5㎝程度の長さで大好きな薬臭い香りがする。
・日当たりの良い、水はけの良い肥沃な土壌が適している。
・春か秋にカットで増やすと良い。
コメント

サルビア・プラテンシス(Salvia pratensis)の花

2016-05-10 11:29:43 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・プラテンシスの花


サルビア・プラテンシスは、ヨーロッパ・北アフリカ・西アジア原産でハーブ及びサルビアファンにとっては、初期に栽培の経験を持つ基本種のようだが、私は、10年近い年月が過ぎてからやっとこの花に出会った。

姿かたちは素朴で、メキシコ原産のサルビアのように華麗なところはないが、根元から葉・茎が出るロゼット状でサルビアというよりはハーブの一種という印象がする。
実際、古にはハーブとして目の炎症を止める目薬、うがい薬、歯磨きとして使われていたという。

このサルビア・プラテンシスは、英名では“meadow sage”“meadow clary”と呼ばれていて、“草原・牧草地のセージ”或いは“草原のオニサルビア(=clary)”を意味している。
牧草地にこの草花が育っているところを想像すると、邪魔な存在と受け取られかねないが、庭などの木々の下草として群生させると、濃いグリーンの葉とブルーの花がシンプルで上品なシーンを創り出しそうだ。

さて、英名でのメドーセージ(meadow sage)だが、日本の園芸店では別のサルビアを指すことが多くややっこしい。ブラジル原産のサルビア・ガラニチカ(Salvia guaranitica)というサルビアが園芸店ではメドーセージとして販売されていて、ご近所の庭でもよく見かけるほど普及している。

もう一つのメドークラリー(meadow clary)の“clary”は、クラリーセージ(和名ではオニサルビア)という名の別の植物があり、このクラリーセージに似ているので草原のクラリーと呼ばれている。
実際のクラリーセージは、庭で2年目を迎え成長途上なので開花したときに記述することにする。

(写真)サルビア・プラテンシスの立ち姿


サルビア・プラテンシス(Salvia pratensis)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草
・学名はSalvia pratensis L.(1753)。種小名のpratensisは草原を意味する。英名ではmeadow clary或いはmeadow sageと呼ばれ、日本の園芸店でも「メドーセージ」で販売している。
・原産地はヨーロッパ・西アジア・北アフリカで、林の端・原野・牧草地(meadow)などに育つ。米国ワシントン州では有害植物に指定された時があった。
・草丈は1m以上まで成長し、茎は四角でエッジが立っている。現在は2年目なので30cm程度。
・ダークグリーンの葉は大きめでクシャクシャしており、エッジにはギザギザが入り対生する。
・開花期は5月から7月頃までで、ブルーの花が輪生して咲く。しかし実際は日当りのよいところから咲くので輪生して咲く実感がない。
・サルビア・プラテンシスには、園芸品種が結構あり、花色はブルーだけでなく、スミレ色、白っぽいブルー、ピンク、白など多種多様ある。

(植物画)サルビア・プラテンシス

出典:「Atlas des plantes de France. 1891」

植物画の方が特色がつかみやすいので、1891年にフランスで出版された「Atlas des plantes de France」に収録されているAmédée Masclef作の絵
コメント

サルビア・ブレファロフィラ(Salvia blepharophylla)の花と採取者パーパス

2014-10-09 10:10:06 | セージ&サルビア
(写真)Salvia blepharophyllaの花
 

鮮やかなオレンジ色の花が咲いた。
サルビア・ブレファロフィラの背丈は最大で50cm程度と高くなく、サルビアには珍しく背筋がすっきりしている。明るい緑色の卵形の葉は、この花の名前の由来となっている“まつ毛のような細かい毛”が縁にかすかにある。
天衣無縫に成長するサルビアが多い中でコンパクトにまとまっているなかなかの一品だと思う。
地下茎で増えるので大き目の鉢に移植し、来年もこの花を楽しみたい。

採取したのはパーパス(Purpus, Carl(Karl) Albert)

コレクターはドイツからの移民、パーパス(Purpus, Carl(Karl) Albert 1851-1941)で、1911年にメキシコ、サンルイス・ポトシ(San Luis Potosí)でSalvia blepharophyllaを採取した。
こんな美しいサルビアが1911年まで採取されなかったのが不思議な気がするが、パーパスが採取した時期は、1910年から始まったメキシコ革命の最中という治安が非常に悪い時で、採取活動がやり難い時期だったみたいだからなおさら不思議だ。

パーパスは、サルビア属の宝庫とも言われるアメリカ南西部・メキシコで17,000種もの数多くの植物を採取している。しかし、サルビア属の植物は数少なく、記録上はこのSalvia blepharophyllaしか残されていない。何故なのだろうという疑問があり、関心がなければ“見れども見えず”状態だったのかなと思いつつもこの謎解きにパーパスの行動を追ってみたくなった。

(写真)パーパス(Purpus, Carl(Karl) Albert)
 
(出典)astrobase

パーパスは、ドイツのバーバリアにある王立森林の管理官の息子として生まれ、薬剤師を目指した。しかし、平々凡々とした生活を嫌い1887年に庭師としてセント・ペテルスブルグの植物園で働いていた彼の弟Joseph Anton Purpus (1860-1932)の海外出張とともにカナダ、アメリカ北西部の樹木探索で来訪し、そのままアメリカに移住し植物コレクターとしての道を歩む。パーパス37歳からの進路変更だった。

彼は、サンディエゴに住むキャサリン(Katharine Layne Curran 1844-1920)を紹介され、カリフォルニア大学とのネットワークが形成され植物コレクターとしての基盤が作られた。
キャサリンはカリフォルニア科学アカデミーの植物標本室の管理官(キューレーター)であり、1889年にはパーパスの植物採取の先輩であり、植物学の先生でもあり、スポンサーでもあったブランデギー(Brandegee, Townshend Stith 1843-1925)と結婚し妻となる

同じドイツ出身のブランデギー及び採取した植物を評価する役割としての奥さんとは長い付き合いとなるが、アメリカ移住当初はブランデギー夫妻からの恩恵が大であったが、植物コレクターとして成長したパーパスにとっては、メリットを分け与えてくれない最悪のスポンサーでもあった。

パーパスは1907年にカリフォルニア大学バークレー校の無給のコレークターとなり、せっせと植物を採取してはブランデギー夫妻に見本・サンプルとして献上し、これに注文が入るとセットとして販売し、パーパスの収入となるという学者の搾取構造に取り込まれたようだ。新奇の植物標本が次から次へと無料で手に入るブランデギー夫妻にとっては最高のシステムで、この搾取を甘んじたパーパスはどこか変な人間のようだ。
ブランデギー夫妻の名誉のために追加しておくと、パーパスのを含めて彼らが集めた植物標本はバークレー校に全て寄付したというので個人欲だけではないところがあり、名誉も経済的な利益もあまり手に入れなかったのはパーパスだけのようだ。

パーパスは偏屈で人嫌いといわれる。理由は現地語(英語、スペイン語)が得意ではなく、植物学に必要なラテン語か母国語のドイツ語だけになり、ドイツ語を話す人としか付き合わなかったようだ。また、酒・タバコはたしなまず、女性には近づきすらしないなどアンチ・エピキュリアンのところがある。彼にとっての快楽は37歳という歳から始まった植物採取の旅であったようだ。
植物学者としての栄誉を求めず、経済的な豊かさも求めず、家庭・家族という安寧も求めず、ただひたすら新しい植物との出会いがパーパスの心を満たしていたのだろう。

パーパスは90歳で亡くなるが、搾取されているとはいえブランデギーが収入の窓口であり、彼ら夫妻がなくなった後の約20年間は、自ら顧客開拓をやったようだ。
常に12セットをつくりアメリカ・ヨーロッパの顧客に植物標本を送った。アメリカでは、
カリフォルニア大学バークレー校、ハーバード大学・グレイ標本館・アーノルド樹木園、ニューヨーク植物園、セントルイスのミズリー植物園、シカゴの自然歴史ミュージアム、ワシントンの国立ミュージアムなどであり、プラントハンター・コレクター達を支えた著名なところだ。
ヨーロッパでは実弟(Joseph Anton Purpus 1860-1932)が勤めているドイツのダルムシュタット植物園に植物標本セットを送り、ここからヨーロッパの主要な例えば、ベルリン植物園、ブレーメン国際ミュージアム、エジンバラ王立植物園、キュー植物園の標本館、パリ自然歴史館、変わったところではライプツィヒの植物学会などがある。

この当時のヨーロッパでは、砂漠の植物でサボテンなどの多肉植物の人気が出て、実弟のいるダルムシュタット植物園には生きた植物を送り、ヨーロッパ随一のサボテン園を作ったという。残念なことに戦争で破壊され現存しない。
ブランデギーの要望、実弟を通じてのヨーロッパの顧客の要望は、この当時までに未踏破領域である砂漠・乾燥した高山などの植物・樹木であり、サルビアには顧客の関心がなかったようだ。売れないものは手元においておく以外ないが、集めないことになり関心から外れることになる。
サルビア・ブレファロフィラは後に賞をもらうほどの評価されたサルビアなので、パーパスの気持ちも動かし採取したとしか思えない。

リゾトモス(rhizotomos)、プラントハンター、プラントコレクターなどと呼び方は変われど、前人の未踏領域という限界を超えない限り成果を生み出せない危険な職業であることは変わらない。しかも、顧客のニーズに答えなければ好きなこともやり遂げられない。
ということではどんな職業でも同じで、苦と思うか思わないかの違いが天と地ほどの大差につながるのだろう。

(写真)Salvia blepharophyllaの葉
 

サルビア ブレファロフィラ
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草
・学名は、Salvia blepharophylla Brandegee ex Epling, (1939)、英名は Eyelash leaved sage(まつ毛のような葉のセージ)。命名者は二人で、Brandegee, Townshend Stith (1843-1925)、Epling, Carl Clawson (1894-1968)。
・原産地は、メキシコ北東部で、1911年にメキシコ、San Luis PotosiでCarl(Karl) Albert Purpus (1851-1941)によって採取された。
・草丈50cm程度で、地下茎で増える。
・葉は卵型でまつ毛のような毛で縁取られ、種小名のblepharophyllaはギリシャ語で“まつ毛のような縁取りのある葉”を意味する。
・開花期は夏から秋で、花が少ない夏場にオレンジが入った赤い花が次から次と咲く。
・咲き終わった枝を切り戻すと次から次へと咲くので重宝する。
・日のあたるところで育て、乾いたらたっぷりの水をあげる。

<命名者>
ブランデギー(Brandegee, Townshend Stith 1843—1925)
ベルリンで生まれアメリカに移住した植物学者。最初は測量技師として勤め趣味で採取した植物を当時のアメリカの植物学の権威Gray,Asa (1810‐1888)などに送った。この縁で“ハイデンの南西コロラド探検隊”の測量技師兼植物採取者として採用され、プラントコレクター・植物学者のコースを歩む。1889-1906年に12巻の「Plantae Mexican Purpusianae」を記述する。この元となる植物はパーパスが採取した。

(写真)Brandegee, Townshend Stith
 
(出典)The Smithsonian Institution Archives

エプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)
アメリカの植物学者・UCLAの教授でサルビア属が含まれるシソ科の権威。
エプリングの著名な研究で、覚醒効果があるサルビア・ディビィノラム(Salvia Divinorum)の研究がある。メキシコの原住民が神との交信でタバコを使っていたが、サルビア・ディビィノラムの葉もシャーマンによって使われていたという。

コメント

チェリーセージ・ホワイト(Salvia greggii 'Alba')の花

2014-05-13 06:59:51 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・グレッギー・アルバの花
 

園芸店では、「チェリーセージ・ホワイト」で苗が売られていた。白花を栽培するのは初めてでありつい買ってしまったが、さて、これは困ったぞ!
園芸品種としてのチェリーセージには3種が含まれていて、どの種の園芸品種なのかを推理しなければならない。しかも3種ともに白花があるときている。

チェリーセージの三種だが、学名にするとこの区別がわかりやすくなるので、発見された順番に書くと次のようになる。
1.サルビア・グレッギー(Salvia greggii)
1848年 グレッグが発見  
2.サルビア・ミクロフィラ(Salvia microphylla)
1885年 プリングル(その1その2)が発見  
3.サルビア・ヤメンシス(Salvia xjamensis)
両者の交配種で種類多い。1991年 コンプトンなどが発見

それぞれの白花は次のようになる。
1.Salvia greggii 'Alba'  (英名;White Texas Sage)
2.Salvia microphylla 'Alba'
3.Salvia x 'Elk White Ice' (Elk White Ice Jame Sage) など園芸品種がある。

何処で違いを見分けるのだろうかということが重要になるが、サルビア・グレッギーとサルビア・ミクロフィラは自然交雑するので原種以外となるとかなり難しいようだ。

しいて見え方での区別は「葉」を見るのが良い。
サルビア・グレッギーの葉は、長さが2cm程度で小さく、光沢がありツルツルしている。
一方、サルビア・ミクロフィラは、葉の端にギザギサしたエッジが入っていて、グレッギーよりは葉のサイズが大きく、シワシワしている。
この両者が交配したサルビア・ヤメンシスとなると判別不可能となる。葉の形としてはサルビア・グレッギーに近いようだ。

チェリーセージ・ホワイトで販売されていたこの花は、葉の形から見てサルビア・ミクロフィラでないことは確かで、サルビア・ヤメンシスとは言い切れないところがある。
消極的だが、サルビア・グレッギーの園芸品種 'Alba' としておこう。

氏素性を知っているはずの園芸生産者の方で、この辺の目配りをしてもらいたいものだが、プロにも見分けが難しいのがチェリーセージ三種のようだ。

(写真)Salvia greggii 'Alba'の葉と花
 
サルビア・グレッギー 'アルバ'
・シソ科 アキギリ属(サルビア属)の耐寒性がある宿根草。霜を避ければ外で越冬する。
・学名は、Salvia greggii 'Alba'、英名がWhite Texas Sage、園芸での名前がチェリーセージ・ホワイト。
・原産地は、南西部のアメリカ、テキサスからメキシコ 。
・庭植え、鉢植えで育てる。
・草丈は、60~80㎝で茎は木質化する。3年に一度株を新しくするようにすると良い。
・花の時期は、4~11月。
・咲き終わった花穂は切り戻すようにする。また、草姿が乱れたら適宜切り戻す。
・葉からは、薬くさいいい香りがする。

コメント

サルビア・スプレンデンス‘あやのピーチ’の花

2012-11-03 15:05:46 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・スプレデンス‘あやのピーチ’
 

サルビア・スプレンデンス‘あやのピーチ’は、夏から晩秋にかけて可憐なピンクの花を咲かせる。最初にピンクの苞がつき、これが花かと思わせるところがあったが、朝見ると本物の花がニョキッと出現していた。

由来は良くわからなかったが、原種はブラジル原産のサルビア・スプレンデンスであり、その園芸種としてサルビア・スプレンデンス‘ピーチ’という品種があり、この改良品種なのだろう。生産者は、千葉県佐倉市にある山本花園であり、由来を尋ねてみたいものだ。

原種のサルビア・スプレンデンス(学名:Salvia splendens Sellow ex Schult. 1822)は、1820年頃にはロンドンに入ってきていたようで、この当時のヨーロッパを代表する園芸商“リーアンドケネディ商会”の二代目Lee,James(1754-1824)の名が冠されているようであり“Lee's Scarlet Sage”(リーの緋色のセージ)と呼ばれていた。

この緋色のセージ、サルビア・スプレンデンスは、今では夏を代表する花として日本でもなじみの花となっているが、私にとっては最も嫌いなサルビアの一つだ。

しかし、サルビア・スプレンデンスを親とした園芸品種は数多いが魅力的なものが多く、この‘あやのピーチ’もサルビアらしい雑然とした枝・葉も含めて素晴らしい。

(写真)サルビア・スプレンデンスの花
 
(出典)Robins Salvias


サルビア・スプレンデンスに関しては詳しくはここを


(写真)開花期直前の花穂についたつぼみ
 

サルビア・スプレンデンス‘あやのピーチ’
・ シソ科アキギリ属の半耐寒性の多年草。
・ 学名・原種 Salvia splendensの園芸品種は多数あるがその一種。
・ 原種のサルビア・スプレンデンスはブラジルが原産地。
・ 草丈100cmと高くなるので、夏前に枝を落とすと良い。
・ 開花期は、夏から秋。
・ 生産者は千葉県佐倉市にある山本花園。

コメント (3)

サルビア・ブルーチキータ(Salvia‘Blue Chiquita’)の花

2012-10-21 23:09:27 | セージ&サルビア
(写真) Salvia‘Blue Chiquita’の花

 

サルビア・ブルーチキータ(Salvia‘Blue Chiquita’)の花は、槍の先のように穂先が伸び、そこに淡いブルーの花が密集して咲く。葉はハート型をした表が濃い緑色で裏が灰白色と、サルビアにしてはバランスが取れた立ち姿だ。

この花姿は、ラベンダーセイジの名で知られる「サルビア・インディゴスパイヤー(Salvia ‘Indigo Spires’)」とよく似ている。しかし、葉は明らかに異なる。

「サルビア・インディゴスパイヤー」に関しては以前にも書いたが、
ロスアンゼルス、サンマリノ市にあるハンティングトンガーデンで1970年代に偶然発見された。
このサルビア・インディゴスパイヤーが発見された場所には、
ブルーサルビアの名で知られる「Sslvia farinacea」と「Salvia longispicata」が咲いており、
両方ともメキシコ原産のサルビアで、この両種が交配して出来たのが「Salvia ‘Indigo Spires’ (Salvia farinacea x longispicata)」だといわれている。

またSalvia longispicata x farinaceaが交配してできたのが Salvia 'Mystic Spires Blue'で、イリノイのBall FloraPlantで育種されたという。
参考に画像を載せておくが、ブルーサルビアに近い立ち姿は個人的には好きではない。

(写真) Salvia 'Mystic Spires Blue'
 
(出典)Proven Winners
プルーブン ウィナーズ (PW) は植物の国際ブランドです。1992年に園芸種苗会社7社(アメリカ4社、ドイツ1社、オーストラリア1社、日本からは株式会社ハクサン)で発足し、現在、アメリカ・カナダ・日本・ドイツ・イギリス・スペイン・イタリア・デンマーク・ポーランド・オーストラリア・南アフリカから18社の企業が参加するグループとなっている。

一方、サルビア・ブルーチキータ(Salvia‘Blue Chiquita’)は、氏素性がよくわからない栽培品種のようだが、
メキシコで発見されたとも言われていて、「Salvia longispicata」となんらかの関係があるのではなかろうかと思われている。

(写真) Salvia longispicata
 
出典:Robin’s Salvias

サルビア・ブルーチキータ(Salvia‘Blue Chiquita’)>

 
・ シソ科アキギリ属(サルビア属)の耐寒性が強くない多年草
・ 学名は、Salvia‘Blue Chiquita’で親がわからない栽培品種。
・ 草丈1mぐらいだが、花穂が30cm程度伸びる。
・ 開花期は9-10月で、ライトブルーの花を次から次へと咲かせる。
コメント (2)

レオノチスセージ(Leonotis sage)の花

2011-11-06 16:06:32 | セージ&サルビア
好天気が続いたので霜が落ちる前にすべり込みセーフで開花した。

(写真)レオノチスセージの花


Lion's Tail(ライオンの尻尾)と呼ばれる「レオノチスセージ(Leonotis sage)」、 どこが“ライオンの尻尾”なのだろうかと考えていたが、その立ち姿にあるのだろうと思うようになって来た。

200cm程に直立に伸び、基部は木質化しライオンが尻尾を立てたときの姿に似る。
上部に花が輪生しオレンジ色の大きな花が咲く。まるで尻尾に結んだリボンのようで、タイヨウチョウ(sunbird)をひきつける。
花は上部に向って咲き、タイヨウチョウが空中で停止(ホバリング)しながら長いくちばしを使い花の蜜を吸うときに花粉を着けやすい形をしている。しかも移動を少なくするため輪生して咲く。ぱっと見た目が奇抜でも、生き残った形には合理的な理由があることがわかる。
葉は対生し、細長い披針形のダークグリーン色でシャープでスリムな全体の印象をかもし出している。

このレオノチスセージ、セージと呼ばれているがサルビア属の植物ではない。
薬草として使われていたのでセージと名づけられているが、レオノチス属(Leonotis)に分類され、属名はブラウン(Brown, Robert 1773-1858)によって1810年に命名され、レオノチスセージ(Leonotis leonurus (L.) R.Br. (1811))は、翌年1811年にブラウンによって命名された。

命名者ロバート・ブラウンと採取者?
 
(出典)Australian National University

このブラウンはスコットランド生まれの植物学者で、多くのプラントハンターを海外に派遣したバンクス卿の支援を受け1801-1805年までオーストラリア探検隊に加わり数多くの新種の標本を持ち帰り、その成果を1810年に「Prodromus Florae Novae Hollandiae」として発表した。
帰国後はバンクス卿のアシスタントとしてバンクス卿が集めた植物コレクションの分類・研究を行い、1825年に被子植物と裸子植物の違いを最初に見分け、1827年には“ブラウン運動”として有名になる水面上に浮かべた花粉が破裂すると中から出てきた微粒子が不規則に動くことを発見した。ブラウン運動の原因は、ブラウンの没後1905年にアインシュタインによって解明された。

ブラウンは南アフリカに旅行していないので彼が採取して命名したわけではない。命名したのが1811年なので、これ以前に南アフリカにプラントハンティングに出かけ、バンクス卿に植物標本を送った人物となる。

(地図)フランシス・マッソンのプラトハンティングの旅

(出典)モノトーンでのときめき

可能性があるのは、マッソン(Masson, Francis 1741-1805)だろう。彼は、二回(1772-1775年、1786-1795年)南アフリカに旅していて、ケープタウンを基地として南部アフリカの奥地までプラントハンティングをしたので住民に重宝な薬草として使われていたこの植物が目に留まらないわけがない。そしてキューガーデンに採取した植物を送っていたのでその中に紛れ込んでいた可能性がある。
しかし、確証がない。

キューガーデンの記録にレオノチスセージ(Leonotis leonurus)の採取者としてあげられている中で、採取した時期は不明だがもう一人可能性がありそうな人物がいた。
バーチェル・ウイリアム(Burchell, William John 1781-1863)だ。
彼は、1810年に南アフリカケープに旅立ち、この地で5年間もの間内陸部を探検して5万もの標本を採取し1815年に英国のフルハムに戻っているので、可能性として否定できない。

Wild Dagga(野生のマリファナ)
南アフリカの伝統的な薬草として、咳、寒さ、インフルエンザ、胸部感染症、糖尿病、高血圧、湿疹、癲癇、遅れる月経、回虫、便秘、クモ、サソリ、蛇にかまれた傷に対する特効薬として使われていたようだが、効果がないところまで使われていたようだ。
また、Wild Dagga(野生のマリファナ)と呼ばれているように、アメリカ大陸以外にはタバコの原種がなかったので、タバコとして乾燥させた葉を喫煙していたようだが、煙は、不快な味覚があって、肺とのどへの刺激物であることが報告されている。(これをタバコというんだけど・・・)

いずれにしても、この薬草を大量に使用すると、器官・赤血球・白血球等に毒物的な悪い作用があることをネズミを使った動物実験であったようなので、花としての鑑賞にとどめた方がよさそうだ。

(写真)レオノチスセージの立ち姿
 

レオノチスセージ(Leonotis leonurus)
・ シソ科レオノチス属の耐寒性が弱い小潅木。
・ 学名はLeonotis leonurus (L.) R.Br. (1811)。英名はLion's Tail(ライオンの尻尾) Wild Dagga(野生のマリファナ)。日本の園芸市場では“レオノチスセージ”で流通。
・ 学名の命名者「R.Br.」は、Brown, Robert (1773-1858)
・ 原産地は南アフリカ、アンゴラで、草原、岩の多い荒地に生息する。
・ タバコのように喫煙される比較的無毒な南アフリカのハーブ
・ 樹高120-200cmで直立に育つ。ダークグリーンで披針形の細長い葉は対生し、葉の付け根に輪生して蕾をつける。
・ 開花期は晩夏から霜が落ちる晩秋にオレンジ色の花が咲く。
・ 土壌は、乾燥気味に育てる。
・ 関東以北では鉢植えで冬場は軒下・室内・温室で育てる。
・ 南アフリカではあらゆる病気に使われた薬草で、抗炎症性・低血糖特性効果があるようだ。

Leonotis は、“Lion's ear”を意味するラテンでシソ科レオノチス属の植物の総称。南アフリカに約20種が分布し、葉は披針形、花は白か橙色で葉腋(ようえき)に密につく。花後も萼(がく)が葉腋ごとに球状に残る。この属名はRobert Brown によって1810年に名づけられた。
Leonurusは、“Lion's tail(ライオンの尻尾)”を意味する。

コメント

Salvia viridis サルビア・ビリディスの花 (Painted sageペインテッドセージ)

2011-03-30 08:38:20 | セージ&サルビア

(写真)Salvia viridis サルビア・ビリディス


初夏の花 サルビア・ビリディス(Salvia viridis.L.(1753))の花が咲いた。

頭部の鮮やかなパープルは、花ではなくて葉で“苞葉(ほうよう)”という。芽や蕾を保護する役割を持った葉だが、この鮮やかさは、それ以上にミツバチを誘うサインを出しているという。
実際の花は苞葉の下にある、上がパープルで下が白色の口唇型のもので、5-10㎜程度と小さい。
頭部の苞葉には、パープル、ピンク、白色もあり、セージ特有の淡い緑色の葉とあいまって日本のガーデンでも最近人気があるサルビアとなっている。

サルビア・ビリディスの原産地は、地中海周辺の南ヨーロッパ、北アフリカ、クリミア半島、イランなどであり、石灰質の荒地に生育する草丈30-50cmの一年草だ。耐寒性は強くないようだが関東以西では屋外でも育つようだ。

個人的には、一年草のサルビアにはこれまで興味を持たないようにしてきたが、花が少ないこの時期に咲いていたのでつい手を出してしまった。

正式な学名はサルビア・ビリディス(Salvia viridis.L.(1753))だが、この花にはいくつかの名前がある。つい最近まではもうひとつの学名があり、Salvia horminum L.(1753)とも呼ばれていた。リンネが別種として1753年に二つの学名をつけてしまったのだからしょうがない。
流通では、Painted sage(ペインテッドセージ)で売られているが、こちらの方が良く知られている。確かに、水彩画で描かれたような味わいのあるサルビアだ。

英国の植物学の草分けジョン・ジェラード
このサルビアが英国のガーデンに登場したのは16世紀のことであり、英国の植物学の父とも言われるジェラード(John Gerard 1545 – 1611 or 1612)の庭にもあったという。以来、庭を飾る装飾物として人気を保ってきた。

ジェラードは、17歳で“Barber surgeon(床屋の外科医)”といわれたところに修行に出され医業にかかわる。
医業と書いたのには多少理由があるので、医療の簡単な歴史を振り返る必要がある。
ギリシャの時代には、医療は聖職者の一部が行い、薬草などはさらに身分が低い薬草採集者(リゾットモス)が野山を駆け巡って採取していた。このリゾットモスが初期のプラントハンターとでもいえるが、医薬は分業でなく階層だった。
これが中世になると、聖職者が出血が伴う手術をすることの論争があり、1215年のthe Tenth Lateran Council会議で聖職者が手術をすることが禁じられ、手術は修道院の管轄に移りカミソリに秀でた床屋が外科手術を行うことになったという。

この痕跡が今日の床屋の看板にある。赤と青の線がねじれるように回転しているが、赤は動脈、青は静脈を意味し、“Barber surgeon(床屋の外科医)”の流れを受け継いでいることを誇示している。
だからか、マフィアのボスが行く床屋は子分にやらせている。寝首をかかれたのではかなわない。こんなギャング映画を見てしまったせいか、床屋でひげを剃るたびチョット心配になる。

ジェラードは、この理容外科医で儲けたようだ。エリザベス女王の時代の偉大な政治家バーレイ卿(William Cecil, Lord Burghley 1521-1598)のテオボルズ庭園の管理を長年やり、自分でもロンドン郊外の小さな村ホールボーンに贅沢な庭園を持った。
1596年にこの庭にある約1000種の植物目録を出版した。庭園で栽培される植物についての初めての出版物であり、これがジェラードの名声を高めることになる。
1597年には、「Great Herball, or Generall Historie of Plantes(植物誌、植物の一般来歴)」を出版した。この本は中世を支配したディオスコリデスの「薬物誌(マテリア・メディカ)」から脱し、自国の植物を母国語で記述した始まりでもあった。
ただ、ベルギーの植物学者ドドエンス(ドドネス)(Rembert Dodoens 1516-1585)の著作の翻訳を下書きにして書いたという批判もある。

軽い逸話としては、エリザベス女王の愛人ともいわれるローリー卿(Walter Raleigh, 1554年-1618年)は、新大陸アメリカに英国初の植民地を築き、また、英国に初めてジャガイモをもたらしたと言われている。

ジェラードの植物誌にはジャガイモが記載されているが、このローリー卿から教えられたものという。

(写真)サルビア・ビリディスの立ち姿
  

サルビア・ビリディス Salvia viridis.L.(1753)

・ シソ科アキギリ属の耐寒性がない一年草。
・ 学名 Salvia viridis.L.(1753)、種小名のviridisは“緑”を意味する。
・ 英名:Painted sage(ペインテッドセージ)間違ってClary(クラリーセージ)とも呼ばれた。和名:ムラサキサルビア。
・ 原産地は地中海周辺の南ヨーロッパ、北アフリカ、イラン
・ 草丈30-50cmで石灰質の荒地に生育
・ 開花期は、6-7月の夏場。
・ 種は秋蒔きか3月ころの春蒔き。
・ 耐寒性がやや弱いので注意。
・ 日当たりの良い石灰質の土壌で乾燥気味に育てる。

コメント