(写真)サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)の花
日本の園芸店でブルーセージ(Blue sage)として販売されているサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)は、開花期が長く春から晩秋までの長い間咲く。夏場は暑さに弱いため一休みするが、その休み前の一時の写真を撮った。
不思議なことに過去のサルビアの栽培記録を見直してみたら、今回が初めての栽培ということが分かった。
何故手を出さないできたかというと、1年草の扱いがされてきたためで、同じ扱いがされている真っ赤な花が咲き園芸店で「サルビア」として販売されているサルビア・スプレンデンス(Salvia splendens)にも手を出していない。但し、多年草の園芸品種には幾つか手を出して栽培しているが・・・。
サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)もブルーセージ(Blue sage)と呼ばれているが、同じブルーセージと呼ばれるサルビアが結構ある。
しかしこれでは区別がつかない。サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のブルーセージはしょうがないとして、他は識別がつくように次のように呼ばれている。
・アズレアブルーセージ(Salvia azurea)
・コスミックブルーセージ(Salvia sinaloensis)
・メキシカンブルーセージ(Salvia chamaedryoides)
サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のコレクターと命名のなぞ
この、サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)は、メキシコ北部から米国南部テキサス地域が原産地で、
1823年4月にフランスの探検家で博物学者のベルランディア(Berlandier, Jean Louis 1805-1851)によって米国テキサス(米墨戦争前はメキシコ)で採取され、
1833年に英国の大植物学者ベンサム(Bentham, George 1800-1884)によって「Salvia farinacea Benth. 1833」と命名された。
どうしてベンサムが命名できたのだろうか? というのが疑問となる。
(写真)Berlandier著「The Indians of Texas in 1830」
(写真) Berlandier Owl (Strix torquata)
出典:Smithsonian Institution Archives.
サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のコレクター、ベルランディアは、メキシコとアメリカの国境地帯での動植物調査を1827年~1829年までの20歳代の若い時に経験し、1829年11月からは米国との国境近くにあるタマリパス州マタモロスで医師・薬剤師として居住し、この一帯の植物調査を行ったという。現在のマタモロスは、米国と国境を接し、GM、ベンツなどの自動車生産の拠点となってる発展著しいところだ。
ベルランディアが採取した植物は、スイスの大植物学者デ・キャンドール(Augustin Pyrame de Candolle 1778‐1841)の息子Alphonse de Candolle(1806-1893)にも送ったというので、サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)もデ・キャンドールの息子のところに届いていたのだろう。
一方、ベルランディアは、ある面で米国とメキシコの国境地帯の自然環境・地理に詳しいスペシャリストでもあり、米国とメキシコとの間で起きた米墨戦争(1846-1848)ではメキシコ軍の大尉・地図製作者として参加し、メキシコ敗戦後にカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド等領土の1/3を割譲する協定を結んだが、国境を画定する委員会に現地を知るエキスパートとして参画したという。
奥地を探検するプラントハンターは、いざ戦争となるとその特殊能力が高い価値を持ち、地図製作者、諜報員・スパイなどで戦争に巻き込まれやすい。
ベルランディアよりも20年も前にサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)を採取した人間がいた。
時期としては1787年~1803年頃で、メキシコ、サカテカス州ラ・カヘテイリャ辺りで採取し、この植物に「Salvia linearis」と命名した。種小名の“linearis”は“リニア”つまり真直ぐに伸びる花穂を意味したのだろう。
採取し名前を付けたのは、スペイン王立メキシコ植物探検隊の隊長セッセ(Sessé y Lacasta, Martín 1751 –1808)とその隊員のモシーニョ(Mociño, José Mariano 1757 ‐1820)だった。
彼らがスペインに戻り提出した報告書が発見され、1887年にメキシコで出版され以上のことが明らかになった。
ルールでは、先に公表し認められた植物名とその命名者が採用されることになっているので、セッセ達の命名は残念ながら採用されない。
しかし、命名者ベンサムは、何処で或いはどの植物標本を見てサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)と命名したのだろうか?
推理するための事実を箇条書きにまとめてみると次のようになる。
1.メキシコで植物を採取しているベルランディアが採取した植物標本は、デ・キャンドールの息子に届けられていた。
2.セッセ探検隊の成果である植物画はモシーニョーが持っていて、これをデ・キャンドールに一時預け、デ・キャンドールはこのコピーを作り保持していた。
3.セッセ探検隊の成果である植物標本及び特徴などを記述したものが、当時のスペインの植物学者パボン(Pavón, Jiménez José Antonio Jiménez 1754-1840)のコレクションに紛れ込んだようだ。この標本は現在キューガーデン、大英博物館にあるという。
4.ベンサムはデ・キャンドールを尊敬し又親交があった。
5.1830~1834年の間、ベンサムはヨーロッパ中の植物標本を調べるために各地を訪問した。
ベンサムとそれぞれの関係を見ると
1.デ・キャンドール親子とは親交があり、1830年からの訪問で植物標本或いはセッセ探検隊の植物画のコピーを見せてもらった可能性は高い。
2.パポンのコレクションを見せてもらい、又このコレクションに紛れ込んだセッセ探検隊の植物標本を見た可能性も否定できない。
1833年にベンサムが「Salvia farinacea Benth. 1833」と命名しているので、デ・キャンドール親子からの情報ルートの確率が高そうだ。
(写真)サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)立ち姿
サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)
・シソ科アキギリ属の耐寒性が弱い多年性小木。日本では、耐寒性が無いため1年草として扱われている。
・学名はサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea Benth. (1833).)。種小名のファリナセアは“粉をふく”という意味で、1833年に英国の植物学者ベンサム(George Bentham 1800-1884)によって命名された。
・英名ではmealy sage“粉状のセージ”と呼ばれるが、日本では花色の青さでブルーセージ(Blue sage)として流通・販売している。。
・原産地はメキシコ北部からアメリカ・テキサス。
・丈は60cm、横幅30cm程度で直立した低木。
・20cm程度の花柄を伸ばしその茎にラベンダー色の花を多数咲かせる。開花期は晩春~晩秋で夏場は木陰で休ませると良い。
・葉はコンパクトで、披針形。
・冬場は水をあまりやらずに、室内又は霜の当たらない暖かいところで管理する。
【セッセ探検隊の物語】
先行しているはずのセッセ探検隊の成果報告が消えた謎解きをされたい方は
No33:セッセ探検隊①:偶然から始ったメキシコ植物探検隊
No34:セッセ探検隊②:メキシコ植物相探検プロデューサー、オルテガと隊員
No35:セッセ探検隊③:準備・第一回の探検(1787-1788年)
No36:セッセ探検隊④:仲たがい
No37:セッセ探検隊⑤:世紀の谷間に消えたセッセ探検隊の成果
No38:セッセ探検隊⑥:漂流するモシニョーと植物画
No39:セッセ探検隊⑦:漂流するモシニョーと植物画:その2
No40:セッセ探検隊⑧:セッセ探検隊が採取したサルビア
日本の園芸店でブルーセージ(Blue sage)として販売されているサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)は、開花期が長く春から晩秋までの長い間咲く。夏場は暑さに弱いため一休みするが、その休み前の一時の写真を撮った。
不思議なことに過去のサルビアの栽培記録を見直してみたら、今回が初めての栽培ということが分かった。
何故手を出さないできたかというと、1年草の扱いがされてきたためで、同じ扱いがされている真っ赤な花が咲き園芸店で「サルビア」として販売されているサルビア・スプレンデンス(Salvia splendens)にも手を出していない。但し、多年草の園芸品種には幾つか手を出して栽培しているが・・・。
サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)もブルーセージ(Blue sage)と呼ばれているが、同じブルーセージと呼ばれるサルビアが結構ある。
しかしこれでは区別がつかない。サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のブルーセージはしょうがないとして、他は識別がつくように次のように呼ばれている。
・アズレアブルーセージ(Salvia azurea)
・コスミックブルーセージ(Salvia sinaloensis)
・メキシカンブルーセージ(Salvia chamaedryoides)
サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のコレクターと命名のなぞ
この、サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)は、メキシコ北部から米国南部テキサス地域が原産地で、
1823年4月にフランスの探検家で博物学者のベルランディア(Berlandier, Jean Louis 1805-1851)によって米国テキサス(米墨戦争前はメキシコ)で採取され、
1833年に英国の大植物学者ベンサム(Bentham, George 1800-1884)によって「Salvia farinacea Benth. 1833」と命名された。
どうしてベンサムが命名できたのだろうか? というのが疑問となる。
(写真)Berlandier著「The Indians of Texas in 1830」
(写真) Berlandier Owl (Strix torquata)
出典:Smithsonian Institution Archives.
サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)のコレクター、ベルランディアは、メキシコとアメリカの国境地帯での動植物調査を1827年~1829年までの20歳代の若い時に経験し、1829年11月からは米国との国境近くにあるタマリパス州マタモロスで医師・薬剤師として居住し、この一帯の植物調査を行ったという。現在のマタモロスは、米国と国境を接し、GM、ベンツなどの自動車生産の拠点となってる発展著しいところだ。
ベルランディアが採取した植物は、スイスの大植物学者デ・キャンドール(Augustin Pyrame de Candolle 1778‐1841)の息子Alphonse de Candolle(1806-1893)にも送ったというので、サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)もデ・キャンドールの息子のところに届いていたのだろう。
一方、ベルランディアは、ある面で米国とメキシコの国境地帯の自然環境・地理に詳しいスペシャリストでもあり、米国とメキシコとの間で起きた米墨戦争(1846-1848)ではメキシコ軍の大尉・地図製作者として参加し、メキシコ敗戦後にカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド等領土の1/3を割譲する協定を結んだが、国境を画定する委員会に現地を知るエキスパートとして参画したという。
奥地を探検するプラントハンターは、いざ戦争となるとその特殊能力が高い価値を持ち、地図製作者、諜報員・スパイなどで戦争に巻き込まれやすい。
ベルランディアよりも20年も前にサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)を採取した人間がいた。
時期としては1787年~1803年頃で、メキシコ、サカテカス州ラ・カヘテイリャ辺りで採取し、この植物に「Salvia linearis」と命名した。種小名の“linearis”は“リニア”つまり真直ぐに伸びる花穂を意味したのだろう。
採取し名前を付けたのは、スペイン王立メキシコ植物探検隊の隊長セッセ(Sessé y Lacasta, Martín 1751 –1808)とその隊員のモシーニョ(Mociño, José Mariano 1757 ‐1820)だった。
彼らがスペインに戻り提出した報告書が発見され、1887年にメキシコで出版され以上のことが明らかになった。
ルールでは、先に公表し認められた植物名とその命名者が採用されることになっているので、セッセ達の命名は残念ながら採用されない。
しかし、命名者ベンサムは、何処で或いはどの植物標本を見てサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)と命名したのだろうか?
推理するための事実を箇条書きにまとめてみると次のようになる。
1.メキシコで植物を採取しているベルランディアが採取した植物標本は、デ・キャンドールの息子に届けられていた。
2.セッセ探検隊の成果である植物画はモシーニョーが持っていて、これをデ・キャンドールに一時預け、デ・キャンドールはこのコピーを作り保持していた。
3.セッセ探検隊の成果である植物標本及び特徴などを記述したものが、当時のスペインの植物学者パボン(Pavón, Jiménez José Antonio Jiménez 1754-1840)のコレクションに紛れ込んだようだ。この標本は現在キューガーデン、大英博物館にあるという。
4.ベンサムはデ・キャンドールを尊敬し又親交があった。
5.1830~1834年の間、ベンサムはヨーロッパ中の植物標本を調べるために各地を訪問した。
ベンサムとそれぞれの関係を見ると
1.デ・キャンドール親子とは親交があり、1830年からの訪問で植物標本或いはセッセ探検隊の植物画のコピーを見せてもらった可能性は高い。
2.パポンのコレクションを見せてもらい、又このコレクションに紛れ込んだセッセ探検隊の植物標本を見た可能性も否定できない。
1833年にベンサムが「Salvia farinacea Benth. 1833」と命名しているので、デ・キャンドール親子からの情報ルートの確率が高そうだ。
(写真)サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)立ち姿
サルビア・ファリナセア(Salvia farinacea)
・シソ科アキギリ属の耐寒性が弱い多年性小木。日本では、耐寒性が無いため1年草として扱われている。
・学名はサルビア・ファリナセア(Salvia farinacea Benth. (1833).)。種小名のファリナセアは“粉をふく”という意味で、1833年に英国の植物学者ベンサム(George Bentham 1800-1884)によって命名された。
・英名ではmealy sage“粉状のセージ”と呼ばれるが、日本では花色の青さでブルーセージ(Blue sage)として流通・販売している。。
・原産地はメキシコ北部からアメリカ・テキサス。
・丈は60cm、横幅30cm程度で直立した低木。
・20cm程度の花柄を伸ばしその茎にラベンダー色の花を多数咲かせる。開花期は晩春~晩秋で夏場は木陰で休ませると良い。
・葉はコンパクトで、披針形。
・冬場は水をあまりやらずに、室内又は霜の当たらない暖かいところで管理する。
【セッセ探検隊の物語】
先行しているはずのセッセ探検隊の成果報告が消えた謎解きをされたい方は
No33:セッセ探検隊①:偶然から始ったメキシコ植物探検隊
No34:セッセ探検隊②:メキシコ植物相探検プロデューサー、オルテガと隊員
No35:セッセ探検隊③:準備・第一回の探検(1787-1788年)
No36:セッセ探検隊④:仲たがい
No37:セッセ探検隊⑤:世紀の谷間に消えたセッセ探検隊の成果
No38:セッセ探検隊⑥:漂流するモシニョーと植物画
No39:セッセ探検隊⑦:漂流するモシニョーと植物画:その2
No40:セッセ探検隊⑧:セッセ探検隊が採取したサルビア