その19:本草書のトレンド③
本草書のナショナリズム。 自国の植物を自国の言語で!
氷河期に南に下がった植物は、氷河期が終わり地球が温暖になっても
アルプス山脈にさえぎられ北上できなかったといわれている。
異なる植物相に気づき、1000年以上も続いたワンパターンからやっと脱しようとする動きが出てきた。
それは、自国の植物を対象にした、自国の言葉でのオリジナルな植物の物語が始まった。
しかも、周縁のところで。
植物画での新しさはないが、植物を見る視線では模倣を脱している。
=本草書は、中心から周縁に拡張=
ピエトロ・アンドリア・マッティオリ(Pietro Andrea Mattioli 1500-1577)イタリア
・1544年 イタリア語で『ディオスコリデス注解』ヴェネツィアにて出版
・チロル大公フェルディナンドのコレクションの館長で医師。
・見事な図版が挿入されているが装飾性を引きずっている。
ウイリアム・ターナー(William Turner 1508 – 1568)イギリス
・1551~1568年 フックスの図を下敷きに『新本草書』を出版。
・英語で書かれた初めての本草書。238種の英国の植物を記載。
(注)1568 - Turner, William (author) - Cologne, Germany - Chicago Botanic Garden Library
※『新本草書』をクリックした先にある画像は、レア本を拡大してみるページにジャンプします。左下のページ表示したコマを選択・クリックすると拡大画像が右上に表示されます。虫眼鏡で部分拡大などができます。
レンベルト・ドドエンス(ドドネス)(Rembert Dodoens 1516-1585)ベルギー
・1554年 オランダ語で『クリュードベック(Cruydeboeck)』を出版。多くの国で翻訳された。
・1583年 『ペンプタデス植物誌』(全六巻) アントウエルペンのプランティン書店から出版
・ドドエンスの本は、日本に移入され日本の本草学者に大きな影響を及ぼした。
・1644年『Herbarius oft Cruydt-Boeck』
ジョン・ジェラード(John Gerard 1545-1611) イギリス
・1597年 ドドエンスの植物誌を下敷きにして『草本書又は博物誌』を出版
・イギリスで最初の園芸書
・草花を専門に育てるアマチュア園芸家の伝統の先駆となる。
・1800種の植物が記載され、ほとんどのハーブが含まれている。
あやふやで不確かな文章、劣化していくビジュアル。
これらは、筆写・写本につき物であり、教祖からの口伝がなければ教科書として使えない。
活字と版画を組み合わせた印刷は、版を変えない限り変質・劣化せず同一性が保てる。
しかも、ナレッジ供給は、早く・安く・大量で・正確に増加させることが出来る。
まるで、1990年代に始まったインターネットのようだ。
16世紀以降のヨーロッパでの知識・科学革命は、
表現の手段としてのBook・印刷が、時代を刺激し、“科学する”という目標を与えたから
起きたとも言えそうだ。
そして印刷メディアが求めたコンテンツとしての本草書は、
画家・アーティスト・職人が、植物をリアルに描くという絵画とは異なる手法を発見し、
身近な植物を写していくという行為からたどり着いた。
ディオスコリデスがローマ軍医として各地を転戦して植物観察をした
この原点にたどり着き、筆写ではない、版画と活字印刷を使った新しい様式に
うまくはまった。というのかもしれない。
しかし、準備をあまりせずに新しいメディアに乗ってしまったので、
ブームを定着させるコンセプトが提起できなかったためか、
17世紀後半からは、薬効の誤りなどを指摘され、本草書ブームは衰退することになる。
しかし、自然を客観的に見つめ、そこにある秩序を求める視線は消えずに残り、
異なるアプローチで発展することとなる。
<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
・イスラムの世界へ
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・グーテンベルク 活版印刷技術(合金製の活字と油性インク使用)を実用化(1447年)
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
⇒Here 『草本書の時代』(16世紀ドイツ中心に発展)【その17、その18】
⇒Here レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本。ドイツ【その18】
⇒Here 『草本書の時代』(ヨーロッパ周辺国に浸透)【その19】
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】
本草書のナショナリズム。 自国の植物を自国の言語で!
氷河期に南に下がった植物は、氷河期が終わり地球が温暖になっても
アルプス山脈にさえぎられ北上できなかったといわれている。
異なる植物相に気づき、1000年以上も続いたワンパターンからやっと脱しようとする動きが出てきた。
それは、自国の植物を対象にした、自国の言葉でのオリジナルな植物の物語が始まった。
しかも、周縁のところで。
植物画での新しさはないが、植物を見る視線では模倣を脱している。
=本草書は、中心から周縁に拡張=
ピエトロ・アンドリア・マッティオリ(Pietro Andrea Mattioli 1500-1577)イタリア
・1544年 イタリア語で『ディオスコリデス注解』ヴェネツィアにて出版
・チロル大公フェルディナンドのコレクションの館長で医師。
・見事な図版が挿入されているが装飾性を引きずっている。
ウイリアム・ターナー(William Turner 1508 – 1568)イギリス
・1551~1568年 フックスの図を下敷きに『新本草書』を出版。
・英語で書かれた初めての本草書。238種の英国の植物を記載。
(注)1568 - Turner, William (author) - Cologne, Germany - Chicago Botanic Garden Library
※『新本草書』をクリックした先にある画像は、レア本を拡大してみるページにジャンプします。左下のページ表示したコマを選択・クリックすると拡大画像が右上に表示されます。虫眼鏡で部分拡大などができます。
レンベルト・ドドエンス(ドドネス)(Rembert Dodoens 1516-1585)ベルギー
・1554年 オランダ語で『クリュードベック(Cruydeboeck)』を出版。多くの国で翻訳された。
・1583年 『ペンプタデス植物誌』(全六巻) アントウエルペンのプランティン書店から出版
・ドドエンスの本は、日本に移入され日本の本草学者に大きな影響を及ぼした。
・1644年『Herbarius oft Cruydt-Boeck』
ジョン・ジェラード(John Gerard 1545-1611) イギリス
・1597年 ドドエンスの植物誌を下敷きにして『草本書又は博物誌』を出版
・イギリスで最初の園芸書
・草花を専門に育てるアマチュア園芸家の伝統の先駆となる。
・1800種の植物が記載され、ほとんどのハーブが含まれている。
あやふやで不確かな文章、劣化していくビジュアル。
これらは、筆写・写本につき物であり、教祖からの口伝がなければ教科書として使えない。
活字と版画を組み合わせた印刷は、版を変えない限り変質・劣化せず同一性が保てる。
しかも、ナレッジ供給は、早く・安く・大量で・正確に増加させることが出来る。
まるで、1990年代に始まったインターネットのようだ。
16世紀以降のヨーロッパでの知識・科学革命は、
表現の手段としてのBook・印刷が、時代を刺激し、“科学する”という目標を与えたから
起きたとも言えそうだ。
そして印刷メディアが求めたコンテンツとしての本草書は、
画家・アーティスト・職人が、植物をリアルに描くという絵画とは異なる手法を発見し、
身近な植物を写していくという行為からたどり着いた。
ディオスコリデスがローマ軍医として各地を転戦して植物観察をした
この原点にたどり着き、筆写ではない、版画と活字印刷を使った新しい様式に
うまくはまった。というのかもしれない。
しかし、準備をあまりせずに新しいメディアに乗ってしまったので、
ブームを定着させるコンセプトが提起できなかったためか、
17世紀後半からは、薬効の誤りなどを指摘され、本草書ブームは衰退することになる。
しかし、自然を客観的に見つめ、そこにある秩序を求める視線は消えずに残り、
異なるアプローチで発展することとなる。
<<ナチュラリストの流れ>>
・古代文明(中国・インド・エジプト)
・アリストテレス(紀元前384-322)『動物誌』ギリシャ
・テオプラストス(紀元前384-322)『植物誌』植物学の父 ギリシャ
・プリニウス(紀元23-79)『自然誌』ローマ
・ディオスコリデス(紀元1世紀頃)『薬物誌』西洋本草書の出発点、ローマ
⇒Here 地殻変動 ⇒ 知殻変動【その15】
・イスラムの世界へ
⇒Here 西欧初の大学 ボローニアに誕生(1088)【その13】
⇒Here 黒死病(ペスト)(1347)【その10】
・グーテンベルク 活版印刷技術(合金製の活字と油性インク使用)を実用化(1447年)
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)イタリア
⇒Here コロンブスアメリカ新大陸に到着(1492)【その4~8】
⇒Here ルネッサンス庭園【その11】
⇒Here パドヴァ植物園(1545)世界最古の研究目的の大学付属植物園【その12】
⇒Here 『草本書の時代』(16世紀ドイツ中心に発展)【その17、その18】
⇒Here レオンハルト・フックス(1501-1566)『植物誌』本草書の手本。ドイツ【その18】
⇒Here 『草本書の時代』(ヨーロッパ周辺国に浸透)【その19】
・李時珍(りじちん 1518-1583)『本草網目』日本への影響大、中国
⇒Here 花卉画の誕生(1606年) 【その1~3】
⇒Here 魔女狩りのピーク(1600年代)【その14】
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