モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’の花

2009-07-04 08:42:21 | セージ&サルビア
(写真)スプレンデンス ’ヘレンディロン’の花


「サルビア・スプレンデンス」は、耐寒性が無いため一年草の扱いがされているが、無事に越冬し一年中花を咲かせている。一年草というよりも四季咲き一年中草といいたいほどだ。
日当たりが良い霜の降りない場所を確保して、花後の追肥,週に一回の液肥、咲き終わったら切り戻すことをしていただけなのに良く咲いてくれる。

この「サルビア・スプレンデンス」は、ブラジルの高度2000-3000mの一年中を通じて温暖なところに自生しているので、気温の変化を少なくしてあげたのが咲き続けることにつながったのだろう。

と多少自慢したかったが、緋色のスプレンデンスに対してパープルの花色なので違った品種か園芸品種であることを疑いチェックすべきだった。

よくよく調べてみると園芸品種の「ヘレンディロン‘Helen Dillon’」であることがわかり、その特色は多年草だった。だから、越冬してもおかしくはない。
今日まで気づかなかったのが“おかしい”ということなのだろう。
ちょっと反省!

「ヘレン・ディロン‘Helen Dillon’」は、実在の人物がいる。アイルランドの著名な女性ガーデナーで、“the Dillon Garden”のオーナーでもある。確認できなかったが、この庭園で作出されたか、作出者が彼女に献じられたかのいずれかだろう。

後述するが、緋色の「サルビア・スプレンデンス」は、1817年に学名が登録されているが、この前後にロンドンに入ってきて、“Lee’s scarlet sage”として人気を博しているので、英国が品種改良の拠点になってもおかしくはない。

(写真) サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’の葉と花
        

サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’(Salvia splendens ‘Helen Dillon’)
・ シソ科アキギリ属の耐寒性がない多年草だが、越冬が難しいため1年草として扱う。
・1817年に登録された学名は、Salvia splendens Sellow ex Roem. & Schult。英名はscarlet sage。別名bonfire salvia(大きなかがり火のようなサルビア)。和名はヒゴロモソウ(緋衣草)。
・その園芸品種で学名は、Salvia splendens ‘Helen Dillon’。
・原産地はブラジル。2000-3000mの高地で気温が温暖なところ。
・草丈30cm程度。
・開花期は6~10月で花と顎のツートンのダークパープルが美しい。花が散っても顎だけでも様になる。
・花が咲き終わったら切り戻しておくと秋に2番目の花が咲く。
・冬場は、霜のあたらない日当たりが良い軒下で管理。

命名者
レーマー(Roemer, Johann Jakob 1763-1819):スイスの医者・植物学の教授、
シュルテス(Schultes, Josef (Joseph) August 1773-1831):オーストリアの植物学者
二人で、リンネの野菜の体系第16版を出版した。

命名者・コレクター
セロウ(Sellow, Friedrich 1789-1831)は以下に記載

        

S.スプレンデンス発見者の話
サルビア・スプレンデンスは、ドイツ生まれの植物学者セロウ(Friedrich Sellow 1789-1831)によってブラジルで発見された。

セロウはポツダムの王立庭園の庭師の子供として生まれ、庭師の勉強を積み、ベルリン植物園で働きながら勉強をし、1810年にはパリで当時に最高の植物学者であるラマルク(Jean-Baptiste Lamarck)、キュヴィエ(Georges Cuvier)から教えを受け科学的な植物学に接した。

1811年には、フンボルト(Alexander von Humboldt 1769-1859)の支援を得て、オランダとイギリスで勉強をしたが、ナポレオン戦争が始まりドイツに戻れなくなり、縁あって1814年にはリオデジャネイロに行った。

そこでセロウは、ブラジルを中心に植物探索を行い900以上の新種を発見しており、ブラジルの植物研究への貢献は素晴らしいものがある。

セロウが採取した植物は、スポンサーがいるロンドンにも送られており、そのうちの一つがS.スプレンデンスだった。
この花は、当時“Lee's Scarlet Sage”と呼ばれ、イギリス、ドイツでの夏の園芸商品として人気を博したようだ。
このLeeは、ジョゼフィーヌも愛用した世界No1ナーサリー“リーアンドケネディ商会”の二代目Lee,James(1754-1824)であろう。セロウ=プラントハンターの活動を支え保証するナーサリーの勃興と薬用などの有用性だけでなく花の美的価値を発見した園芸の普及がこの頃から加速した。

1831年彼は42歳の若さで亡くなった。なんと川で溺れ死んだようだ。

ポツダムの庭師の子供が、当時のヨーロッパ最高の植物学者たちの知遇をえてこれを吸収し、植物学的な真空地帯であったブラジルで花開き、駆け足で一生を走り抜けていった。
その1輪が緋色をしたスカーレットセージ(Scarlet sage)を残して。

すでにその機会を失した私は、緋色をしたセージを嫌い、ダークパープルなセージを楽しむことにした。

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2 コメント

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この色は初めてです (kazuko)
2009-07-04 20:48:12
こういう色をした、スプレンデンスがあるなんて知りませんでした。シックでいいですね。去年うちの軒下でも少し緋色のスプレンデンスが残ったのですが、今年はないので、やはりダメになったようです。ブルーサルビアもぎりぎりくらいです。白いのもありますよね。こちらも魅力的だなと思います。
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和さん (tetsuo)
2009-07-05 03:38:57
緋色のスプレンデンスは、残念ながら一年草なので、残らないのが普通のようです。
原産地では多年草なのですが日本では気候風土で一年草になるようですが、これを残したと思ったら大間違いだった・・・というのが事の顛末でした。
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