鴨ノ巣一里塚
鴨ノ巣一里塚です。
江戸へ93里、京へ41里とあります。
このあたりの一里塚は道を挟んで両側に造られています。
開発によって消えているところも多いですが、ここには
比較的きれいな姿で残っていました。
反対側の一里塚です。
ここは瑞浪市なので、瑞浪一里塚とも呼んでいるようです。
春になれば草で覆われるようですが、この時期は草も枯れていて
塚の姿がよくわかります。
案内板
このような案内板もところどころにありました。
現在地が一番左にありますから、京から江戸に向かう人の
ためのようです。
我々が歩いてきたルートを振り返るのに役立ちました。
この日は誰にも会いませんでしたが、部分的なハイキング
コースになっているようでした。
ヤママユ
足元にマユが落ちていました。
ヤママユ(ヤママユガ)のようです。
天蚕(てんさい)と呼ばれ、このマユからきれいな色の
絹がとれます。
幼虫はクヌギやコナラの葉っぱを食べて成長します。
このあとも数個見かけました。
左の竹林が日差しを浴びてきれいでした。
竹は大きくモウソウダケのようです。
タケノコをとる人もいないようでかなり荒れていました。
落ち葉を踏みながらの道が続きます。
冬枯れの落ち葉は気持よいものです。
但し、落ち葉の下に何があるかわかりません。
歩く時には注意が必要です。
唄清水
唄清水という水場がありました。
昔の旅人がここで喉を潤して唄でも歌ったのでしょうか?
現在は「飲めない」そうです。
一呑の清水
すぐ近くにも名水がありました。
「一呑の清水」というそうです。
パンフレットには皇女和宮も賞味して大いに喜んだと
書いてあります。
やはり現在はそのままでは飲めないそうです。
標識
我々は右に向かっています。
耳神社とは耳の悪い人がお参りすると治るそうです。
この先の高台にありました。
小さな祠だけがある神社でした。
謡坂石畳
石畳がでてきました。
謡坂の石畳と呼ばれています。
旅の途中で苦しさを紛らすために唄を歌ったので
「うとうざか」と呼ばれているそうです。
石畳
かなり長い石畳です。
京から江戸に向かう時には上りになります。
やはり唄でも歌いたくなりそうです。
雨が降ると滑りやすそうです。
左に空き地がありましたが、昔は家が建っていたようです。
今はその面影も残っていませんでした。
鴨ノ巣一里塚です。
江戸へ93里、京へ41里とあります。
このあたりの一里塚は道を挟んで両側に造られています。
開発によって消えているところも多いですが、ここには
比較的きれいな姿で残っていました。
反対側の一里塚です。
ここは瑞浪市なので、瑞浪一里塚とも呼んでいるようです。
春になれば草で覆われるようですが、この時期は草も枯れていて
塚の姿がよくわかります。
案内板
このような案内板もところどころにありました。
現在地が一番左にありますから、京から江戸に向かう人の
ためのようです。
我々が歩いてきたルートを振り返るのに役立ちました。
この日は誰にも会いませんでしたが、部分的なハイキング
コースになっているようでした。
ヤママユ
足元にマユが落ちていました。
ヤママユ(ヤママユガ)のようです。
天蚕(てんさい)と呼ばれ、このマユからきれいな色の
絹がとれます。
幼虫はクヌギやコナラの葉っぱを食べて成長します。
このあとも数個見かけました。
左の竹林が日差しを浴びてきれいでした。
竹は大きくモウソウダケのようです。
タケノコをとる人もいないようでかなり荒れていました。
落ち葉を踏みながらの道が続きます。
冬枯れの落ち葉は気持よいものです。
但し、落ち葉の下に何があるかわかりません。
歩く時には注意が必要です。
唄清水
唄清水という水場がありました。
昔の旅人がここで喉を潤して唄でも歌ったのでしょうか?
現在は「飲めない」そうです。
一呑の清水
すぐ近くにも名水がありました。
「一呑の清水」というそうです。
パンフレットには皇女和宮も賞味して大いに喜んだと
書いてあります。
やはり現在はそのままでは飲めないそうです。
標識
我々は右に向かっています。
耳神社とは耳の悪い人がお参りすると治るそうです。
この先の高台にありました。
小さな祠だけがある神社でした。
謡坂石畳
石畳がでてきました。
謡坂の石畳と呼ばれています。
旅の途中で苦しさを紛らすために唄を歌ったので
「うとうざか」と呼ばれているそうです。
石畳
かなり長い石畳です。
京から江戸に向かう時には上りになります。
やはり唄でも歌いたくなりそうです。
雨が降ると滑りやすそうです。
左に空き地がありましたが、昔は家が建っていたようです。
今はその面影も残っていませんでした。