山小屋だより

山歩きや街歩き、そこで出会った花や風景を紹介しています。
ぜひ、一緒に歩きましょう

中山道(16-7)

2010-01-09 | 中山道

廃線跡

田んぼに沿って幅広い空き地がまっすぐに伸びています。
ここは旧名鉄の八百津線が走っていた跡のようです。
八百津線は岐阜県可児市の明智駅から岐阜県加茂郡八百津町の
八百津駅まで7.3キロを結んでいた単線電車です。
2001年10月に廃止になりました。
のどかな田園風景の中を走る電車だったようです。

伏見宿本陣跡

歩いている反対側に伏見宿の本陣跡がありました。
建物はなく碑だけが建っていました。
後ろに見える建物は公民館です。


道路標識

道路標識です。
可児から八百津まで立派な道路ができています。
この道路ができたため、八百津線は廃止になったのでしょう。
新可児から御嵩まで乗った電車も乗客が少なかったです。
我々はまっすぐ進んでいます。

分岐

国道から分かれて細い道に入ります。
右に大きな建物がみえます。
パチンコ屋さんでした。
客が少なくなったのか、閉店していました。


標識

道路脇にこんな標識がありました。
このあたりは道路の整備がされていて中山道も消えて
しまったようです。
しばらくはまた国道に沿って歩きます。

分岐

分岐があります。
国道は右に曲がっていますが、ここは左に入ります。
伏見宿も宿場らしい面影があまり残っていませんでした。

弘法大師堂

道路から木曽川に向かって降ります。
ここには弘法大師様がお祀りしてあるようです。
赤い橋が目立ちました。


さざれ石

すぐ近くに「さざれ石」がありました。
さざれ石とは小さな石が固まってできた岩のことです。
「君が代」に歌われています。
これはかなり苔むしていました。
国歌ですが、あまり歌う機会がありません。
来月行なわれる冬季オリンピックではたくさん聞きたいものです。


今渡りの渡し場

弘法様から少し左に行くと渡し場の跡がありました。
ここは今渡りの渡し場として利用されたところのようです。
橋がない時期には川を渡る貴重な手段だったようです。

木曽川

すぐ近くに立派な橋が架かっています。
この橋ができたため、廃船になったようです。
我々もこれからあの橋を渡ります。

太田橋

この橋は「太田橋」と呼ぶそうです。
車道と歩道がキチンと分けられています。
これなら安心して渡れます。


歩道

気持よい歩道でした。
大勢で歩いているとつい道一杯に広がってしまいます。
ここでは自転車がきませんでしたが、自転車がくると
後ろから「自転車!」と大声で注意します。
話に夢中になっていると後ろまで分からないようです。


日本ライン下り

橋を渡り終えたところにこのような看板がありました。
この奥似に「日本ライン下り」の乗船場があるようです。
昔乗ったことがありますが、流れが激しいところでは
しぶきがかかって歓声をあげていました。
船頭の「木曾節」が懐かしく思い出されました。
まもなく太田宿に入ります。