彦四郎の中国生活

中国滞在記

秋の風情、曼殊沙華が咲くこのお彼岸のころ—京都鴨川の界隈の川床の人たちマスクなし

2021-09-20 10:25:27 | 滞在記

 一カ月あまりもこの「彦四郎の中国生活」の執筆更新をご無沙汰してしまった。書きたい記事はたくさんあるのだが‥。8月20日頃以降に更新されていないので、「何か健康的な問題などがあるのか?」と心配する友人からの電話が先日にあった。心配してくれる気持ち、ありがたい‥。

 この一カ月、いろいろな心配ごとはあった。みんなそれぞれ、このコロナ禍下、不安や心配ごとや、悩みを抱えることもコロナ禍下以前より多いかと思う。私の場合は、ソファー上での、この1年半以上に渡る日々のオンライン授業の継続によるものか腰痛の再発などなど‥。中でもやはり心配ごとは、「いつ中国の大学からの中国渡航要請があるのか」「9月からの新学期へのオンライン授業への新たな対応の難しさ」だった。そのことの悩みは今も続いている。新学期の授業が9月6日から始まって3~4日ほどが経過してほっと一息ついたころ、ついに「中国への渡航がようやく許可されましたので、中国に戻ってきてほしい」との連絡が9月9日に大学の外事所よりあった。ついに来たかという感じだった。中国に渡航したら4週間(28日)以上の厳重隔離が待っている。

 だが、この9月10日以降、中国福建省で突如、デルタ株コロナの大規模クラスターが発生、10日間が経過した現在でも終息せず400人近い感染者数が報告されている。このため、大学やアパートのある中国福建省に海外から渡航する人は6週間(48日間)あまりの厳重隔離措置へと変わった。さて、いつ渡航しようか‥。とても悩むところである‥。これらもまた、このコロナ禍下に起因する問題だ。

 こんな心配ごとの続く中のこの一カ月、あの猛烈な1か月あまりの記録的な猛暑の夏が終わり、急速に秋の季節へと変化していった。9月に入り、徐々に入道雲(積乱雲)が減少し鰯雲や鱗雲(おぼろ雲)などの秋の雲が見られるように急変していった。9月中旬、京都出町柳駅近くの小さな「萩の寺 常林寺」の白や赤の萩も、今は見ごろを迎えていた。

 9月中旬を過ぎると、あちこちで彼岸花(曼殊沙華)の開花が見られるようになった。出町柳駅からバスに乗り週に2度あまり、娘が暮らす銀閣寺近くの家に孫たち(4歳・2歳・9カ月)の世話サポートに行っているが、その道すがらの公園にも白と赤の彼岸花が開花している。

 9カ月の孫をベビーカーに乗せて、近くの真如堂や金戒光明寺などを1~2時間ほど散歩するが、その道すがらには白い萩が咲き誇る。秋のコスモスの花も‥。

 紅葉の名所としても有名な真如堂だが、9月中旬になると、少し紅葉が始まりかけたモミジの木々も一部見られるようになっている。まだ多くは青モミジのままだが‥。

 その真如堂の境内の一角にも、彼岸花が茎を地面の苔の間から芽を出し伸ばし始め、茎先に蕾ができ、そして9月中旬すぎには開花してきていた。その間、10日間ほどのあっという間の出来事だった。

 新型コロナ感染による緊急事態宣言や蔓延防止措置が長く続く京都。今年はそのほとんどが宣言や措置のもとにある。ここ2カ月間ほどは酒類提供も自粛を要請され続けている。京都の鴨川沿いの、五条大橋から二条大橋の間には鴨川納涼床の店が90軒ほどある。特に四条大橋から三条大橋の間の先斗町界隈は多い。

 江戸時代は鴨川の河原は今よりも広く、中州があって、そこにも床床(ゆかどこ)が設けられ人々は飲食や歌舞音曲演芸なども楽しんだ。いわゆる河原芝居などである。明治時代になり、先斗町界隈では今のような組み立て式の納涼床が一般的となっていったようだ。

 9月18日(土)から9月26日(日)までの1週間、日本では敬老の日や秋分の日をはさんでのシルバーウイークと今なっている。東京や茨城から、閩江大学時代の教え子2人が京都にやってきた。上智大学大学院を卒業し、現在は東京で働いている陳さん(河南省洛陽出身)と、筑波大学大学院生の馮(ひょう)さん(福建省福州出身)の二人。いずれも一人っ子だ。馮さんは筑波大学大学院で教育学を専攻している。特に研究しているのは労働教育における日中比較。

 中国では小学生の頃から大学受験でいかに高い点数をとり、よりレベルの高いとされる大学に入るかが小中高の勉強のほとんどの目的となっている。その点数によって大学や専攻の学部や学科などの一人一人の入学も最終的には教育行政が決定する。このため、「労働についての教育—将来、どんな仕事をしたいのか」についての学習はほぼないまま、大学に入学する場合が多い。日本ではここ20年ほど、ようやく労働教育が小中高でも行われ始めてきているのだが‥。

 この馮さんは日本の剣道を中国の大学生時代からやっている。その関係もあり、日本の戦国時代・江戸時代・明治維新などの歴史的なことがらに興味関心も強いようだ。18日のこの日の夜、先斗町界隈を歩くと、「このあたりは幕末に、坂本龍馬など、暗殺がたくさんおきたところですよね」と突如話し始めた。

 馮さんの父親は福建省福州の師範大学の教員をしているようで、将来的には馮さんも中国の大学教員を目指している。このため「筑波大学で教育学を学ぶ」と決めて来日し、この春から筑波大学大学院生となった。

  18日(土)のこの日の午後6時半に、陳さん・馮さんと京都の南座(歌舞伎)の前で待ち合わせ、四条大橋を渡り先斗町界隈の通りに入る。シルバーウィークのためか、緊急事態宣言下、閑散としていた通りに、人並みが戻っていた。何軒か納涼川床のある店に行くがみな満席。7〜8件目に行った店が空席が一つあったので入店。川床に行くと、なんと7〜8組の15~16人あまりの座っているお客さんは全員、マスクを着けていなかった。こんな光景を見るのはほんとうに久しぶりだった。川風もあり、納涼床はデルタ株の空気感染(エアゾール感染)も心配がないからだろう。

 台風14号の去った京都、この日は東山の上に雲間から月が時々覗いていた。京都南座などの建物も美しい。鴨川の河川敷には、等間隔でたくさんの人が座って凉を過ごしていた。ノンアルコールで乾杯をした。

 馮さんは「筑波大学の酒—桐の華—研究室から生まれた酒」を茨城県筑波市からお土産にもってきていて、彼女から渡された。この清酒(日本酒)は、酒造の際に一般的に使う米麹(こめこうじ)ではなく、桐の花から作った麹(こうじ)を使っているもののようだ。中国は、今年は9月18日~21日までの四日間、「中秋節」での祭休日となっている。中国での「中秋節」は、「月餅🥮」を食べるのが慣例だ。中国の両親から送られてきた月餅を陳さんからお土産に一つ渡された。

 9月11日(土)に、閩江大学の教え子で、今は大阪大学大学院に在籍している任さん(中国山西省出身)が、私の自宅にやってきてくれた。木津川に架かる日本最長級の木製橋である「流れ橋」や男山山頂にある国宝の石清水八幡宮などを案内する。任さんは「エビスビール」の箱詰めセットをお土産に持ってきてくれた。大阪市内のIT会社で週に3日間ほどアルバイトをしていて、バイト収入はかなりありますからと話していた。

 シルバーウイークが始まったこの19日(日)の早朝、自宅のある住宅街や周辺の水田や畑地を散歩する。稲もかなり黄金色に色づいてきている。梨園の梨も食べ頃に色づき、大好きなイチジクも美味しそうだ。水田から京都の二大霊峰の一つ愛宕山がよく見える。比叡山も見える。特に愛宕山の山容は、奈良に近い京都府南部の井手町や京田辺市からでもよく望める。

 住宅街のアケビも大きくなってきた。9月下旬ころには食べごろになりそうだ。この19日の午後、秋晴れの中、久しぶりに京田辺市の山間地(普賢寺地区の天王)に車で行ってみた。田んぼの周りに彼岸花が満開となり、稲刈りも始まっていた。この日の19日には、陳さんと馮さんは、愛宕山の麓にある亀岡市に彼岸花を見に行くと言っていた。

 柿が赤くなり始めるものも‥。山間地の道路沿いの大きな栗の木の巨木から、たくさんの大栗が道路に落ちていた。車に踏みつぶされた栗も多いが、拾える栗もたくさんあったので。30個あまりを拾って帰った。今朝、妻が栗ご飯を作ってくれた。

 彼岸花だけでなく、ススキも美しくなり始めた日本の秋の始まり。

 

 

 

 

 

 


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