彦四郎の中国生活

中国滞在記

3年以上営業が続くことの方が少ない中国の店舗・会社❶—街の店舗の早すぎる推移を目にして

2019-03-16 12:48:46 | 滞在記

 近年の中国では1年間の間に起業する会社(公司)が年間1000万を超えると言われているが、起業後3年間以上営業が続くものは少なく、そのほとんどが倒産・廃業、「会社・店舗の屍の山が累々の社会」とも言われている。中国人は日本人のように慎重に行動を起こさない。日本人の場合は、会社を興す場合でも店舗を構える場合でも、それなりの調査や計画をたてて起業する。しかし、中国人の場合は、「思い立ったが吉日、失敗をおそれずに、とにかくやってみよう」精神で、起業にいたるスピードはとても早い。このため倒産や廃業も早い。「屍」をこえて、すぐに そこに新しいもの続く社会でもある。

 私が中国に住んで6年余りになる。住まいは今のところが3箇所目のアパートとなる。3箇所ともにその周辺の店舗や会社の移り変わりの早さには驚かされることの連続だった。3年ほど前から住んでいる今のアパートは、約3万人あまりが暮らす「蘭天新天地」という名前の団地にある。この団地には100軒あまりの店舗があるが、その移り変わりも激しい。

 団地入口の大通りの交差点から、ゆるいゆるい坂道を歩きアパートに向かう。右手に見える塀には、さまざまなスローガンや標語が貼られている。団地入口のこのあたりは毎日、農民工(出稼ぎ)の人たちが昼休み時間や夕方に集まって少額の賭けトランプを楽しむ場所だ。路上で野菜や果物などを売る人たちもいる。「国学文化」のことを説明している壁絵が10枚ほど壁塀に貼られていもいる。左側は10軒ほどの「食堂」が並ぶ。

 トラックや小型三輪自動車で果物を売る人も数台が毎日来る。おばあさんと小学4年生くらいの男の子(孫)が手を繋いで歩いている。木の下では、50〜60代のおじいちゃんが1才に満たない孫を抱いてたたずんでいる。保育園がない中国では、祖父母が子育ての主力となるため、日本とくらべものにならないくらい祖父母と孫の絆は強い。日本の1950・60年代を描いた映画「ALWAYS」でもよく出てきたダイハツミゼット型の三輪バイク自動車は、中国では今も多く運転されている。

 中国南部にある福建省あたりは、年間を通じて果物が豊富で、しかも安い。アパートのある棟に向かう人の通りの多い四つ角の場所にはそれぞれの角、15m以内に果物店が4軒もある。それぞれの店の名前は「豪果縁」「河馬水果」「百果園」「鮮豊水果」。果物店舗のある角に果物を売る夫婦が毎日 露店を出す。中国語で「水果」は果物(くだもの)」のこと。

 このあたりには1年前ほどまでには2軒の果物店があったが、それぞれ廃業して、新しく果実店が出来始めた。需要から考えて2軒までが営業が成り立つ限界だろうと思うが、さらに店舗が増えて4軒目が1カ月前に営業を始めた。あと数か月くらいしたらどこかの店舗が店をたたむだろう。日本人なら、すでに2軒の果物店がある場所に3軒目や4軒目の店舗を営業は考えないだろうが、中国人の発想はちょっと違うようだ。

 ちょっとした大きさのスーパーがあるので、生活には便利な場所だ。高層のアパートが立ち並ぶ。どの部屋にも鉄格子がある。団地の隣には中国・清時代1907年創立の福建師範大学の倉山校区(キャンパス)が広がっている。

 ダイハツミゼット型の赤い三輪バイク自動車が 懐かしく可愛らしい。

◆中国の土地はすべて国有—1949年の中華人民共和国の成立以降、広大な中国国内の土地はすべて国有地である。したがって、住宅も会社も店舗もすべて、「土地借地権」制度となる。アパートや住宅などの「借地権」は70年、私立の幼稚園や学校など公的な施設は60年、会社や店舗は50年が借地権の期間となる。(※どちらが60年と50年なのかだったかは、ちょっと自信がない) 人々が店舗を他の人に売る場合、その「店舗建物」とともに「借地権」を売ることとなる。このことが、店舗や会社、そして住宅の転売がとても多い一つの要因ともなっている。また、中国では行政により頻繁に起こされる「有無を言わせない強制立ち退き」はこのような土地制度の下にあることにもよるかと思う。

 


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