

1月1日、早朝に宿舎を出て、妻と一緒に福建省厦門(アモイ)市に行った。新幹線で福州から1時間50分くらいで厦門北駅に到着。バスに乗って40分くらいで、厦門島の中心地に着いた。
厦門観光の中心は二つある。洋館が中国で一番密集している「コロン島」散策と厦門大学だ。多くの観光客がこの二つの場所を訪れる。日本人にとって、「福州」は知らなくても、「厦門(アモイ)」という名前は聞いたことがあると思う。歴史的にも古くから対外的に開港されていた港町でもある。目の前には、台湾に属する「金門島」が見える。中国と台湾が、軍事的に緊張感にある時代、ここはその最前線であった。
「厦門大学」と湖北省にある「武漢大学」は、中国の大学の中で最も美しい二つの大学として有名だ。1日の午後は厦門大学、2日はコロン島を観光する予定を立てた。2日の午後4時20分発の新幹線で福州に戻り、3日の午前中の飛行機で妻は日本に帰国することになっていた。しかし、この旅は、その後いくつかのピンチに遭遇することになった。







バスで午後3時頃厦門大学前に到着。驚くほどたくさんの観光客が来ていた。
魯迅(ろじん)記念館に入る。魯迅は1881年に浙江省の紹興生まれ。1902年から1909年までの7年間、国費留学生として日本に留学していた。この厦門大学では、中国文学の教授として教鞭をとっていた時代があった。
魯迅は、日本の東北大学医学部にて医学を勉強し、将来は中国で医師として活動することを目指していた。大学の講義の中で時折、幻灯機が使用された。日露戦争時に関する時事問題の説明の際、母国の人々の屈辱的な姿を映し出したニュースの幻灯写真を見て、「今の祖国にとって医学より重要なことは、祖国の人々の精神改造だ。」と思い、そのためには文芸活動をしなければならないと思い定め小説家を志すことになった。
現在、日本では、中学校用のすべての国語教科書には、彼の作品が掲載されている。魯迅文学の代表作品として、『阿Q正伝』、『狂人日記』、『故郷』、『藤野先生』などがある。1936に死去する。現在の中国において、孫文と並んで尊敬されている人物である。「民族魂」という直筆の書が掲げられていた。






厦門大学は確かに美しい大学だ。そして広大だ。山が間近にせまり変化に富んでいる。美しい海岸ビーチも近い。






大学内のおしゃれなレストランでコーヒーを飲みながら休憩。大学中央の池に行ってみると、ブラック・スワン(黒い白鳥)がいる。初めてブラック・スワンを見た。師弟や学生の像がある。歴史的な建物に学生寮があった。魯迅の像もあった。洗濯物が干されている。






大学の中心地と新しい学生寮地域を結ぶ長いトンネルがある。1kmあまりの長いトンネルだ。このトンネルの内部は、たくさんの絵画などが描かれている。学生達が描き続けたものだ。日本のアニメーションのものもけっこうあった。織田信長も描かれていた。

長いトンネルを抜けると、午後5時頃になっていた。もうすぐ夕暮れ。ここから予約しているホテルは近いはずだ。
この旅は、ここまでは順調だった。
第一のピンチ[ホテルが見つからない]
ホテルはすぐに見つかると思ったが、なかなか見つけることができなかった。5時半ころには暗くなってきた。いろいろな人にホテル名を言いながら聞いてみた。「不知道(知らない)」の連続だ。適当に間違った場所を指さしてくれる人もいた。いろいろと迷走しながら、探したが見つからない。あるホテルに行って聞いてみたら、地図を書いてくれた。よかったと思い行ってみるが、地図がおおまかすぎてわからない。捜し始めて1時間半ほどがたった。疲れ切ったが、ついに詳しく教えてくれる人に巡りあえた。無事にホテルに到着できた。
第二のピンチ[通行止めで移動できない]
翌朝の朝食後、近くの海岸に散歩をしに行ったら、幹線道路にたくさんの人が小旗をもって並んでいた。「厦門国際マラソン」が開催されていたのだ。海岸を散歩し、道路に戻ると、ランナーたちが走って来た。一般参加走者も多いので、午前中はこの道路は完全に閉鎖されるようだ。ということは、バスもタクシーも利用できない。コロン島方面に行くのにはどうしたらいいのだろうか。
ホテルをチェックアウトして、とにかくコロン島方面に行くためのタクシーを探すが乗車拒否が多い。ようやく高い料金を払うことで、一台のタクシーと交渉がまとまった。マラソンコースを外れた、大迂回ルートでコロン島方面に向かう。




第三のピンチ[コロン島に渡れない]
コロン島行の大型渡し船のチケット売り場は、長蛇の列だった。長い列に並ぶこと40分。ようやくチケットが買えた。往復で二人で60元のチケットだ。時刻は11時になっていた。午後2時までにここに戻ってバスに乗れば、十分に新幹線に間に合うと思った。しかし、---。買ったチケットをよく見たら、午後1時半の出航となっていた。コロン島まで船で5分程度なのだが、島に着いたらすぐに戻らなければならない。結局、この旅の最大の目的地「コロン島」行をあきらめざるをえなかった。妻をぜひ連れて行きたかったので、残念でしかたがないかった。
近くの「中山路」という、厦門の有名な繁華街に行って、時間を過ごした。
第四の最大のピンチ[新幹線に間に合わない]
中国の新幹線チケットは、なかなか取るのが難しい。利用客が膨大に多いし、本数も2時間に一本程度となっているからだ。新幹線の発車時刻には絶対に遅れてはならない。その日の次のチケットを取ることは極めて難しい。帰れなくなるからだ。
2時20分ころに、新幹線「厦門北駅」行のバスに乗った。1時間20分くらいの時間で到着するので、3時40分には駅に着く予定だった。新幹線の発車時刻は4時20分。充分に余裕があると思っていた。しかし、ハプニングが起こってしまった。運が悪かったとしかいいようがない。
到着まであと20分あたりの地点で、バスの運転者と乗客が口論喧嘩になり、機嫌をそこねたバスの運転手は、「運転拒否」をしてしまったのだ。バスが止まって20分が経過、私も含めてバスの運転手に抗議するが、てこでも運転しない。そのうち、警察のパトカーが来て、運転手と乗客(2人の女性)はパトカーの中で、事情聴取。止まってから40分後に、警官がバスを運転して駅に向かい始めた。到着したのは、4時25分。もう新幹線は発車していた。非常に困った。新たな新幹線チケットの購入はむずかしいからだ。明日の早朝に福州空港から妻が日本に帰国予定だ。妻の顔もやや蒼白になっていた。(※2年ほど前に、私の娘も同じ経験をこの厦門でした。結局、その日は新幹線に乗れず、翌日に乗車できたようだ。)
閩江大学4回生の李順峰君に電話をした。「なんとか今日中に福州に帰れる新幹線の予約ができないだろうか---。」 するとうまい具合に、午後5時半発の新幹線チケット(但し、1等車座席<日本のグリーン車席>)が取れるという連絡が入った。これはラッキー!!!だった。無事福州に帰れた。
◆厦門市には、厦門大学の他に、集美大学、華僑大学、厦門理江学院などの大学がある。
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