彦四郎の中国生活

中国滞在記

京洛の紅葉❷「五山之上・絶景・名庭・湯豆腐・水路閣」5つのキーワード、南禅寺の紅葉

2021-11-29 07:13:59 | 滞在記

 11月23日、勤労感謝の日で祝日の日、京都の南禅寺と永観堂に紅葉を見に行った。

 南禅寺は、①「五山之上」の禅宗寺院。武家政権である鎌倉時代や室町時代、武士階層に支持されて禅宗は興隆する。禅宗の祖は南インド出身で、中国に渡った僧・達磨(だるま)大師。修行の基本は座禅。私が暮らす中国福建省の泉州などにも、超巨大な石造りの達磨大師像が山中にある。

 日本では主に曹洞宗・臨済宗・黄檗宗の三つの禅宗宗派が存在する。そのうちの臨済宗には特に、「鎌倉五山」と「京都五山」とよばれる格式の高い10の寺院があるが、その10の寺院よりもさらに格式が高いとされ、「五山之上」と呼ばれるのが京都の南禅寺。京都には、この臨済宗の寺院として、南禅寺の他に、天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・大徳寺・妙心寺などの古刹大寺院がある。

 ちなみに、曹洞宗の総本山は越前の永平寺(開祖は鎌倉時代の道元)、黄檗宗の総本山は京都の萬福寺(開祖は江戸時代の隠元)。臨済宗の開祖は鎌倉時代の栄西。中国より本格的に茶を伝えた人でもある。京都の建仁寺境内には、日本で初めての茶園が今も残る。茶は、座禅の時の眠気覚まし効果にも用いられていた。

 これらの新興的な臨済宗(禅宗)寺院は、武家政権の鎌倉幕府や室町幕府の支持を受けていたが、幕府とは時には対立関係にもあった朝廷(天皇)は、奈良・平安時代から続く仏教寺院である比叡山延暦寺や奈良・興福寺などを支持していた。このため、この宗教勢力はあるときには武力を用いての対立も起きていた。

 ②「絶景」の山門(三門)。大盗賊とされる石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」の台詞(せりふ)で有名な三門で、境内の樹木越しに京都市内が一望できる。この日は、たくさんの人がこの門に登楼していた。紅葉越しに見る三門は迫力のある名建築だ。ちなみに、日本三大三門とは、この南禅寺の他には「京都の知恩院、山梨県の久遠寺」。京都三大三門では、「仁和寺」の三門が加わる。

 この日は着物姿の女性もたくさん見られた。

 ③水路閣の付近の紅葉も見ごろだった。境内の東山山麓を上がっていくと、水路閣の疎水の水路は山中にトンネルがつくられていて消える。そして、このトンネル内を水は通り、哲学の道沿いの疎水となる。

 学生時代には京都の銀閣寺の隣の家に下宿していたので、京都市内中心地の四条や三条に行く際には、自転車でこの南禅寺境内を通っていた。もう何百回となく通った南禅寺境内だが、この境内の最も奥にある塔頭の一つ「高徳庵」には行ったことがなかった。今回初めて行ってみて驚いた。なんと紅葉の自然な美しさの光景だこと。

 背後にすぐに迫る山にも紅葉が見られ、萩の紅葉もまた見事だった。「南禅寺にこんなところがあったなんて‥‥」と感じ入った。

 鎌倉時代の1291年に創建されたは南禅寺は、隆盛時には60余りの塔頭寺院や僧坊があり、2000人余りの修行僧たちが学んでいたとされる。しかし、1393年と1447年の大火によって多くの伽藍や塔頭などが焼失、さらに1467年から始まる応仁の乱の戦乱によって、残された建物も全てが焼失した。その再建は安土桃山時代から始まり、江戸時代の初期に三門をはじめ、現在の建物の多くが再建された。今は、南禅院、金地院、天授庵、高徳庵など、9つの塔頭が境内にある。④それぞれの塔頭の「名庭」もまた、禅宗的な簡素さの中にも、素朴な美しさがある。私は特に、「南禅院」の庭が好きで、青年・中年時代の、人との思い出が今も鮮明に残る場所だ。

 南禅寺境内には、かってはものすごく広域にわたっていた。「総門」と呼ばれる寺域の入り口の門は今も京都市動物園や京セラ京都美術館などの近くに残る。今の境内付近には⑤「湯豆腐」で名高い「順正」と「奥丹」という老舗があり、営業している。なぜここに湯豆腐の老舗が昔からあるのか。その理由は禅寺の精進料理に豆腐が使われ続けていることと、上質の地下水があるためだ。また、寺院には参拝者も多く訪れることもあったのだろう。

 南禅寺から永観堂に向かう途中、疎水の分流沿いにあるモミジが見事に紅葉していた。この南禅寺界隈は、広い鬱蒼とした敷地に、東山の借景を配した庭をもつ別荘の建物も実に多く、「南禅寺別荘群」と呼ばれる。

 

 

 

 

 


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