彦四郎の中国生活

中国滞在記

72歳の誕生日会—3人の孫たちによる、「手作りの会」をおこなってくれた

2024-08-28 17:14:20 | 滞在記

 強い雨風をもたらす台風10号が、現在、奄美大島付近を北上している。その後、九州北西部に上陸後、日本列島をほぼ縦断するように進路をとると予想されている。この70年間余りの観測史上、最も猛暑が続いた今年の夏。その8月もあと3日余りで終わろうとしている。秋の気配もちらほらと‥。

 今朝、家の近くの水田や畑を早朝に散歩する。ヒマワリの花はほぼ枯れていて種を残している。水田の稲は、小さな花から稲穂が少しだけ育ち始めている。キク科なのだろうか、この8月下旬の季節に咲く背の高い黄色い花。

 柿の実が少しだけ色づき始め、イチジクの実がムラサキ色に実り始めた。梨畑の梨は、もうすぐ収穫ができそうだ。31日は暴風となる予報なので、今日・明日中に収穫を急ぐようだ。

 農園の畑には、ナスがたくさんできていて、京野菜として出荷される。最近は、このあたりの畑では、東南アジアからの労働者が働く姿もよく見かけるようになっている。

 私はこの8月22日に72歳となった。そして、8月24日(土)の午後2:00から、娘たちの家で私の誕生会を計画しているとの連絡があったので、行くこととなった。京阪電車の終点駅・出町柳駅で下車、銀閣寺方面行のあるバス停に行く。途中、鴨川沿いの小さな寺・常林寺(通称は「萩の寺」)は、境内に萩の葉が大きく育ち、うすピンク色の花の開花もポツリポツリと始まっている。寺門のそばには、「心も かえれば 見方も かわる」の言葉。

 バス停前のもう一つの小さな寺の寺門のそばには、「てのひらに 余る数珠くり 地蔵盆」。京都市内では、子供のすこやかな成長を祈る地蔵盆がこの23日・24日に各地域で行われた。この寺の小さな境内には、これも秋の花である「鶏頭(けいとう)」の赤い花が開花し始めていた。

 「午後2時から始めるからそれまでに来て」と告げられていたが、少し遅れて2時10分頃に娘の家の近くまで行くと、小学2年の孫娘が家から私を迎えに坂を下って来てくれた。家に入ると、玄関付近に受付があり、孫たちが手作りした会のプログラムや、参加券などが渡された。プログラムを見ると、「①うたとおどり、②プレゼント、➂ケーキ、うた、④あそぶ、⑤されならとうた、⑥メッセージ」と書かれていた。

 手紙も渡されて、「じいじへ おたんじょうび おめでとう 中ごくでのしごとも 日本のしごともがんばってね」と書かれていた。また、頭につけるかんむりのようなものを渡された。ここにも「おめでとう72さい」と書かれていた。孫たち3人(小学2年長女、幼稚園年長組5歳8か月の次女、3歳7か月の長男)の三人が繰り広げてくれた誕生会だった。誕生会が終わり小学2年の孫娘が抹茶の「お点前」を行って一服いただいた。「結構なお点前でした」。(※この8月に銀閣寺近くの「法然院」で一日茶道教室があり習ったようだ。)

  「くす玉」も手作りで、「じいじへ 72さい おめでとうございます」と書かれていた。いろいろなグッズもすべて手作りされていた。「ゲスト 名前 よしひこ」と書かれたカード。 「うた」「あそぶ」「プレゼント」「ケーキ・うち」「さよなら・うた」と書かれたカード券のようなもの。 紙で作ったケーキまであった。娘と娘の夫、そして私の妻も参加、娘からは「中国で食べて」とお茶漬けの素セットを渡された。記念にこれらの手作りのものは、もらって帰ることにした。

 まあ、誕生日でこのようなことをしてもらえるとは思いもしていなかったので、孫たちやみんなに感謝だ。思うに、50歳を過ぎてからの誕生日は、また一つ年をとったと老化を重ねる日々でもあったので、ちょっと複雑な思いもあるが、70歳をこえてしまってからの誕生日は、歳はますます重ねて後期高齢者に向かうわけだが、「まあ、この一年、いろいろあったけど無事に生きることができました。また、これからの一年もなんとか乗り切っていこう‥」みたいな感謝の気持や、自分自身をほめてあげる記念の日へと変わってきてもいるような感もある。

 1時間余りの誕生会のあと、京都市内の丸善書店に行き、『老いの深み』(中公新書・黒井千次著)と『アメリカの罠—トランプ2.0の衝撃』(文春新書)を買い、近くのタナカ珈琲店(全席喫煙可能)で、ざっと2冊の本を読み始めた。

 タナカ珈琲を出て、三条大橋に向かう途中にある「三条占いスポット(処)」。店先には、「小さな幸せに気づく人は 大きな幸せを得るでしょう」「運命は自分の 意志で創るもの」と書かれていた。鴨川に架かる三条大橋を渡る。この日もまた、外国からの観光客の姿がたくさん見られた一日だった。

 24日(土)、この日の夜、自宅のある住宅地区の「夏祭り」が近所の公園で、盆踊り櫓が組まれ行われた。若い人や子供たちがたくさん来ていた。自宅のある地区も高齢化が進んでいるが、この日は、子供連れで里帰りした人たちが多くなる地域の「夏祭り」になっている。

 

 

 


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