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彦四郎の中国生活

中国滞在記

琵琶湖西岸「西近江路」から北陸路へ―「朴葉(ほおば)」の花が香る

2018-05-12 06:03:33 | 滞在記

 日本への一時帰国中の5月6日(日)の午後、故郷の福井県南越前町に向けて車を走らせた。ゴールデンウイーク最終日となったこの日、まだ名神高速道路の渋滞が考えられるので、琵琶湖の西岸の西近江路を通ることにした。数年前まで有料だった「西琵琶湖湖岸道路」が現在は無料となっているので、この道を走ると福井県までは時間的に近くなる。福井県との県境に近い、高島市の「マキノ町」のメタセコイヤの並木道に到着。新緑のこの時期は、「田植え」の季節でもあった。

 この季節、滋賀県から福井県に抜けるルートの一つである国道161号線の山中峠越えの山々を走ると、たくさんの「朴(ほお)」の木の花の高貴な香の匂いに包まれる。「朴の木」は、木蓮(モクレン)科の落葉高木。山野に自生し、五月ごろ、九弁の白い大きな花を開く。花の真ん中にはマッチ棒を大きく長くしたような「めしべやおしべ」が見られる。

 この「朴葉(ほおば)」は大きな葉をつける。この葉で「きな粉ごはん」を包むと「朴葉ごはん」ができる。小さい頃にこの季節、おばあちゃんによく作ってもらったごはんだった。飛騨地方では、乾燥させたこの葉の上に「味噌や肉や椎茸(しいたけ)など」を置き、炭火でじっくりと焼き上げる「朴葉味噌」という季節料理がある。ご飯にもお酒にもとてもあう料理だが、京都祇園の八坂神社近くにある日本料理小店の「やげんぼり」ではこの料理を出してくれる。

 「在原(ありはら)」という小さな県境の集落。この在所は、『伊勢物語』の作者・在原業平(ありはらのなりひら)[825年誕生]の墓(一説・伝承)がある地でもある。在所のはずれに六地蔵が並んでいた。狭い山間路を抜けて県境の山中峠に至る。

 山中峠を越えて長い峠道の161号線を下って敦賀に向かう。琵琶湖東岸から北陸の越前にかけて走っている国道8号線と合流する所に「疋田(ひきた)」の集落がある。ここは古代からさまざまな主要道路(塩津越え・海津越え・柳ヶ瀬越え・山中越えなど―近江と越前を結ぶ―)が集まる交通の要衝だった。ここに「疋壇城」(ひきだんじょう)の跡がある。この小さな城は、石垣も使われた城で、戦国武将の朝倉氏が築いた城だった。1570年と1573年の二度にわたっての織田信長の越前攻めによって落城をしている城だ。この1573年に朝倉氏は亡ぼされた。

 城跡の本丸地域は今は畑地となっている。二の丸跡は、かっては小学校があった。石垣と小さな堀跡もある。ここにも「朴の木」があり花の香が匂っていた。シャガの白い花も咲く季節だった。

 敦賀の街を抜けて国道8号線を日本海沿いに走る。雨が降ってきた。「杉津(すいず)」の集落がある小さな崎(さき)が見えてきた。その向こうの越前岬方面に私の故郷の小さな集落(漁港)[南越前町河野・糠地区]がある。夕方に故郷の家に着いた。今は母が一人暮らしだ。お仏壇を開けて、線香を灯した。亡くなった父と実母(33才で死去)や祖父母に帰郷のあいさつをする。

 

 


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