彦四郎の中国生活

中国滞在記

突然に、電気を止められた!―この先どうなるのか、不安がつのった日々

2017-12-06 21:12:25 | 滞在記

◆【ブログ記事訂正について】2017年2月5日付のブログ記事「故郷・福井県南越前町に帰る―」の中で、次の文章に間違いがあるとの連絡を受けました。【ここ武生市(現・越前市)は、絵本作家「いわさきちひろ」の生まれた故郷だが、「かこさとし」(※『カラスのパンやさん』などの著者。本名は加古里子という女性。)の故郷でもあるようだ。】と記していましたが、加古里子さんは女性ではなく男性の間違いでした。加古さんは、現在、90才を過ぎてもまだまだご健在で、今年完成した越前市の「だるまちゃん広場」の監修などもしているとのことでした。

 電気を突然止められてしまったのは、11月27日(月)のことだった。なぜ、私の部屋だけが突然に「停電」になったのかまったく状況がわからず、とても途方に暮れた一日(一晩)となった出来事だった。この日、授業はなかったが、大学が大規模な査察を受ける関係で、3日前に突然「昨年度実施した期末考査テスト用紙の採点加筆」を3日以内に求められ、加筆したものを大学に持っていった。

 その帰りに市内の東街口というところに「味醂(みりん)」を買いに行き、近くの「三坊七巷」の古街にも立ち寄った。バスに乗ってアパート近くに戻ってきたのは、午後5時少し前ころになっていた。近くでの買い物帰りか、通りを歩くパジャマ姿の30代の女性、孫を小学校に迎えにいったおじいさんが孫の荷物を背負う姿など、いつもの夕方の光景があった。

 部屋に5時頃に戻ると電気がつかなかった。また、突然の停電かなと少し心配になった。実は、この日の4日前の11月23日(木)にも突然に私の部屋だけ停電になったことがあったからだ。午前中の授業が終わり、午後2時半ころにアパートに戻った。3時ころに突然「ドーン!」という大きな音がして、突然に洗濯機が停まった。洗濯機の他には、インターネットを使っていただけだった。この時、このあたり一帯が停電になったのかと思い、暗くなる5時半を待った。

 団地の電灯がどこも灯ってこなければ、近所一帯の停電だからそのうち停電が解除になるだろうと---。しかし、エレベーターは動いていたので、ひょっともしたら私の部屋だけかと不安が高まって来た。部屋の中にある電気のブレーカーは全て上がっていて異常はない。なにがなんだが、わけがわからない不安。同じ8階の住人のドアを叩くが、どの家も誰も返答がない。ぽつぽつと、周りの家の電灯が灯り始めた。この27棟の7階や8階だけの停電だろうか--。7階に行き住民に聞いたら、「停電なんてないよ!」とのこと。こいつは、困ったぞ--!と気が遠くなってきた。

 6時頃に、近くの福建師範大学4回生の林君に電話をした。「私の部屋だけ、突然の停電のようです。状況がまったくわからないので、アパートにきてくれませんか」と依頼した。「今、市内に行っていてすぐには行けませんが、用事が終わったら、急ぎいきます」とのことだった。遅くても9時ころには来てくれるだろうと少し気が楽になった。

 7時頃、周りの様子はどうだろうと部屋のドアを開けたら、隣の部屋のドアが開いていて、電灯が明るく灯っていた。おもいきり、部屋の人に声をかけて、突然の停電という窮状を話してみた。一人暮らしらしい、大柄な短髪の少し怖そうな男性が、私の部屋に来てくれた。窮状を見かねてか、修理業者に電話をしてくれたが、あいにく「本日の営業は終了」ということだった。

 彼が、建物の地下に行こうと言い出した。どうやら地下にも各部屋の電気ブレーカーがあるようだった。建物(27棟と26棟)の管理室やマージャン室、そしてバイク置き場が地下にはある。暗闇の中、ようやく見つけた27棟8階の電気ブレーカー。私の部屋のブレーカーが下がっていたのを上げてくれた。部屋に戻ったら、電気がついた。良かった!!!と隣の男性に感謝した。午後8時になっていた。師範大の林君にもそのむねを連絡した。まあ、こんなことが、11月23日(木)にあった。

 一安心していたのもつかの間、4日後の11月27日(月)に、再び突然、自分の部屋だけ停電となったわけだ。部屋の電気ブレーカーに異常はなく下がっていない。さっそく、4日前のように地下に行き、自分の部屋の電気ブレーカーを見てみたが、下がっていない。これは、どういうことなんだろう?と、再び途方に暮れた。そうするうちに、日が暮れた。周りの家々の電灯が灯り始めた。午後6時頃、部屋の中は真っ暗闇となっていた。電池が無くなるのも困るので、小さな懐中電灯を時々灯しながら、大きな不安に包まれた夜が始まった。

 部屋に通じる電線に問題がある可能性もある。そうであれば、問題箇所の発見に3〜4日以上かかり、修理までに1週間以上がかかり、その間 電気を使えない可能性もある。ほとほと困った。一応、大学の担当者の鄭さんに突然の窮状についての連絡を入れた。携帯電話の充電もできないので、電池も残り少なくなっていた。電池が切れれば、連絡等も一切できなくなってしまうので、さらに困った事態となることを意味していた。もう、つくづく日本に帰りたくなった。みじめで情けない気持ちとなる。8時頃、鄭さんから電話があり、「ひょっともしたら、電気代の未納のため電気を止められた可能性もありますから、電気会社に連絡をとってみます」とのことだった。

 この民間アパートに昨年の7月に引っ越して以来、水道代と電気代は、それぞれ2カ月に一度のくらいの割くらいで、部屋のドアに「この2カ月間の電気代は〇〇元です。未納なので払ってください」との請求書が張られていた。すぐに翌日、大学の担当者の鄭さんにその請求書を持っていき、大学担当者の方で「携帯電話支払い」方法で、毎回支払ってくれることとなっていた。今回は、まだその請求書がドアに張られてもいなかった。

 午後9時頃に、鄭さんから「やっぱり、電気代の未納が少し長かったために、電気を止められたということがわかりました。今、電気を回復してもらうように、電気代の支払いをしました。早く回復されるように依頼しています」との連絡だった。「やっぱりそうだったのか」と思った。電線の問題でなくてよかったとも思った。しかし、なかなか電気はつかなかった。待っていても疲れるだけなので、9時半頃に眠りにつこうとしたが、なかなか寝付かれなかった。少しウトウトしながら、ベットに横たわっていた。

 夜の11時頃、突然に、部屋の灯りが灯った。ようやく電気が回復されたのだった。電気が使えるということのありがたさをしみじみと実感した出来事だった。中国の大学に赴任している日本人教員のほとんどは、大学構内の職員寮の部屋で生活している。また、大学に近いアパート(大学が教員用として借りている)に住んでいる。このため、このような事態が起こることはほぼない。閩江大学には、このような教員寮や借り上げている部屋が現在ない。私が個人的に民間アパートに個人契約をして暮らしているという状況である。

 このため、こんな苦労の連続をするはめになっているわけだが、電気を止められたのは、この5年近くの中国生活では初めての したくない経験だった。そして、今回の一連の「突然の停電」のことが、わかってきた。つまり、11月23日の停電は、「電気代が未納ですから払ってくださいよ」という警告の「お知らせ停電」だった可能性が高い。そして、2〜3日経っても支払いがなかったので、11月27日には「本当に電気を止めた」という対応を電気会社の担当者が取ったのだろう。何らかの連絡を電気会社の担当者がしてくれれば、こんな事態にはならなかったのだが、これも中国か。でも、辛いことも多いなあ---この生活。

◆このブログを書きながら、映画『男たちの星条旗―硫黄島からの手紙』を見る。当時の戦場の人たちの壮絶な苦労を思う。当時の人々の情況を思えば、私の苦労など、大したこともないとも思う。「命を取られることは、ほぼないだろうから」。中国社会で、「自由や人権」などに関するブログなどでの発信をする限り、一抹の不安はあるのだが。

 

 

 

 


1 コメント

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Unknown (山本隆徳)
2017-12-07 16:02:11
大変だったね。電気が如何に生活面で重要
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