彦四郎の中国生活

中国滞在記

コロナ禍で半年間が経過した9月上旬—中国の大学卒業後すぐ来日し働いている人たち、京都に来る

2020-09-28 07:22:41 | 滞在記

 「先生、近々 京都に一度行ってみたいと思っているんですが、先生ともお会いしたくて‥」と東京の日本語学校に留学していて大学院への進学を目指していた黄さんから連絡があったのは、今年の3月上旬頃だった。名古屋大学の大学院(社会学研究科)の試験に合格し、4月からの大学院生活を送るために4月上旬に東京から名古屋に引っ越す予定のようだった。そして、5月上旬の大型連休期間中に京都に行きたいと話していた。大阪には閩江大学外国語学部日本語学科時代のクラスメートだった王さんと潘さんが働いているので、彼女たちとも会う予定のようだった。

 しかし、4月7日に新型コロナウイルス感染拡大にともなう「国の緊急事態宣言」が発令され、「不要不急」の移動自粛要請の事態もあり、黄さんたちの京都行はしばらくはお蔵入りとなっていた。

 お盆が過ぎた8月20日頃、久しぶりに黄さんから連絡があり、大阪で働く2人の休暇がとれる9月1日に京都に行きたいと考えているので、私の都合はどうですかと聞いてきた。大阪で働いている潘さんは、大学卒業後の2カ月後の2018年9月(2年前)から日本の大阪のホテルに就職(就労)が決まり来日した。もう一人の王さんも同じ頃に大阪の大型百貨店に就職が決まり来日した。中国からの観光客が激増してきていたため、ホテルも百貨店も日本語が話せる人材がとても必要な時期でもあった。(上記写真:左から王さん、潘さん、黄さん)

    2018年の9月上旬、突然、日本に着いて1週間後の潘さんから中国にいる私に「先生、保証人がいないとアパートを借りることができないので、保証人になってもらえないでしょうか。勤務するホテルの主任さんに頼んだら保証人のOKをもらったのですが、その後、勤務先の人の保証人は結局難しいようでした。」とのことだった。「私が保証人になってあげてもいいですよ」と話したが、「保証人欄に実印が必要」とのことで、中国にいるため「捺印」ができず、この話は沙汰闇(さたやみ)となったこともあった。

 さて、潘さんや王さんたちだが‥。今年1月から中国武漢より始まった世界的感染拡大により、中国から日本への観光客も完全にストップしたこの半年間。潘さんや王さんの仕事や勤務、雇用への不安も大きいかと思う。また、年に1度は休暇を使って中国の実家に戻っていた(里帰り)が、それも当分できなくなっている。辛い日々かと思う。黄さんは待望の名古屋大学での大学院生活がこの4月より始まったが、前期授業は全てオンライン。憧れの大学院生活も1/4が終ってしまっていた。日本の大学院修士課程は2年間だが、あっという間にこの2年は終わってしまう感じなのだ。

 異常な猛暑続きの日本の8月、9月1日もまだ猛烈な暑い一日となりそうだった。3人を京都のどこに案内しようか?と考えたが、涼しいところがいいだろうと思い、「車で八瀬の渓流に行き、近くの大原・三千院も案内する。そして京都市内に戻り、夜は鴨川に架かる四条大橋近くの先斗町の川床(かわどこ)・鴨川納涼床に行こう。」とほぼ決めた。午後1時に京都市内の四条河原町交差点にて車を停車、3人と待ち合わせた。そして、八瀬の渓流に向かった。

 30分ほどで八瀬に到着。渓流の景色が見た目にも涼しい。この日は、20人ほどのネパール人の若い男たちがここに泳ぎとバーベキューに来ていた。「みんな京都で働いているんです。少しだけ留学生もいますが‥」とのことだった。彼らもこのコロナ禍の中で、仕事のことなど日本で生活することの困難さも抱えているのだろう。おそらく、ひさしぶりのリフレッシュかと思う。まったく一人の女っ気(け)もなしの20人あまりの男たちの集団だった。

 渓流の流れの中に大型テントを立てて、足を川に入れながら流れの上でバーベキューをしている日本人男性たちのグループもあった。なんとも涼しいバーベキュー光景というものを初めて見た。

 2時間あまりを八瀬で過ごし、車で大原へ向かう。夕方近くの午後4時頃に三千院に着いた。大原の道路沿いに咲くコスモスが美しい。1時間ほど大原で過ごすと夕刻が近くなってきていた。大原の棚田の稲が色づきはじめていた。少し日本の田舎の風景で過ごしてもらった。

 車で京都市内に向かう。銀閣寺近くの娘の家に車を駐車し、タクシーを拾い、三条大橋へ。先斗町の通りで「川床」の店を探す。1時間ほど夕闇に包まれた鴨川畔で乾杯をして 8時ころまでいろいろと話ながら夕食をとった。

 夕食後、先斗町通りの近くにあるカラオケ居酒屋に誘い、しばし時を過ごす。彼女たちは日本の歌や中国の歌などを歌っていた。午後9時ころ 四条河原町に戻り、潘さんと王さんは阪急電車で大阪に戻って行った。黄さんはこの日は京都市内のホテルに宿泊するようだった。みんなと「再見(ツァイゼン)―さようなら」をした。

 


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