彦四郎の中国生活

中国滞在記

酷暑の日々、京の奥座敷"貴船"の川床は凉の世界—貴船神社"丑の刻参り"—再びの蔓防、禁酒

2021-08-05 17:11:06 | 滞在記

 東京オリンピックの開催に合わせて3連休となった7月22日(木)~25日(日)を利用して、東京にある日本の会社に勤めている陳さん(中国の閩江大学卒業後に上智大学大学院に留学)が京都に来た。「連休中に京都に遊びに行きますので、先生の時間がとれればどこかで‥‥」という連絡が急に入ったので、梅雨明けから連日35度前後の気温の酷暑の日々が続いてもいるので、7月24日(土)に京都の奥座敷とも言われている貴船に行くことにした。何度も京都に来ている陳さんだが、貴船や鞍馬方面は初めてのようだった。

 自宅から車で京阪電鉄出町柳駅に行き、ここで彼女と午前10時に待ち合わせをした。賀茂川沿いに北上し貴船に向かう。貴船に到着したらすごくたくさんの人や車の列でごった返していた。この連休中に、全国から凉を求めて貴船に来ているなあという感じがした。なんとか駐車をすることができ、貴船神社の"奥の宮"に向かう。ここ奥の宮には"連理の杉"がある。"連理"とは別々のの木が重なって(くっついて)一つの木ななる意で、夫婦・男女の仲睦いことを言う。ここの神木は楓(かえで)と杉が和合したもので珍しい。

 奥の宮のそばの貴船川の川原の小さなせせらぎは、最近は何度が娘や孫たちと水遊びに来ているところ。この日の陳さんのいでたちは浴衣(ゆかた)姿だった。陳さんいわく、「貴船神社にはやっぱり浴衣姿です」とのこと。中国の学生時代から、コスプレ大好き人間の陳さんである。冷気の貴船は京都市内よりもかなり涼しいためか、7月中旬を過ぎても青もみじがまだ美しい。

 奥の宮の参道の入り口近くに"相生の杉"という神木がある。"相生"とは同じ根から生えた二本の木のことを意味する。"相生"は"相老"に通じ、夫婦共に長寿の意味をももつ。ここの相生の杉の樹齢は1000年にもなる。

 貴船神社は昔から、「丑の刻参り(うしまこくまいり)」が行われ続けた場所としても有名だ。神社の創建は666年以前からで、平安時代からはさまざまな階層の人々がここを訪れている。「水の神(水神)」を祀る全国二千社の神社の総本宮だが、「縁結び」とともに、「縁切り」「呪詛」の信仰を集めていもいる。

 丑の刻参りは別名"呪いの藁(わら)人形。7日間にわたって毎夜、丑の刻(午前1時から3時)に、神社の御神木などに、憎い相手に見立てた藁人形に釘を打ち込み呪詛する。もし、その行為の場面を人に見られたら、見た人間を殺さなければ呪いの効力はなくなるとされている。日本の古来からの術祖の一つだ。

 私が初めてこれを目撃したのは、故郷の隣村の二ノ宮神社で、中学3年の夏休みのことだった。ここ貴船神社には4年ほど前の夏、地元の人に教えてもらい丑の刻参りの釘跡がたくさん残る場所へと行ってみたことがある。現在でも丑の刻参りは行われているようで、この相生の杉の木の裏にもたくさんの真新しい釘の跡が残る。今回は陳さんをここに案内した。中国でも呪詛術はたくさんあるが、中国での最強の呪詛は「蠱毒(こどく)」という呪詛法だ。このあたりのことは、大学の「日本文化名編選読」の授業の中の一コマ「日本の宗教文化―日中宗教比較」の中でも学生たちに紹介している。

 貴船川の上に床を張った川床はとても冷気があって涼しく、京都市内の鴨川べりに並ぶ川床とともに、京都の夏の風物詩。最近の猛暑日というか酷暑の日には、ここ貴船の川床の席は別世界だ。予約料理の中では最も安い「流しそうめん」を、貴船に着いた早々に予約できたが、それでも2時間待ちの予約時間だった。今年ここに来たのは初めてだったが、川床の喫茶店もできていたのには驚いた。この喫茶店に入るのには長蛇の列ができていた。

 陳さん、ここでのポーズを決めて自撮りをしていた。浴衣すがたに頭には狐の面を置いていた。他の客もそのようすにちょっと驚いていたが、私はいつもながら少し恥ずかしい。 

 流しそうめんを食べたあと、貴船神社の本宮に向かう。七夕飾りの何本もの竹に、願いを書いた短冊がたくさんつけられていた。ここもまだ青もみじが美しかった。陳さん、ここでも写真ポーズを決めていた。

 貴船をあとにして鞍馬に向かう。時間も遅くなってきたので、鞍馬寺の三門(山門)まで行き、近くのお店に入り冷たい抹茶を注文。フランスから来たという若い観光客5〜6人が、店でうどんを食べていた。店内には鞍馬ゆかりの天狗の面や烏(からす)天狗の面が並べて売られていた。天狗ソフトアイスクリームの看板がなかなかユニークで面白い。三種類あって、赤いイチゴソフトは天狗ソフトアイスクリーム、牛若丸の白い衣装にちなんだ白バニラ、烏天狗は黒バニラ。

 午後4時を過ぎたので、鞍馬から京都市内に向かう。四条大橋の近くのビジネスホテルに宿泊している陳さんを四条大橋付近で車から降ろし、「再見(バイバイ)」と別れを告げた。彼女は翌日25日(日)の深夜バスで東京に帰り、26日(月)の早朝に東京着、そのまま会社に出勤予定とのこと。

 新型コロナ感染拡大による緊急事態宣言が春から続き、その後の6月20日ころから蔓延防止措置に移行していた京都。7月12日にその蔓延防止措置もようやく終わり、久々に町に活気のようなものが戻っていた7月中旬~7月下旬だった。祇園祭りの山鉾巡行(例年、前祭の7月17日と後祭の7月24日)は昨年に引き続き今年も中止されていたが、町の通りには祇園祭の提灯が並んでいた。居酒屋などの飲食店も灯りがつき営業再開をしているところが多くなっていた。

 鴨川に架かる五条大橋、四条大橋、三条大橋、丸太町橋の間のの川沿いに100軒あまりの川床の店が並ぶ。たくさんの客で久々に賑わう光景が見られた。ひさびさの活気が戻っていたこの3週間あまり‥。

 7月31日付朝日新聞に「緊急事態宣言6都府県に拡大—北海道・石川・京都・兵庫・福岡にも重点防止措置—8月2日から31日まで」の見出し記事が掲載された。東京と沖縄だけでなく、神奈川・千葉・埼玉・大阪も緊急事態宣言となり3府県が蔓延防止措置が決定した。さらに今回のこの蔓延防止措置などは飲食店での酒類の提供は一切禁止という、この1年間半のコロナ禍下で最も厳しいものとなったのには、私も気落ちした。8月3日には、1年半ぶりに友人2人とともに3人で京都の伏見で一杯のみをしようと半月ほど前に約束していたからでもある。

 8月3日の夕方6時に京阪電鉄伏見桃山駅で待ち合わせた。鈴木さんと小林さんとは久しぶりに会った。伏見桃山の大手筋商店街の飲食店は、「8月31日まで閉店します」の貼り紙が多くあった。開店している居酒屋で、ノンアルコールビールで一杯のみのとなる。午後8時の閉店なので、その時間までいろいろと一杯飲み? をしながら話す。

 翌日の8月4日は、早朝7時に家を出て銀閣寺界隈の娘の家に行き、幼い孫たち3人の子守のサポートをする。夕方、自宅に戻る途中に、四条大橋や祇園や先斗町や木屋町界隈を歩いて三条大橋に。炎天下の1日で最高気温は37度の一日だった。夕方になっても気温は下がらず、鴨川に飛び込みたくなる。

 先斗町の通りの飲食店は7割くらいが8月31日まで閉店しますとの貼り紙が貼られていた。酒提供一切禁止の禁酒措置は、飲食店にとってはものすごくきつすぎる要請だろう。鴨川べりの百日紅(さるすべり)の花が美しい。

 昨日8月4日、全国の新規感染者数は1万4207人。東京は4166人、京都も277人と驚くべき数字となった。デルタ株感染は全国に拡大し、23都道府県がステージ4となり、新たに8県(福島・茨城・栃木・群馬・静岡・愛知・滋賀・熊本)も蔓延防止措置が追加された。この厳しいコロナ禍下、東京五輪の熱戦は続いている。もうしばらくは、居酒屋飲みを我慢して、8月8日までの昼夜は五輪観戦と孫の世話かな。

 

 

 

 

 


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