彦四郎の中国生活

中国滞在記

5年ほど前までの上下杭のディープな古街は➋—庶民生活がよく見られた町並みも、今は再開発されて観光地に変貌している

2023-12-10 19:21:51 | 滞在記

 2019年頃までの「上下杭」地区のようすを紹介したい。この地区に住んでいた数万人の住居のかなり多くは取り壊しがされずに今も残っている。しかし、運河のような川の周囲の伝統的な家屋の多くは、観光地化への再開発のために改修されたり、取り壊されて新しく伝統家屋様式の店などに変貌している。見違えるように運河の川の水が浄化されてもいる。そして、そこを老若男女の観光客が訪れるようになり、そのあたりでかって見られた庶民の暮らしはみられなくもなっている。

 2019年頃までの「上下杭」地区の運河(川)のようすは以下のようであった。道教系+媽祖系の寺院。今は壁も朱色に美しく塗られているが、当時は色彩も薄く古ぼけていて、歴史を感じる建物だった。中に入ると、ちょっと薄気味がわるいような像が鎮座していた。中では、地域の人たちがよく麻雀(マージャン)をしていた。

 その寺のそばには運河に架かる「路通橋」という名前の立派な石橋がある。かって運河を通る小舟のために、中央部は高くもなっている。カジュマルの木々が橋にまとわりついている。地区の人たちが、寺に至る橋のたもとに、巨大な赤い線香のようなものを立てていた。

 この「路通橋」が作られたのは唐時代であることが碑文に書かれていた。寺から橋を渡ると、女性たちが洗濯ものを、路上の高いところに干していた。竹竿を使って洗濯ものを高々と干している光景。

 路地には人々の暮らしのようすが家の中までよく見える。軒先で、日本ではみられないカードゲームを楽しむ人たち。大きな樹木によりそうように小さな店もあった。

 今晩、宴会があるのだろうか。赤い布が敷かれたテーブル席がたくさん置かれ、料理の準備をする人たち。地区の市場には人々で賑わう。

 地区の空き地では、小学生の子供たちがチャンバラごっこ遊び。

 大きな落とし穴を作り、その穴の上にムシロを敷いてもいた。こんな光景が上下杭の2019年までの光景だった。

 今はこのような上下杭での光景を見ることもなくなった。時代の流れと言えばそれまでなのだが‥。画一的な、どこでもよく似たような、こぎれいな、伝統的な建物様式の町並みを新しく作るという観光地が、全国各地に作られた中国の今‥。

■2013年の9月に福建省福州市に赴任し、生活を始めたが、このころの中国生活の魅力の一つが、日本の1950年代のような光景と現代の光景が同時に展開している中国社会であった。2013年からのこの10年間で、そのような中国社会のようすも大きく様変わりした。特に、2017年・2018年頃から中国全土の都市部では古街が取り壊され、市政府主導で高層マンション住宅が次々と建てられることが加速した。古街の庶民の暮らしの光景も、中国全土から少なくなってもいった。そして、住宅バブルの崩壊の進行となってもいった。

 

 

 

 


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