彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国で「最も中国人に愛され・尊敬され・惚れられた日本人俳優」②―高倉健という日本人—

2016-04-21 12:53:19 | 滞在記

 中国人にとって、日中戦争や第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結する1945年以前より「李香蘭」の名前で中国大陸(※主に満州国)で映画出演していた彼女の名前は有名だった。中国の人々からは、「彼女は中国人」と思われていた。終戦後、中国より、日本軍に協力した「売国奴」の罪により逮捕され裁判にかけられ、日本人であることが証明され無罪となり帰国を許された彼女。
 本名、山口淑子。1920年生まれで2014年、94才で死去した。自由民主党の参議院議員として活動していた時期もあった。

 中国の人々から「最も愛され・尊敬され・惚れられた」日本人俳優は、高倉健であった。中国人で45歳以上の人なら知らない人はいないようで、「中国人民10億人に愛された男」であった。
 私が中国の大学に派遣された2013年9月の翌年の2014年1月、学生の実家というものに初めて宿泊した際、食事をして飲みながら 学生の父親や彼の友達たちから出て来た言葉が「ガオ・ツァン・ジェン!」だった。何かと思って筆談で書いてもらったら、高倉健の中国語読みだった。あと、「ツァン・コウ・バイ・フィ!」。これは何かと書いてもらったら山口百恵だった。みんな熱烈なファンだという。その時は、「ふうん、そうなんだ--。」という感想程度しかもっていなかった。
 1966年から始まった「悪夢の文化大革命」が、「4人組」の逮捕をもって終結を終えた1976年。そして、1978年に「日中平和友好条約」が締結される。改革開放路線に巨大な舵を切った中国の新指導者・小平主席(※毛沢東の死後、中国国家主席となる)は、日本を中国の経済発展の未来モデルとした。しかし、それまでの長年にわたる中国社会思想方針「反米反日」教育の徹底下、日本人に対する中国人のイメージは非常に悪いものであり、極悪非道の敵国国民でもあった。小平としては、「日本に学ぶ」ためにも、日本人に対するイメージを好転させる必要に迫られた。そんな時代の要請のもと、政府間文化交流として、中国で初めて「日本映画週間」が多数の都市で行われ、3つの映画が中国各地で上映された。『サンダカン八番娼館 望郷』と『キタキツネ物語』、『君よ憤怒の河を渉れ』だった。
 中でも『君よ憤怒の河を渉れ』(中国映画名『追捕』)は、中国国民の心を完全にとらえた。当時1億人以上の人が見たと言われる。主人公の杜丘冬人(もりおか・ふゆと)の、寡黙で毅然とした見かけの中に脈々と優しい心を持ち、東洋の男らしさのイメージをもつ高倉健は、無数の中国の男女を魅了した。ヒロインの中野良子は「真優美」(本当に美しい)と呼ばれ、これまでの中国の国産映画のヒーローやヒロインには見られなかった東洋の男らしい男であり、魅力的なヒロインであった。また、文化大革命による多くの冤罪やでっちあげで殺された人々が多かった時代を経験した中国国民にとって、冤罪を晴らすため行動する正義の行動は深い共感を得た。
 その後、高倉健と倍賞千恵子の『遥かなる山の呼び声』や『幸福の黄色いハンカチ』、『八甲田山—死の彷徨』などが次々と中国各地で上映され、高倉健の主演した映画を見た中国人は8億人にのぼると言われている。この視聴を通じて、中国人の日本や日本人へのイメージが大きく変化したようだ。映画の舞台となった東京や北海道の情景を見て、日本へのあこがれへと変化したと言われている。
 当時、1980年代、「高倉健風」は褒め言葉であり(※主人公を追う矢部刑事役の原田芳雄も「原田芳雄風」といわれ褒め言葉)、田中邦衛の演じた悪役・横路敬二(風)は、蔑称となった。

 2005年、中国での第一次反日運動が高まっていた時期、『単騎、千里を走る』が製作され、中国各地で上映された。反日運動の高まりの中でも多くの観客が映画館にかけつけた。監督の張芸謀(チャン・イーモウ)は、高倉健に憧れ続けていた人だった。彼は、『初恋の来た道』(※章子怡・チャン・ツイー主演)などの優れた映画を作り、2008年の北京オリンピックの開会式・閉会式総合芸術監督を務めた。
 2011年、原田芳雄が死去した際、中国の新聞などで追悼記事が多く掲載された。そして、2014年11月18日、高倉健が死去、享年83歳。(1931年生まれ)

 高倉健の訃報を知った中国政府は、中国の国営中央テレビ(cctv)は、すぐに全国ニュースの「新聞伝播」で報道しただけでなく、中国外交部の洪磊(ホン・レイ/こう・らい)報道官(※外交部副局長)が「彼は中国人のだれもか知る日本の俳優であり、日中友好に重要な貢献を尽くした」と功績を讃える声明を発表した。2012年9月以降、尖閣諸島をめぐる日中関係の悪化にともなう時期以降、いつも「日本絶対許すまじ!」という表情で日本を非難する、あの報道官が、である。これは、私もテレビを見ていて驚きだった。そして、中国人にとって高倉健とはどんな存在だったのだろうかと知りたくなったきっかけとなった。
 様々な中国の新聞でも、一面記事で訃報を伝えた。ソフトパワーは、政治や軍事力よりも強く、そして「銭」よりも強い力を持っていると思える出来事だった。

 2016年の今、『君よ憤怒の河を渉れ』のリメーク版の映画製作が中国・香港で準備されている。映画の中国名は『追捕 MAN HUNT』。「追い捕まえる—憤怒の男」という意味になるだろうか。監督は、香港映画界の巨匠:呉宇森(英語名はジョン・ウー)。数十億円の巨費にのぼる映画作成となるようだ。
 昨年の秋、「主役の杜丘冬人が誰になるか?金城武かチャン・ハンユーに絞られる。」と話題を集めた。今年の2016年3月16日、公式発表が行われた。主役の杜丘は、張涵予(チャン・ハンユー)、矢村警部役は日本人の横山雅治、そしてヒロイン役は戚薇(チー・ウェイ)と発表された。ヒロイン役の女優は、私は全然知らない人だった。主役のチャン・ハンユーは、「アジアのおじさん」とも呼ばれる有名俳優。中国テレビドラマ『水滸伝』の主役:宋江を演じた俳優でもあり、硬派のおじさんというイメージがある俳優である。




 

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