彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国:「端午節」―粽(ちまき)とドラゴンボート・レース―

2015-06-22 16:49:26 | 滞在記
 
 一昨日の6月20日(土)は、中国の伝統的行事(祝日)である「端午節」だった。この日は、中国全土で「粽(ちまき)」が食べられ、各地の河川ではドラゴンボートのレースが行われた。
 1949年の「中華人民共和国」成立以前からの伝統的行事で、現在 国民の祝日となっているのは、1月~2月の時期の「春節」(新年の正月)、4月上旬の「清明節」(先祖供養の日)、5月~6月の「端午節」、9月上旬の「中秋節」(月を愛でる日)の4つである。(※中国の祝日は、毎年12月中旬頃に来年度の祝日の日が決定される。昨年度の「端午節」は5月下旬だった。)
 日本では「端午の節句」は5月5日(子供の日)だが、中国の「端午節」は子供の日とは関係がないようだ。「端午節」の由来は「屈原」という人を偲ぶ日から来ている。戦国時代(紀元前4~3世紀)の「楚(そ)」の国の政治家であった屈原(くつげん)は、正義感の強さと愛国心で多くの人望を集めた人だった。しかし、同僚の陰謀で地位を追われ、不遇な日々を送ることになった。中国古典文学の名作「楚辞」の「離騒」は、屈原が国を憂い、その想いが届かず世を儚んでいる心情が詠われているが、まさにその詩のように、屈原は楚の将来を儚んで旧暦5月5日に入水自殺してしまった。
 人々は屈原の遺体を探すために川に船を出すが遺体は見つからず、屈原の体が川の中で魚の餌になるのは忍びないと考えた人々が、船から太鼓を叩くなど大きな音を立てて魚を追い払ったり、川に粽をまいたりした。
 そのようにして人々は屈原を偲んで、命日に川に船を出したり粽を作るという習慣が生まれ、それがドラゴンボートレースとして発展し、今日に至っている。

 「福州のドラゴンボートレースは、どこの川でやるのだろう?」「何時から始まるのだろう?」とはっきりと知らなかった。そこで、端午節の朝、宿舎のある旧キャンパスの門衛さんに聞いてみたが、あまり要を得た説明をしてもらえなかった。いつも散歩している宿舎近くの河川公園沿いの川でおそらくやるのだろうと思い8時頃に行ってみた。いつもは出ない露店もちらほらあったので、「間違いなくここだ。」と思った。子供連れの見学の人々が多いからか、風船なとも売られていた。日本の風船キャラクターとしては、「ドラえもん・ウルトラマン・キティちゃん」などがあった。しかし、10時になっても始まる様子がなかったので、宿舎に戻った。

 1時間あまり昼寝をした後の2時半ころ、宿舎の部屋に「太鼓やドラ、爆竹」の音が聞こえてきた。「ああ、ドラゴンボートレースが始まったのだ!」と思い、河川公園の方に行ってみた。大勢の見学者で溢れていた。

 川面を見ると50艚ほどのボートがあった。ボートの大きさや規格は決まっていないようだ。また、人数も決まっていないボートレースのようだ。ボートの先頭には龍(ドラゴン)の彫り物がある。

 ボートの上には、櫂(かい)を漕ぐ漕ぎ手の他に、船の舵(かじ)を操作する人、ドラを鳴らす人、太鼓を打つ人、そして船の先頭で爆竹を空中にて破裂させて音を出す人がいた。漕ぎ手の人達の肩や胸は、日ごろの練習で筋肉が盛り上がっていた。

 レースは、午後4時半頃に終わった。この河川公園を地元としている船以外は、陸に上げられてトラックで運ばれていった。朝の8時頃から見かけた露店の子供向け商品は、かなり売れたようだった。小さい女の子が母親に叱られ泣いていた。露店の商品をねだりまくったようだ。母親のしかり方もすざましい。近くに人がいようがいまいがお構いなしなのが、中国の一般的な母親のしかり方。なだめすかすことはあまりなく、機関銃のように大声で罵倒されながら叱られる。このように叱られると、子供は「ごめんなさい。」を言うチャンスがもちにくい。自己弁護しか心理的にしたくなくなるとも思う。中国人が「謝罪表現」をめったにしない背景がここにもあるのかなと思ったりもした。

 河川公園の一角の中国風休憩所の建物では、「二胡・ギター・バイオリン・笛・金・アコーディオン」の楽器からから構成されている演奏グループの生演奏による歌唱が行われていた。歌唱する人は、演奏グループのレパートリー曲から選んで注文し、歌っていた。
 毎週、土・日・月曜日は3日連続授業がないので、旧キャンパスの宿舎で、孤独を我慢する生活を過ごすことも多いのだが、この日は「端午節行事」で少し心楽しむ。(※6月20日(土)は端午節で祝日。21日(日)、22(月)も休みで3連休となった中国だが、振替出勤(学校も会社も)が6月27日(土)となっている。)
 端午節の前日、福州に実家がある学生の一人から粽(ちまき)をもらった。中国の粽は一つが大きいので、一つ食べるとかなり腹が満たされる。端午節の日、朝一つ、昼一つ、夕食に一つ食べた。粽は、三角形のおにぎりのようなもち米の中に、肉などさまざまな具が入っている。家庭によって粽に個性がある。食べると美味しい。日本人の食感にも合う。昨年は、学生たちから合計18個もの粽を土産にもらった。食べるのに一週間を要し、粽に飽き飽きした。明日は、授業があるので、故郷に帰っていた学生達が「先生、我が家の粽です。どうぞ。」と持って来るのだろうか。(※粽を包む笹の葉から浸み出す成分が、腐敗を防ぐ防腐成分となり、保存食となる。1週間経っても腐らずカビも生じない。また、もち米なので、普通の米のように硬くなりにくい。)
 先週の水曜日の早朝から続いていた、おそらく何かの食中毒による下痢と腹痛が、ようやく今日の昼ごろに、かなり回復したようだ。(完全回復ではないが) 長かった。いつも夕方になると飲みたくなる、一日の最大の楽しみビールもこの間は飲みたくもなかったし、食欲もほとんどわかなかった。今日も夕方になってきたが、まだ、ビールに対する欲求は薄いなあ。(食中毒からの回復度80%程度かな)



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