彦四郎の中国生活

中国滞在記

近所周辺の散歩を兼ねて、スーパーマーケットへの買い出し―日本への留学希望者たち―

2016-06-01 08:58:29 | 滞在記

 今日は6月1日。日本では「衣替え」の日となるが、中国は「児童節」、つまり「子供の日」。祝日とはならないので学校があるが、小学生たちにとっては楽しみな日となるらしい。学校では、いつもの「授業、勉強、勉強」の日ではなく、ちょっとしたお楽しみな行事があったり、お菓子をもらえたりするそうだ。
 「暑さと湿気」にめげそうになる日々なので、近くのスーパーマーケット・チェーン店舗「永輝(ヨンフィー)」に行く回数も少なくなった。先週の火曜日の夜、冷蔵庫の中も物がほとんどなくなったので、翌日の午後 買い出しに。いつも行く最短の道ではなく、少し大回りだが、散歩を兼ねた道を通っていった。 宿舎のある「師大新村」を出ると、すぐに他のアパート群がある。洗濯物もたくさん干された庶民的な古い住居も ここらへんは多い。
 少し大きな道に出る。自転車に屋根が付いている。クスノキやカジュマルの大木が、少し暑さをやわらげてくれる。段ボールなどの資源ごみをリヤカーで運ぶ仕事の男性が通る。

 5月中下旬から6月上旬にかけて、この辺の道路の街路樹の「藍花楹」(中国名:ランファイン)の花が咲く。薄い紫色で形は「桐の木の花」によく似た花を咲かせる。とても美しい。
 カジュマルの根が覆う小道を歩く。初めて通る道を行くと、素敵な喫茶店があった。そこを降りて行くと、バスが通る道に出た。

 私が住んでいる宿舎の一帯は「倉山」と呼ばれている地区だ。1800年代後半から1900年代前半にかけて、「日本・アメリカ・フランス・ドイツ・イギリス・ロシア・ベルギー」などの外国領事館が作られ、外国人が住んでいた建物も多く残っている。緑も多く、学校が多い文教地区となっている。鳥の処理する女の人、トランプ賭博を楽しむ人たち。ミシンの機械で靴を修理するおじいさん。

 古びて壊れそうなレンガ造りの建物も多い。壊されてしまうのは勿体ないが仕方がない。保存が難しい。一方で、新しいレンガ造りの建物も作られていた。中国が「古い建物のよさ」に目覚め始めたのは、ここ数年の事のようだ。
 初めて通る小路を通るとスーパーマーケットに着くことができた。スーパーに入る。果物コーナーには安くて種類が多い。5月中旬から「レイシ」も出回り始めた。楊貴妃も好きだったというこの果物は、中国南部の「広東省」でよく採れる。広東省から約1500kmの西安まで、このレイシを楊貴妃のために、皇帝は「3日間で運べ!」という命令を下していたらしい。
 スーパーの出口に、よくいるおばあさん。伝票レシートをいろいろな人から集めている。私もいつも彼女に渡す。たくさんの金額があつまると、何か お金に変わるのかもしれない。 おばあちゃんのアルバイトという感じかな。出口付近で、「子供のカタカタ人形」が売られていた。可愛い、中国アニメの有名キャラクターとして一番の「羊羊(ヤンヤン)」を買った。この春に結婚した娘と婿さんに渡そうと思う。
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 重い買い物袋を二つ持ちながら、いつも通う宿舎への道を歩く。途中「倉山小学校」。学校の北門を見ると、「学校の学芸会」の案内看板があった。よく見ると、「低学年」「中学年」「高学年」の開催日や時間が違っていた。この学校は、学年に8クラスもあった。中国の都市部では普通のクラス数らしい。 第一勉強・第二勉強・第三も勉強の中国の学校。日本と違って 授業時間を使って 学芸会のクラス練習や学年練習をする必要のない 「個人 個人 又はグループ」をクラスの中から選んで クラスを代表して発表する会のような感じのようだ。
 宿舎の近くには「ブーゲンビリア」の花々もよく咲いている。

 三日前の5月29日(日)の朝、閩江大学3回生の学生6人が宿舎にやって来た。ものすごく暑い日だったが、探し回って ようやく宿舎に到達したようだ。福建師範大学のキャンパス内に宿舎があると勘違いしていたようだ。
 6人ともに、大学院への進学を希望しているようなので、「日本への留学」に関して、パワーポイントで作成しているものを使って1時間ほど詳しく説明をしてあげた。
 近くのバス停から2つめの「黄岐海鮮坊」という よく利用する店に案内して、昼食をとった。ビールで乾杯。料金は私の方で払うつもりだったが、トイレに行っているうちに学生達に支払われてしまった。














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