彦四郎の中国生活

中国滞在記

天皇と元号❸—世界史における、権威・権力の「一元支配構造社会」と「二元支配構造社会」

2019-05-07 06:25:17 | 滞在記

 平成最後の日となった4月30日と令和となった5月1日、中国のテレビ報道やインターネット報道などでは、平成天皇である「日本明仁天皇和美智子皇后」の退位に関する報道がなされていた。そして、新天皇となった令和天皇である「日本徳仁天皇剛剛即位」の見出しで即位について報道されていた。

 大阪道頓堀での「令和」時代に入ったことを祝う人々などの写真も掲載されていた。また、新天皇が1960年生まれであることや新天皇一家のこと、新皇后の健康問題などにふれている記事もあった。「共同通信」の記事によれば、「5月1日、習近平国家主席は即位した新天皇に祝電を送り"(中日)は手を携えて平和的な発展をすすめ、両国関係の未来を作るべき""両国は一衣帯水の関係で、長い友好の歴史がある"として、退位した上皇にも祝電を送った」と報じていた。

 日本における「天皇制」とは何なのか。日本の歴史における天皇制とはどんな位置づけがされるべきものなのか。中国での6年間あまりの生活の中で「中国の歴史」をよく考えるようになってきた。世界史の中での「中国の歴史」「ヨーロッパの歴史」「日本の歴史」などを比較してみると、中国は日本やヨーロッパの歴史とは、大きく違うことがあることに気がつき始めた。それは、国や民を支配する権威・権力構造が中国では多くの時代を通じて「一元支配構造」であり、日本やヨーロッパでは「二元支配構造」だったという違いだった。

 中国では殷の時代は封建制的な社会支配構造だったが、その後、秦の始皇帝が「秦王朝」を打ち立て中国全土を統一する時代から、「易姓(えきしょう)革命」思想[天が皇帝を遣わしてこの世を支配せしめるという思想]によって、皇帝を絶対とした「一元支配」の構造が脈々と何千年も続いてきている社会であった。それは、現在の中国共産党一党支配構造の頂点にたつ習近平国家主席の今の時代も基本的に変わらない。一元支配構造の社会では、全ての権威・権力は「皇帝」や「国家主席」に集中することとなる。一元支配社会というものは、権力・権威が一つのところに集中するだけに、時にはとても恐ろしい歴史をともなう社会でもある。(※5月6日、映画「キングダム」を見た。始皇帝を主人公の一人とした漫画の映画化だが、中国で初めて中国全土を統一し支配した「秦」の王・正(始皇帝) 中華統一の思想は今も中国の社会を支配している。)

 それに対して、ヨーロッパや日本では、封建時代や「二元的支配構造」が歴史上長く続いてきた社会であった。ヨーロッパ諸国では、国王が権力・権威を持つが、もうひとつキリスト教の教会勢力が権威をもっていた。日本では武士階級である将軍が権力・権威を持つが、もうひとつ「万系一生」の天皇家が権威をもつという社会であった。おそらく、日本の「天皇制」の歴史の存立意味はそんなところにあるのかと思う。

 「国民主権」の今の日本で、「天皇一族」を「国民の象徴」とする日本国憲法の必要性があるのかどうか疑問ではあるが、中国の「一元支配」の怖さと比較した場合 そんな歴史的必要性があったことは理解できる。(※日本の歴史上、「明治」「大正」及び「昭和前期(1927年~45年)」という時代は、天皇制のもとで、「一元支配構造」[大日本帝国憲法のもと、天皇主権となり、権力的にも権威的にも、天皇は神格化された。基本的には一元支配の構造であった。)

 4月30日の夕方に中国から日本に帰国した。その夜に日本で久しぶりに大きな画面で日本のテレビ番組を見た。天皇の退位と新天皇の即位に関するテレビ番組が延々と続いていた。翌日の5月1日、この日はほぼ一日中、どのテレビ報道局も、新天皇即位に関する番組をやつていた。この日は日本のテレビ局の劣化を感じて、テレビを見ることをやめた。5月3日付の朝日新聞を見ていると、「大みそかを思わせる"ゆく時代くる時代"と銘打って改元をまたいでNHKは報道」「お祭りさわぎ」「天皇制議論はほとんどなく」「NHKは3日間で33時間にわたって報道」などの見出し記事があった。

 5月5日付の朝日新聞報道では、「即位祝う 一般参賀14万人」「即位を祝いたい 夜明け前から列」などの記事があった。新天皇が即位し元号が変わったことが、そんなにめでたい、喜ぶべきことなのだろうか? 10連休という中、渋谷のスクランブル交差点や大阪の道頓堀で 改元・即位に浮かれている若い人たちの能天気さというかバカさというか?歴史認識の欠如は物悲しい。

 「日本の天皇・皇后、皇太子・妃殿下について親しみを感じますか」というアンケート結果を1980年と2018年とを比較した資料が新聞に載っていた。1980年には40%が親しみを感じると答えた。高くもなく低くもなくという結果。そして2018年には75%の人が親しみを感じると高い結果に推移している。1980年代末に昭和天皇の死去にともない、明仁天皇(平成天皇)と美智子皇后が即位したわけだが、この30年間あまりの天皇・皇后の印象が国民にとっては親しみを感じる大きな要因となったのだろう。特に美智子妃殿下・皇后に関しては、「国民が皇室に親しみを感じる」「敬慕の念を感じる」大きな要因となったことはまちがいない。私もこの「平成天皇・皇后には親しみを感じていた。この天皇・皇后が退位した。おそらく今後、国民が「天皇家について親しみや敬慕を感じる」ことは下降していくかもしれない。とりわけ美智子皇后と雅子皇后への敬慕の念では 日本社会の歴史の推移とともにあまりにも違い過ぎる感がある。

 

 

 

 

 


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