彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本で働いている閩江大学の卒業生たち、京都に来る―3・4・5・6・7月の鴨川べり界隈の人の推移、人戻るも

2020-07-10 18:05:44 | 滞在記

 桜の季節の3月下旬、東京は新型コロナウイルス感染のクラスターが次々と発生、感染拡大が深刻化し始め、桜の名所上野公園なども次々と閉鎖された。そんな中、京都はまだ感染問題は小さかった。鴨川にかかる三条大橋や四条大橋の界隈も人の通りが多かった。4月7日、政府は全国への緊急事態宣言を発表した。

 それからは外出自粛のため、四条大橋・三条大橋間の鴨川河川敷から人はほとんどいなくなった。5月もそんなようすが続いたが、5月20日すぎころから人が少し増え始めた。緊急事態宣言が全国的に解除された6月上旬、河川敷に人が戻ってきた。鴨川に面した川床(かわどこ)の座敷にも灯りがともりお客がけっこう入り始めた。

 鴨川べりの先斗町の通りにも人が戻り始めた6月上旬。着物姿の舞妓の人、浴衣姿の女性の姿も。

 6月21日(日)、この日の夕方に三条大橋を渡り、鴨川河川敷に行くと大勢の人が凉と風情を求めて川べりで佇(たたず)んでいた。

  三条大橋の北の河川敷にはたくさんの外国人が集まっていた。京都などに在住している人たちのようだ。なにやらプラカードのようなものを持っている人もけっこういる。アメリカで起きた人種差別問題などへの抗議が書かれている。翌日の新聞でこの日に京都市内の八坂神社付近からここまで、街頭デモをした人たちのことが書かれた記事があった。

 この日、閩江大学の卒業生で、現在は日本で働いている林さん(広島で勤務)と劉さん(大阪で勤務)が京都に来た。昼は銀閣寺の近くに住んでいる娘の家に行きお昼を食べて過ごした。私の妻も昼食を作りに娘の家に行っていた。夕方の5時半に私は林さん・劉さんと三条大橋のたもとで会って夕食を一緒にとることになっていた。私は3月以降初めてのお店での外食だった。

 先斗町で四条大橋近くにある川床のある店に行くこととにした。予約電話を入れる。川床は川風もあり気持ちがよかった。三密での換気も必要ない場所だ。湯豆腐を注文し、久しぶりの乾杯をした。

 その後、先斗町の「みちのく」に行き、乾杯をしながらこれも久しぶりのカラオケをして時を過ごす。午後8時半ころ、これから劉さんの大阪のアパートに戻る2人と阪急電車四条河原町駅で別れた。午後9時になっても鴨川河川敷には大勢の人たちが座っていた。

 1週間後の6月28日(日)、この日の三条・四条間の鴨川河川敷もたくさんの人が訪れ、思い思いに過ごしている姿が見られた。川床にはたくさんのお客さんが。三条大橋たもとにある"東海道五十三次"の旅物語の"やじさん・きたさん"の2人の像の口には白いマスクが付けられていた。この日の気温は30度まで上昇し、南米系の人たちのグループが数名、鴨川に入り凉をとっていた。

 四条大橋西たもとの建築家ヴォーリズの設計なる東華菜館。ここでも鴨川に面しての川床がありたくさんのお客で満席。同じく四条大橋東たもとの菊水の建物や京都・歌舞伎座(南座)のある交差点にもたくさんの人が。ようやく新型コロナウイルス感染問題が落ち着いてきたかなあと思えた京都の6月下旬だった。

 しかし、この頃、東京で始まった第二次感染がぐいぐいと広がり始め、全国にもその影響が及び始めていた。政府首脳も東京都知事も具体的な感染抑制策はほぼとらず、7月10日は1日で東京で224人、大阪で30人の新規感染者が発表された。1日の新規感染者数としては緊急事態宣言が発令された4月上旬・中旬ころに逆もどりしつつあるようだ。

    知事選挙の立候補前の6月上旬には「東京アラート」なる宣言を2週間ばかりおこない、立候補前日にはこの宣言を解除。50人以上の1日の新規感染者が出たら再びこの宣言を発動しますと言っていた小池東京都知事。7月5日の知事選挙で勝ったとたん、これまでのパーフォーマンスもまったくなくなり、感染増大にまかせるばかりの政治姿勢となった。週刊新潮には、「コロナ第2波元凶は小池百合子の二枚舌」との特集記事が掲載されていた。

 中国の7月8日のインターネット記事の見出しには「日本京都再爆発集体感染8人‥‥」。京都であるパーティに参加した人のうち8人がコロナに感染したとの記事。

 ここ四条・三条の鴨川界隈の人もこれから減少していくだろう。たった1カ月間だけの束(つか)の間の賑わいとなるのだろうか。

 

 

 

 

 

 


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