彦四郎の中国生活

中国滞在記

丹波・近江の古刹❶―花背大悲山「峰定寺」と美山荘(丹波)

2017-09-10 18:14:32 | 滞在記

 京都市左京区の鞍馬から花背峠を越えてひたすら山道を北上すると花背地区がある。さらにこの地区を北上して桂川の源流を進むと、「花背大悲山峰定寺(はなせ・だいひさん・ぶじょうじ)がある。もうほとんど、京都市左京区と丹波町の境である佐々里峠が近い。ここは丹波山地の山中である。

 8月26日(土)、京北町にある妻の姉の家に泊まった帰りに、この大悲山の古刹に立ち寄ってみた。桂川の源流に向けひたすら川沿いに車を走らせる。30分間ほどで峰定寺の門前に到着した。元はこの寺の「寺坊」(宿泊坊)であった「美山荘」が見えた。今は、料理料亭・旅館として営業しているこの美山荘は、とても趣のある建物だ。季節感に溢れた料理や生け花やおもてなしで有名な季節料理旅館である。

 12年ほど前に一冊の本を買った。『花もごちそう』という題名の、この「美山荘」に関する本だった。文章も写真もなかなかよかった。特にこの地の季節の生け花が素晴らしかった。

 大悲山は、近畿地方において奈良県の「大峰山系」が南の修験者の聖地とすれば、ここは修験者の北の聖地である。境内に入って行くと桂川の源流の一つの渓流が流れていた。平安時代末期の1100年代の中頃、山岳修験者に観空西念(かんくうさいねん)という人がここ大悲山にいた。彼の高名を聞いた鳥羽上皇は都に招こうとしたが断られたため、この地に峰定寺を創建することとなった。寺の造営には、工事雑掌(工事責任者)として平清盛が任命されている。1154年に完成した。現存の建物は、1350年の鎌倉時代末期に再建されたものだ。「清水の舞台」のような本堂が山中にある。「寺務所」の建物に向かう。入山料が必要なようだ。

 「寺務所」の人が、「山門から山を登り本堂に行くには、財布以外のカメラや携帯電話などは全てここに置いて入山してもらうことになりますが、山に登りますか?どうしますか?」と問われた。「登ります」と言うと、お坊さんがよく下げているポシェットのような小さな布制のかばんを渡された。山門の前には樹齢何百年かの「コウヤマキ」の大木。財布だけを布バックに入れて山門をくぐって本堂に向かって山道を登り始める。小さな谷川の流れもあり、暑い日だったがとても涼しい山道だった。20分ほどで本堂に着いた。見事な歴史的建築だった。本堂の廊下から見える丹波の山々が美しかった。本堂横には修験者が修行をする「行場」があった。本堂横には「水場」もあった。この大悲山は800mほどの高さの山。この寺の本山は、「八つ橋」本舗で有名な京都市にある「聖護院」である。70〜80年ほど前の一時期は、この寺に住むお坊さんがなく、かなり荒れ寺となっていたこともあったようだ。

 しばらく山々を眺めて下山をする。寺を後にして、鞍馬を経由して自宅に向かった。一度「美山荘」で泊まってみたいと思った。「丹波山系にある一度は行ってみたい古刹と料理旅館」かと思う。

 

 

 

 

 

 


日本の伝統的住宅―12の基本的な特徴とは?

2017-09-10 06:49:23 | 滞在記

◆9月8日(金)、再び日本より中国の福州市に戻りました。9月11日(月)より新学期(新学年)、1年間のスタートとなります。日本は秋の気配がせまり、朝夕は涼しくなってきていました。しかし、中国の福州長楽国際空港に到着した瞬間から、猛烈な湿気に包まれました。翌日の9月9日(土)の気温は38度まで上がり、猛烈な暑さと湿気(悶熱)―悶絶しそうな熱と湿気という中国語でメンローと発音―で、外に出れば10分後には汗が流れ落ちて止まらない一日でした。夜になっても、気温はあまり下がらず、33度あまりでした。アパートの台所の水道が使えなくなっており、さっそく困っています。修理はいつになるかわかりません。水はトイレの水道でまかなっていますが、洗い物ができません。

◆さて、日本滞在中のことについて、まだブログに書けていなかったことを何回か書いておきます。まずは、日本の伝統的な家屋についてのことです。

 日本の家は、都市部では小さく、隣家との距離が近いのが一般的です。しかし、たとえ集合住宅やマンションであっても、たいていは、浴槽や段差をつけた玄関の上り口などに、昔からの住宅の特徴をみることができます。また、西洋式の家でも、ひと部屋は畳のある和室を設けている家も多いものです。

 8月25日(金)、この日の夕方に、京都市右京区京北町にある妻の姉の家(今泉家)に、妻とともに泊まりに行った。この家はいつ行っても、見事な造りと感心する。日本の伝統的な家屋造りの要素がふんだんに取り入れられている家だと思う。屋根の形の「切妻屋根」がシンプルで美しい。長年かけて造られた庭の造作も美しい。

 やはり「縁側」があると気持ちがとても落ち着く。家の中からは、縁側を通して外の自然との世界とすぐに繋がっている。この日の夜、私と妻、そして妻の姉の誕生日が8月・9月なので誕生ケーキで祝ってくれた。翌朝、2階の窓からは、手前に周山城の山が、遠くに亀岡市との境の山々がはるかに見える。

 8月27日(日)、滋賀県東近江市永源寺町にある 私の娘の婿の実家に行った。この家も「切妻屋根」のシンプルな造りとなっていた。紅色の塗りが印象的な美しさがある。昔から、京都市に近い丹波地方や近江(滋賀)の家々には、雅(みやび)な感じがする紅(べに)を塗った家屋がよく見られる。

 ―日本の伝統的住宅の12の特徴とは?―

 ①「門を構えた入り口」➡日本では一般的に、住宅地の道路に歩道がない場合が多い。そのためもあり、道路など公共のスペースと私有地との境目として、門やフェンスが設けられる。また、「ウチ」と「ソト」を意識的に分ける。②「塀で囲む」➡隣との境界をつくりプライバシーを守るため、敷地の周りに塀や壁やフェンスを設けてる。③「瓦屋根と深い軒先」➡雨の多い日本では、屋根も大量の雨水がはけ、雨が吹き込むのを避けられる造りになっている。家の外に取り付けた引き戸(雨戸)を開けておけば外気を取り入れることができる。

 ④「日当たりと景色を重視」➡日本の住宅は伝統的に南北方向を意識し、主な部屋を南向きにして、一日を通じて日光が入るように設計される。窓からの眺めも欠かせない要素で、山と川や海などの水辺が見えれば理想的だが、庭の場合が多い。⑤「段差をつけた入り口」➡玄関は、家の外と中をつなぐ、中間領域。ここで靴を脱ぎ、家に上がる。このため、段差が造られている。⑥「家の外にある廊下―縁側―」➡板張りの縁側は、部屋と部屋をつなぐほか、家の内と外との境界になる空間でもある。

 ⑦「引き戸」➡格子のついた引き戸などは、街の商店や町家などに多く設けられている。町家でなくても、昔ながらの伝統的な日本家屋には、窓の外側にたてる雨戸や、家の内部の空間を仕切り、プライバシーを守りながら光を取り込む障子がしつらえてある。⑧「木を大事にする」➡日本の家には木が多く使われている。柱や梁のほか、床や「床の間」などにも使われる。⑨「畳」➡畳は、夏は涼しく冬は暖かい床材である。寝ころぶこともできる。⑩「部屋は多目的に使う」➡寝具として使われる布団は、日中はたたんで押入れなどにしまうことができるため、1つの部屋が居間としても寝室としても、ダイニングとしても使うことができる。⑪「日本式の風呂」➡大半の家に浴槽付きの風呂がある。日本以外では、シャワーだけという場合がほとんどである。⑫「内と外をできるだけつなげる」➡外の自然とのつながりは、日本家屋が最も重視する要素である。簡単に開けられる引き戸や引き窓は、それをかなえる構造の一つである。

◆―「日本の家屋と造り、屋根の構造」―代表的なものは「入母屋造り」「切妻造り」「寄棟造り」の3つ

 日本の家屋の屋根の形態(造り)には、主に15種類以上があるとされる。その中で代表的なものといえば、❶「入母屋造り」と❷「切妻造り」と❸「寄棟造り」の3つがあげられる。

 入母屋造りは少し重厚な感じがする造りだ。神社の本殿や寺院の本堂などには、この入母屋造りを取り入れた「神殿造り」や「寺院造り」が多い。切妻造りはシンプルな美しさがある。部屋数の確保をしやすい。寄棟造りは近年の住宅に増えつつある。住宅家屋には、この3つが複合されたものもよくみられる。

 ちなみに、私の京都の家は「入母屋造り」で、福井県の実家は主に「切妻造り」。京北町にある妻の実家の母屋は「入母屋造り」である。