アパートの水が全て使えない事態になっていたので、差し迫る問題はトイレが使えないということだった。小便や大便をどこでするか。大便はほぼ早朝というリズムになっているので、外が少し明るくなり始めるころに外のどこかの場所ですることとした。大便より回数の多い小便はどこでするか。8階の部屋からいちいち外に出て用を足すのもなかなか面倒だということで、屋上ですることとした。私の部屋は、最上階なので、ドアを開けて階段を登ればすぐ屋上である。
午前6時ころ、外が薄明りに。屋上に行く。屋上の周りは他のアパート群が林立しているので、人の目もある。しばらく様子を眺めていると、この時間にベランダに人がいる部屋もあった。4畳半ほどの狭い屋上で最も見られにくい場所があったので、そこで用を足すことにした。次に、エレベーターで1階に下りて、外に出て大便ができそうな場所を探した。私のアパート棟の近くで、陰に隠れてできる場所が1か所だけあった。私の部屋から下に見える「宗廟(一族の先祖を祀る建物)」の裏だ。バチがあたるかもしれないが、ここしかないので、しかたなく ここで用を足すことにした。
午前6時半、大学の外事所の鄭さんに「事態の緊急メール」を送信し、修理に関する依頼をした。すると、7時ごろに返信メールではなく返信の電話が帰ってきた。鄭さんも今回の事態の緊急性を感じとってくれたらしい。アパートの部屋の管理をしている不動産店の人に急ぎ連絡をとってみるという。その後、鄭さんからの連絡は途絶えた。「いつ、不動産店の店長が来て、様子を見てくれて、修理屋さんに連絡してくれるのかな。とても不親切な人だからなあ……」と不安にもなりながら、とにかく待つことにした。修理が完了して、水道やトイレが使えるには少なくても1週間はかかるだろうなとも思った。
私のいままでの中国社会での生活では、「奇跡的なこと」が起きた。午前10時頃、「ドンドンドン」とドアを叩く音がした。「あっ、店長が来てくれたのか、えらい早いなぁ!事態の大変さを感じ取ってくれて、彼にしては珍しく親切に早く来てくれたのかな」と思いながらドアを開けたら、なんと数日前に台所の水道の蛇口を直してくれた若い修理屋さんだった。「これは奇跡的だ!」「助かった!」と一瞬感じた。こんなに早く修理屋さんが来てくれるとは、驚き以外の何物でもなかった。
中国語の聞き取りがかなり出来ないので、筆談を交えながら、修理について話した。洗面台などの寸法を測ったりして、「明日14日(木)の午前中に再び来ます」というので、「すみません。明日の午前中は大学の授業でアパートにいません。早く帰れても午後3時ころになります」と言うと、「では、今日の夜8時ころに来ますよ」と言ってくれた。「ええっ、今日中にもう一度来てくれるのか。今日中に修理が終るかもしれない。奇跡的だ!」と思い、心がとても軽くなった。
福州もこの頃、夕方の6時過ぎには暗くなり始め、6時半には完全に暗くなる。午後8時を少し過ぎた。修理屋さんが約束の時間に来ることは、ほぼないのが中国社会の暗黙の了解なので、「まあ、9時半までには来るかな」と思っていたら、なんと8時過ぎに来てくれたのにも驚いた。どこからか、洗面台の規格にあてはまるものを探してきてくれたようで、新しい洗面台を抱えてやって来た。そして、30分間ほどで修理が完了し、アパートの水やトイレが使えるようになった。こんなに早く修理がなるとは夢にも思わなかったので感激だった。若い修理屋さんの名前と電話番号を教えてもらった。「魏仲曜」という名前だった。水がまったく使えずトイレもできないことなどや先行きの不安 使えることの幸せを感じ「途方に暮れたり奇跡を感じたりした」24時間だった。さっそく、シャワーを浴び、翌日早朝からの授業に備え、気持ちをリフレッシュしてぐっすりと眠りにつくことができた。
アパートのシャワー器具が古くいつ使えなくなるか、古い洗濯機がいつ使えなくなるか、古いエアコンがいつ使えなくなるかなど、心配の種は尽きない。そんなに古いアパートではなく、どちらかといえば中国国内ではやや新しい方のアパートなのだが、日本と違ってさまざまなものの劣化がいち早いのが中国社会だと感じることも多い。