彦四郎の中国生活

中国滞在記

今季・最後の帰省―教え子や友人に会う―墓に行き、亡き「祖父母や父母」に挨拶

2017-09-11 18:40:10 | 滞在記

 8月29日(火)、中国に再び赴任する前に友人に会ったり実家に立ち寄ったりするために福井県に車で向かった。途中、小学校の高学年担当時代の教え子だった宇佐見君の事務所(店)に立ち寄った。事務所(店)は近江八幡市近くの能登川町にあった。6月中旬ころに、たまたま私のブログを見た宇佐見君からブログにコメントが書かれていた。「魚の化石を大量に買うことになったのですが、一度見てもらえませんか(鑑定)。化石と言えば、寺坂先生のことを思い出しました」という依頼だった。夏休みの7月・8月には日本に帰国するので、その時に見に行きますと連絡をした経過があった。

 なかなか、お互いの日程が合わないまま日が過ぎて、この日に彼の事務所にようやく行くこととなった。古道具の他、いろいろなものをインターネットを通じて販売している事務所(店)は8部屋もあり、それぞれの部屋に所狭しといろな古道具や古物の他、いろいろな販売するものが置かれていた。さて、「魚の化石」を見せてもらうとことになった。「古代魚の化石」が20〜30個あまりもあった。中には見事な化石も数個あった。私は国内外で恐竜化石の発掘調査に長年携わっていたので、恐竜化石についてはそれなりに詳しいが、魚の化石の専門家ではないので、この魚の種類を断定することはできなかった。そこで、淡水魚の専門家がいる「琵琶湖博物館」のことを話し、そこで鑑定を一度依頼することを薦めた。2時間ほど話し込み再会を約して事務所を後にした。彼は30才になっていた。自分で経営をしているぐらいなので、結婚しているかと思ったが まだ独身とのことだった。その後、高速道路を使わず、琵琶湖沿岸を北上し、木ノ本から365号線(北国街道)を通って福井県の越前市(旧・武生市)に向かった。途中、山城の「玄蕃尾城」がある山の山頂が見えた。

 この日の夕方、越前市内の「赤星亭」という老舗旅館に素泊まりをする。夕方、友人の山本君が旅館まで迎えに来てくれた。彼とともに市内のレストランに向かう。このレストランで藤木さんという若い女性が合流。彼女とは3年ほど前に一度会ったことがあった。「日本の若い女性にもこんな素晴らしい女性がまだ存在していたのか」と感心するほどの人だった。2時間ほどでレストランを出て、その後カラオケスナックに山本君とともに行きしばらく過ごして旅館に戻った。

 翌日の朝、越前市内の城跡(龍門寺城)に立ち寄った。この城は、戦国末期に越前一向一揆を平定した織田信長の武将であった前田利家などが一時居城としていた平城であった。堀の址は、窪んだ場所の墓地となっていた。賤ケ岳の合戦で敗軍の将となった柴田勝家が居城の「北ノ庄城」(福井市)に落ちのびる際に立ち寄った城でもあった。越前市(武生市)の市内は、私が高校生のころは、道路のいたるところが「真ん中に水路が流れ松並木がずらっと続く」町並みだった。今は、一部の地域にそれが残っている。

 実家のある南越前町に行く。家の仏壇にお参りをし、墓に行き、亡き祖父母や父母に再び中国に赴任することを告げて、京都に戻るため出発した。次に福井県の実家に帰省できるのは、来年の2月になるだろうか。

 

 

 

 

 

 


丹波・近江の古刹❷―湖東の「永源寺」(近江)と永源寺町

2017-09-11 06:35:30 | 滞在記

 滋賀県湖東地方の「西明寺」、「金剛輪寺」、「百済寺(ひゃくさいじ)」の三つの古刹は「湖東三山」と呼ばれる天台宗派の寺院。琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山腹に位置し、百済寺の南東に位置する「永源寺」と共に湖東の紅葉の名所とされる。

 8月27日(日)、娘の婿さん(夫)の実家を妻と共に初めて訪れた。この秋にこの家の3男さんが結婚式を予定しているので、そのお祝い訪問である。「お祝の口上」を述べた後、永源寺町を案内してもらった。鈴鹿山系から流れ出す「愛知川(えちがわ)」に沿った永源寺町だった。昼食に「養魚場・渓流館」で、アマゴやイワナの料理をいただいた。食後、山中にある「池田牧場」というところに案内された。たくさんの人が ここの「ジェラード」を食べに来ていた。牧場直営の店には40種類あまりの「ジェラード」があったので食べてみた。「こんなに美味しいジェラードがあるのか」と感心した。

 愛知川の橋を渡って「永源寺」を案内してもらう。初めて訪れる寺院だった。門をくぐると石垣と青モミジが美しい光景が広がった。なるほど、見事な風情のある参道だ。大きな「山門」が見えてきた。モミジの大木が門にかかっている。

 この「永源寺」は、1361年当時の近江守護「佐々木六角氏」の勅願で創建されたとある。臨済宗永源寺派の総本山と記されていた。臨済宗とは禅宗の一派だが、禅宗といえば曹洞宗(永平寺の「道元」が始祖)が有名だ。禅宗にはいくつかの宗派があるが、この2つの宗派が代表的なようだ。この「臨済宗」にはさらに15の派の総本山があるといわれる。(建仁寺派[京都]、南禅寺派[京都]、天龍寺派[京都]、妙心寺派[京都]、建長寺派[鎌倉]、円覚寺派[鎌倉]など)  こうみてくると、臨済宗は鎌倉時代以降、武士の中に帰依・浸透していったことがうかがえる。

 禅宗の代表的な「曹洞宗」と「臨済宗」。その違いは、「曹洞宗」が「座禅」を通して「自己の内面」を見つめることを重視しているのに対し、「臨済宗」は「禅問答」を通して「自己とそのの外面」を重視しているとされている。

 本堂に入る。境内にはモミジの大木がいたるところに見える。秋は紅葉がさぞかし見事になるだろう趣のある寺院であった。ここで「禅問答」などが日常的に行われているのだろうか。ちなみにこの寺は、彦根藩井伊家の第4代と第7代の藩主の墓所もあるらしい。

 ここ永源寺町は、この寺に起原をもつ「永源寺コンニャク」、「政所茶」などの名産があった。また、奥永源寺の山間部の集落は「木地師(きじし)」発祥の地と言われている。ここの木地師が全国に広がっていったと言われる。

 京都の自宅に戻る道は、永源寺町から「水口町」、「信楽町」、そして京都府の「宇治田原町」を経由して帰ることとした。途中、「水口岡山城跡(山城)」(1585年築城)に立ち寄った。6年前に訪れた時は、整備がされていたが、今は人の高さと同じくらいの高さの草ぼうぼうの状態であった。見事な石垣が長く続く大規模な山城なのだが途中で断念した。

◆滋賀県の紅葉で見事だと思った寺に、湖北(長浜市木ノ本町)の「石道寺」がある。山麓の自然と調和したモミジが見事だった。近くには、まだ行ったことがないが、「鶏足寺(けいそくじ)」がある。ここのモミジの紅葉は、滋賀県モミジ紅葉の人気(ランキング)第一位に選ばれることが多い。ちなみに、第二位は「永源寺」となるようだ。

◆「百済寺(天台宗)」は、戦国時代の時期には「僧兵」がいたようで、比叡山と同じように織田信長の軍勢の攻撃を受けている。参道などは「見事!」な風情のある寺院。石垣の他に土塁の跡も残る、「城郭」でもあった。「永源寺」に僧兵がいたかどうかは知らないが、山を背後に、愛知川という天然の要害・断崖の上に立ち並ぶ伽藍は、仏敵の侵入を阻む城郭のようでもあった。