彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国一の「干潟とリアス式海岸」が続く❸—あっ!ここは見覚えがある、映画「失孤」の重要な場面が---- ―

2016-06-18 09:17:54 | 滞在記

 港(船着き場)に戻る途中、★のマークを船体につけた漁船が数隻停泊していた。
 このあたりの海岸は、リアス式海岸と干潟が共存するという特殊な地形であって、中国の国家的産業汚染をかろうじて免れた漁業地域となっているようだ。「虎皮砂」とよばれる、虎の毛皮のような文様が干潟に作られるのは、中国では ここ霞浦の海岸だけの現象のようだ。アメリカCNNの報道では、「中国で最も美しい場所トップ40」の一つに ここの海岸が選ばれている。

 世界では現在、海産物(魚・貝など)の50%が養殖海産物となっている。そして、その世界の養殖業生産量の60%以上が中国国内となっている。ここ霞浦は、中国で最大規模の海の養殖漁場であるらしい。ちなみに、中国人は「湖水や川の魚」をとても好んで食べる。そして、「湖水・川」での養殖業が盛んでもある。しかし、特に10年ほど前から、海の海産物もよく食べるように変わってきている。
 (※中国では「鯛・ヒラメ・フグ・ホタテ・ナマコ・エビ・鮑(アワビ)・ウニ・ワカメ・昆布・アサリ・牡蠣(カキ)」などの海産物養殖、「ウナギ・蟹(かに)・ソウギョ・ハクレン・コクレン」などの「湖水・川産物養殖が行われている。)
 干潟には、「弾塗魚」というトビハゼ科の魚がたくさんいるようだ。日本の有明海に生息する「ムツゴロウ」に似ているのだろうか。

 —「空海堂」— 804年に、遣唐使の一員として派遣された空海(弘法大師)の船は、大嵐に遭遇し この海岸に流れ着く。その後、福州を経由して、唐の都「長安」に行く。1994年、高野山金剛峰寺は、こ霞浦の海岸地に「空海堂」の建物を作った。団体の見学者に対しては、地元の小学校から小学生が派遣され、このお堂について説明ガイドにあたるのが、その小学校の活動一つらしい。

 船着き場から、新幹線駅のある霞浦市街に向かって車は走って行った。途中の長く大きな𣘺の上で停まる。橋の上からは、壮大な養殖いかだの群れとその上の建物群が見えた。「ああ!この光景は どこかで 記憶がある--。」「ああっ!!映画『失孤』での重要な場面の一つだったんではないだろうか----。」

 街に向かう。途中、葦の群生する河川があった。大きな道路沿いの樹木。樹齢も相当なものだ。

 福州に戻る新幹線の時刻は午後7時頃。またまだ時間があったので、市街が一望できる山に車で登った。山の中腹に、大きな寺院があった。その寺院からは、市街が一望でき、海の方も見えた。
 山腹を下りて、夕食をとる。オートバイにたくさんの荷物を積もうとしている若い男性。まあ、これで走るのは中国らしいな。
 午後8時半頃、福州駅に着き、みんなに別れを告げて、宿舎に10時頃戻った。

 翌日の日曜日、さっそくインターネットで、映画『失孤』を再び見ることにした。この映画は、昨年の3月~4月に中国で上映され 多くの観客が この映画を見た。5月には、インターネツトで見ることができた。中国では毎年20万人あまりの子供が誘拐されている。この社会問題を題材とした映画。主演は、中国で最も国民的人気の高いアンディ・ラウ(劉徳華)。

 やはり昨日行った霞浦は、この映画の重要な場面の一つだった。「福建省の海に面した村に、15年前に誘拐されたあなたの子どもかもしれない青年がいる。」との情報を聞き、この地にやってくる。そして、その青年がいるという村の「養殖いかだ」に到着する。

 そのことを聞きつけた母親が、「これは 私たちの息子だよ!!」と怒り、探しに来た彼を 筏の海に突き落とすというシーンだった。
 いつか、このシーンを撮影した場所に行ってみたいと思っていただけに、昨日に はからずして そこに行けたのだった。

◆この霞浦海岸の漁港。沖合漁業に従事する船舶や漁民も多い。昨年度、「日本の小笠原諸島近海での赤珊瑚の不法密漁船群の拠点」の一つが この霞浦地方の漁港だった。日本政府の抗議もあり、中国政府も捜索。ここの港の漁民も逮捕される事態となった。
 尖閣諸島にも、中国から最も近くにあるため、諸島の近くで漁にする漁民も多いようだ。のんびりとした暮らしの漁港の様子だったが、日中紛争の最前線の中国側の海岸線でもある。















中国一の「干潟とリアス式海岸」が続く❷—ここは、中国最大の「養殖漁場(海産物)」だった―

2016-06-18 04:30:45 | 滞在記

 海鮮料理店での昼食が終わり、林先生の「お兄ちゃん」とも別れ、次の目的地の海岸に向かうことになった。街中に自転車タクシー(自転車の横にサイドカーのような席を設置したもの)が客待ちをしていた。
 海岸を行くと、「昆布」のようなものがたくさん並んでいた。海に長い棒がたくさん見える。これは養殖の昆布のようだ。しばらく車で走って行くと、美しい小島が沖合に見えた。車を降りて、しばらくここの風景を眺めていると、「あの島は、最も干潮が激しい季節には、島まで道ができますよ。」と言いながら、携帯電話のインターネットサイトの写真を見せてくれた。「うわーっ、こうなるのか!!」と、その写真を見てびっくりした。まるで、「珍島物語」(天童よしみ)で歌われている世界ではないか---。「♪海が割れるのよ 道ができるのよ 島と島とが つながるの……」の歌詞の世界がここにもあった。リアス式の海岸が美しい。

 沖には この地方独特の 底の平たいような小舟が何隻も見える。浜には「昆布」の天日干し。村の中に入ると、所かまわず、空き地という空き地、少しのスペースがあれば そこにも、昆布が干されていた。

 林先生の実家に到着した。林先生のお父さん・お母さんは不在だったが、同居している親族たちが出迎えてくれた。昼食を共にした「数学教師の兄」の顔によく似た兄妹の子ども。家の裏庭に出ると、丘の上には「田んぼで稲をかけるハサ」のように、昆布が干されているのが見える。この林先生の実家も昆布の養殖業を営んでいるようだ。隣家の人たちも昆布養殖を営んでいるようで、6〜7人が集まって、団らんをしていた。

 実家の人たちに別れを告げて、次の目的地に向かう。どこに行くのだろうかと思っていると、小さな港(船着き場)だった。ここで小舟に乗って、沖合の場所に行くらしい。いろいろな船がある。

 筏(いかだ)のようなものの上に家がある。そしてたくさんの筏が見えて来た。「なんだこの光景は!」見たこともないような、いろいろな船がある。

 大きな筏の上に新しく大きな家が見える。船はそこに向かっていく。筏の船着きに着く。筏の上の建物は、観光客用の食事所や宿泊用の部屋まであった。養殖用のいけすの中には、チヌ(黒鯛)が回遊している。向こうの筏は、養殖漁師の家族が住居できるようで、犬も飼われていた。
 さらに沖合を見ると、養殖用の筏が海を埋め尽くすように浮かべられていた。日本の「伊勢志摩」で、養殖用の筏の群れを見たことがあるが、ここの光景は、まさに「広大な筏の群れ」だった。「伊勢志摩」の群れとは比べものにならないくらいの----。