彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国「端午節」―中国生活での苦労に、「どうしたもんじゃろなあ。」と考えても…しかたがないか。

2016-06-10 18:43:59 | 滞在記

 昨日の6月9日(木)は、中国の「端午節(たんごせつ)」だった。日本の「端午の節句」は「子供の日」となるが、中国では昔 国の行く末を憂い、非業の死をとげた 愛国の詩人「屈原(くつげん)」を偲ぶことに由来した伝統行事の日。各家庭で作った「粽(ちまき)」を食べることが慣わしとなっている。中国の祝日となり学校も休み。福建師範大学では、9日(木)・10日(金)・11日(土)の3連休となり、故郷が近い学生は帰る人も多い。12日(日)は、10日(金)の振替授業が行われるので、私も授業のため朝から出勤となる。
 この端午節の日、朝から 久しぶりに(1年ぶりに) 光明港公園に行ってみた。この公園の近くには、昨年の7月まで暮らしていた閩江大学の私の宿舎があった。よくここを散歩しながら、中国語学習に励んだものだった。毎年、この河川公園の川で、端午節の「龍舟競艇」(ドラゴンボート競艇)が行われていた。
 宿舎で、今年初めて「蝉(せみ)の鳴き声」を聞いた。「端午節から、本格的な暑い夏がはじまるんですよ。」という師範大学の林恒青先生の言葉を思い出した。
 宿舎近くのバス停に向かう。近くには「マントウ」を売る店がある。中国人は、このマントウが大好きで、朝に朝食として歩きながら食べている人が多い。「マントウ」と「豆乳」、これは中国人の朝食の定番。大学でも、1時間目の始まる前に、教室でこれを食べている学生も多い。
 鞄を背負っている女性。この鞄は特徴がある。鞄に大きな角のようなトゲトゲ。このトゲトゲは、ここ数年の 中国の女性の流行鞄の一つだ。なにやら、恐竜の「角龍」を思い出させるデザイン。たまに、日本に観光に来ている中国人女性もこのタイプの鞄を背負っているので、すぐに中国人とわかる。

 「光明港公園」に着いた。今日もかなり暑くなりそうだ。35度以上にはなるかな。なつかしい公園だ。端午節ということもあって、子供向けの玩具や風船などを売っている露店も多い。そして、子供連れの家族が多い。釣り堀で釣りをしている人の周りで様子を見ている人たち、将棋をする人たちなど、いろいろなことをして過ごす人たち。公共の場所で、このような老若男女が入り混じった過ごし方をする中国の人たちを見ると、「日本では もうなかなか見ることができない風景だなあ。」とうらやましくもある。競艇用の「龍舟」も見える。川を掃除する小舟。

 この季節、ハイビスカスなどの色とりどりの花も咲いている。日本で見ることもない亜熱帯気候地域の花。

 「蓮」の花が開花していた。日本よりも1か月以上早い開花だ。そして、植えられている「アジサイ」はまだ色づいているものが少ない。日本のアジサイと同じだが、もう「梅雨」が終わる福州では、なぜアジサイの色づきが遅いのだろうか不思議だなあ。
 今日のドラゴンボートの競艇はいつ始まるのだろうか。午前中には開始されないのかもしれない雰囲気だったので、暑さもあり宿舎に戻ることにした。宿舎近くの「学生街」の昼すぎ。市内各所で働いている地方からの出稼ぎ者「農民工」の人たちが、昼時に集まって お互いに一緒に休んでいた。

 毎月、「日本のテレビ番組ガイド」を妻が送ってくれる。とてもありがたい。週一回程度の妻から電話は、大げさな言い方だが「命の綱」とも思う。5月の番組表では、NHK朝のテレビドラマ「とと姉ちゃん」の特集が組まれていた。3月までの「朝がきた」同様、とても面白いので、毎日見ている。5月番組ガイドを見ていたら、「火曜スペシャル―男と女のミステリー時代劇」(ドラマの主役「中尾明慶」)が掲載・紹介されていた。この中尾君、4月上旬に結婚した娘の婿に似ているなあと思った。
 とと姉ちゃんの「どうしたもんじゃろなあ」という定番セリフ。いろいろなことの生活の大変さや悩みや孤独感などをかかえることも多い中国生活。「どうしたもんじやろなあ」と考えても、中国という国の人間社会の「理不尽さや上意下達、いいかげんさなど」のため どうにもならない場合も多い。やれるだけのことはやって、「人間万事塞翁が馬」「待てば海路の日和あり」「朗報は寝て待て」「七転び八起き」などの格言を座右の銘とする毎日でもある。
 そして、私の「授業」を楽しみにしてくれている学生たちが多くいることにも支えられている。中国に来てからの3年間、授業を担当した閩江大学と福建師範大学の学生一人一人。その数は450人あまりとなった。いつのまにか、そんな数になっていた。
 









日本に留学中の学生・林さんの兄の結婚式―6月7日、白酒(バイジョウ)で記憶が飛ぶ―

2016-06-10 15:57:58 | 滞在記

 6月3日(金)の夕方、日本の立命館大学大学院に留学中の林さんが、ほぼ1年ぶりに中国に帰国した。彼女の兄の結婚式に参加するためだ。帰国予定期間は一週間。今年の春まで、日本の大学の教員だった宮本先生も、結婚式に参加するため同じ飛行機に乗って中国にやって来た。
 夕方7時半頃、空港からのバスが発着する福州市内のバスターミナルに迎えに行った。近くのホテルに向かい、二人がチェックインをすませた後、三人で「海鮮料理」の店に食事に行った。
 翌日の4日(土)、閩江大学時代の林さんのクラスメートたち(劉さん・黄さん・陳さん・林さん)が、昼頃に上海や泉州、アモイなどから福州にやってくる予定。みんな私が授業を担当した学生たちだ。この日、私は宮本先生を 午前9時半ころから、福州市内の何か所かに案内した。ホテルに彼を迎えに行き、まずは ホテル近くの「琉球館」に行った。そして、福州の古くからの「古街」を案内した。私も、久しぶりの「古街」なので、迷路のような道に、完全に迷ってしまった。6月9日(木)の中国の伝統行事「端午節」(祝日)にむけて、「粽(ちまき)」を作る光景が、この「古街」でも見られた。

 宮本先生は、「神戸松蔭女子学院大学英語学科」に今年の3月まで在職していた。2014年7月に、林さんたち閩江大学の学生数名も参加した「短期セミナー(神戸松蔭女子学院大学主催)―提携関係にある海外の大学の学生が2週間にわたって参加」―の担当者でもあった。ここ福州には何回か来ているようだ。
 台江の「古街」の散策を終えて、青空骨董露店市に行く。かなり歩き、二人とも疲れたので、タクシーで私の宿舎に行く。この日もかなりの暑さ。シャワーを浴びてもらい、クーラーを効かせて二人とも「昼寝」。少し暑さがやわらいだ夕方近くに、宿舎周辺の「洋館」や「旧領事館」などの多い地区を案内する。
 

 福建師範大学を案内する。旧「芸術学部」の建物群では、写真を撮りに来る人も多い。パソコンのCMの撮影だろうか、日本の制服のようなものを着ているモデルを見た。別の歴史的建物群に行くと、卒業間近の学生たちが記念撮影をしている。近くで夕食をとる。
 再び宿舎に戻って行く途中、「道教」の寺で、結婚披露宴がもうすぐ始まろうとしていた。この日、林さんとクラスメートたちの5人は、昼頃に1年ぶりの再会をして、母校の「閩江大学」などに行ったようだ。
 6月5日(日)、夕方に 卒業生たちは それぞれ現在 住む町へと帰って行った。そして、林さんと劉さん、そして宮本先生の三人は、新幹線で林さんのふるさと「福建省三明市尤渓県」に向かった。劉さんは現在、上海の旅行会社で「主に日本観光向け業務」の仕事をしている。彼女も、「2週間の短期セミナー」に参加しているので、宮本先生とも顔なじみのようだ。

  6月7日(火)。この日は林さんの兄の結婚式。結婚式に参加するため、この日の午前中にある担当授業(1回生総合日語)を、同僚の津田先生に代行してもらった。午前8時頃の新幹線に乗るために、宿舎を6時半に出てタクシーで福州北駅に向かう。7時に予約しているチケットを受け取る列に並ぶ。長蛇の列。
 予約なしに直接チケットを買う人も多いので、30分経過してもなかなか列の前にいけない。「列の後方の客のため、チケット購入を早くしてやる仕事をしているヤクザ的二人組」が徘徊している。刺青をした人相のよくない連中だ。この連中は、列の前から2人目ぐらいに割り込んで、客から頼まれたチケットを購入してマージンを取っている。私の番が近づいてきたが、またまた この二人組が割り込んできた。これに対する警察や警備員、駅員による規制や排除もなく、並び続ける人たちからの抗議などもない。やりたい放題。これも中国社会の一面だ。
 ようやく、チケットを受け取り、荷物検査を受けて、改札口に向かう。改札口では さらに多くの人々が並ぶ。列車に乗れるか心配になるが、時間が迫って来たので、改札口の駅員は チケット改札なしで みんなを通してくれた。これも中国的な融通。
 1時間あまりで尤渓に到着。本格的な夏を告げる「ねむの花」が咲いていた。タクシーで林さんの家に向かう。11時半から始まる披露宴に、劉さんや宮本先生、林さんのおばあさんとともにバスで結婚披露宴のある立派なホテルに向かう。
 11時半ころから、ぼちぼち人が集まり始める。12時頃に新郎新婦が来場。新郎新婦が来る前から、みんなは もう食事を食べ始めている。いつ始まっていつ終わるのかが ほとんど わからない。これも中国式の結婚式。披露宴に参加した人は、200人以上だろうか。隣接する3つの部屋を使っての宴会。

 中国の結婚式に参加するのは、今回が2回目。とくに、新郎新婦の入場以外は 新郎新婦の紹介などもなく、「ひたすらみんなで食べて飲む」ということが続く。「参加者の女性たちは きれいに着飾っている人が多いが、男性はほとんど 平服のまま。」というのが中国の結婚式スタイル。

 林さんが日本に留学中のこの1年間、私一人で 林さんの実家に何度も行っているので、その際にいろいろと世話になったり、一緒に飲んだ人も多い。林さんの兄とも かなり親しい関係となっているが、劉有満さんもその一人だ。彼は林さんの小学生時代からの親友で「義兄弟」であるが、私にも「義兄弟」と呼んでくれる。
 午後3時頃、宴席の半数が帰る。しかし、へべれけになって酒宴を続ける人たちもいる。一緒に彼らと飲み始める。「白酒(バイジョウ)52度」での乾杯をし合う。いつのまにか完全に記憶が飛んでいた。目が覚めたらホテルの一室だった。なぜここにいるのだろう。記憶がない。時計を見たら、午後9時頃。みんなはどこにいるのだろう。

 身支度をして、ホテルの1階ロビーに降りていく。偶然に林さんのお父さんたちに会った。「これからホテルのカラオケルームでカラオケです!」ということで、地下一階のカラオケルームに行く。林さんや劉さん、宮本先生たちも部屋に来た。10数人でカラオケ。午前1時頃にカラオケが終わり、オートバイタクシーに分乗し、林さんの家に戻る。
 翌朝、11時頃に目覚めたら、林さんのお父さんが「昼の宴会」が11時半から始まりますとのこと。実は、昨日の夕方も「別の場所で第二回目宴会」があったようだ。 宴会の途中で、「お世話になりました。」と挨拶をし、午後1時半の新幹線に乗って福州に帰った。

 6月9日(木)の夕方7時ころに、林さん・劉さん・宮本先生の3人が新幹線で福州駅に到着。8時頃ホテルにて彼らと会い、タクシーで私の宿舎に向かう。宿舎の近くの「学生街」にある「露店の屋台」で海鮮料理を食べる。安くで美味しい。午後10時頃、3人はホテルに向かって戻って行った。
 6月10日(金)の午前中、劉さんは上海へ、林さんと宮本先生は 日本に戻っていった。劉さんは、今年の9月から仕事を変わって、「沖縄のホテル」に勤務する可能性が大きいようだ。彼女も、日本に来ることになるかもしれない。嬉しいことだ。