彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本に留学中の学生・林さんの兄の結婚式―6月7日、白酒(バイジョウ)で記憶が飛ぶ―

2016-06-10 15:57:58 | 滞在記

 6月3日(金)の夕方、日本の立命館大学大学院に留学中の林さんが、ほぼ1年ぶりに中国に帰国した。彼女の兄の結婚式に参加するためだ。帰国予定期間は一週間。今年の春まで、日本の大学の教員だった宮本先生も、結婚式に参加するため同じ飛行機に乗って中国にやって来た。
 夕方7時半頃、空港からのバスが発着する福州市内のバスターミナルに迎えに行った。近くのホテルに向かい、二人がチェックインをすませた後、三人で「海鮮料理」の店に食事に行った。
 翌日の4日(土)、閩江大学時代の林さんのクラスメートたち(劉さん・黄さん・陳さん・林さん)が、昼頃に上海や泉州、アモイなどから福州にやってくる予定。みんな私が授業を担当した学生たちだ。この日、私は宮本先生を 午前9時半ころから、福州市内の何か所かに案内した。ホテルに彼を迎えに行き、まずは ホテル近くの「琉球館」に行った。そして、福州の古くからの「古街」を案内した。私も、久しぶりの「古街」なので、迷路のような道に、完全に迷ってしまった。6月9日(木)の中国の伝統行事「端午節」(祝日)にむけて、「粽(ちまき)」を作る光景が、この「古街」でも見られた。

 宮本先生は、「神戸松蔭女子学院大学英語学科」に今年の3月まで在職していた。2014年7月に、林さんたち閩江大学の学生数名も参加した「短期セミナー(神戸松蔭女子学院大学主催)―提携関係にある海外の大学の学生が2週間にわたって参加」―の担当者でもあった。ここ福州には何回か来ているようだ。
 台江の「古街」の散策を終えて、青空骨董露店市に行く。かなり歩き、二人とも疲れたので、タクシーで私の宿舎に行く。この日もかなりの暑さ。シャワーを浴びてもらい、クーラーを効かせて二人とも「昼寝」。少し暑さがやわらいだ夕方近くに、宿舎周辺の「洋館」や「旧領事館」などの多い地区を案内する。
 

 福建師範大学を案内する。旧「芸術学部」の建物群では、写真を撮りに来る人も多い。パソコンのCMの撮影だろうか、日本の制服のようなものを着ているモデルを見た。別の歴史的建物群に行くと、卒業間近の学生たちが記念撮影をしている。近くで夕食をとる。
 再び宿舎に戻って行く途中、「道教」の寺で、結婚披露宴がもうすぐ始まろうとしていた。この日、林さんとクラスメートたちの5人は、昼頃に1年ぶりの再会をして、母校の「閩江大学」などに行ったようだ。
 6月5日(日)、夕方に 卒業生たちは それぞれ現在 住む町へと帰って行った。そして、林さんと劉さん、そして宮本先生の三人は、新幹線で林さんのふるさと「福建省三明市尤渓県」に向かった。劉さんは現在、上海の旅行会社で「主に日本観光向け業務」の仕事をしている。彼女も、「2週間の短期セミナー」に参加しているので、宮本先生とも顔なじみのようだ。

  6月7日(火)。この日は林さんの兄の結婚式。結婚式に参加するため、この日の午前中にある担当授業(1回生総合日語)を、同僚の津田先生に代行してもらった。午前8時頃の新幹線に乗るために、宿舎を6時半に出てタクシーで福州北駅に向かう。7時に予約しているチケットを受け取る列に並ぶ。長蛇の列。
 予約なしに直接チケットを買う人も多いので、30分経過してもなかなか列の前にいけない。「列の後方の客のため、チケット購入を早くしてやる仕事をしているヤクザ的二人組」が徘徊している。刺青をした人相のよくない連中だ。この連中は、列の前から2人目ぐらいに割り込んで、客から頼まれたチケットを購入してマージンを取っている。私の番が近づいてきたが、またまた この二人組が割り込んできた。これに対する警察や警備員、駅員による規制や排除もなく、並び続ける人たちからの抗議などもない。やりたい放題。これも中国社会の一面だ。
 ようやく、チケットを受け取り、荷物検査を受けて、改札口に向かう。改札口では さらに多くの人々が並ぶ。列車に乗れるか心配になるが、時間が迫って来たので、改札口の駅員は チケット改札なしで みんなを通してくれた。これも中国的な融通。
 1時間あまりで尤渓に到着。本格的な夏を告げる「ねむの花」が咲いていた。タクシーで林さんの家に向かう。11時半から始まる披露宴に、劉さんや宮本先生、林さんのおばあさんとともにバスで結婚披露宴のある立派なホテルに向かう。
 11時半ころから、ぼちぼち人が集まり始める。12時頃に新郎新婦が来場。新郎新婦が来る前から、みんなは もう食事を食べ始めている。いつ始まっていつ終わるのかが ほとんど わからない。これも中国式の結婚式。披露宴に参加した人は、200人以上だろうか。隣接する3つの部屋を使っての宴会。

 中国の結婚式に参加するのは、今回が2回目。とくに、新郎新婦の入場以外は 新郎新婦の紹介などもなく、「ひたすらみんなで食べて飲む」ということが続く。「参加者の女性たちは きれいに着飾っている人が多いが、男性はほとんど 平服のまま。」というのが中国の結婚式スタイル。

 林さんが日本に留学中のこの1年間、私一人で 林さんの実家に何度も行っているので、その際にいろいろと世話になったり、一緒に飲んだ人も多い。林さんの兄とも かなり親しい関係となっているが、劉有満さんもその一人だ。彼は林さんの小学生時代からの親友で「義兄弟」であるが、私にも「義兄弟」と呼んでくれる。
 午後3時頃、宴席の半数が帰る。しかし、へべれけになって酒宴を続ける人たちもいる。一緒に彼らと飲み始める。「白酒(バイジョウ)52度」での乾杯をし合う。いつのまにか完全に記憶が飛んでいた。目が覚めたらホテルの一室だった。なぜここにいるのだろう。記憶がない。時計を見たら、午後9時頃。みんなはどこにいるのだろう。

 身支度をして、ホテルの1階ロビーに降りていく。偶然に林さんのお父さんたちに会った。「これからホテルのカラオケルームでカラオケです!」ということで、地下一階のカラオケルームに行く。林さんや劉さん、宮本先生たちも部屋に来た。10数人でカラオケ。午前1時頃にカラオケが終わり、オートバイタクシーに分乗し、林さんの家に戻る。
 翌朝、11時頃に目覚めたら、林さんのお父さんが「昼の宴会」が11時半から始まりますとのこと。実は、昨日の夕方も「別の場所で第二回目宴会」があったようだ。 宴会の途中で、「お世話になりました。」と挨拶をし、午後1時半の新幹線に乗って福州に帰った。

 6月9日(木)の夕方7時ころに、林さん・劉さん・宮本先生の3人が新幹線で福州駅に到着。8時頃ホテルにて彼らと会い、タクシーで私の宿舎に向かう。宿舎の近くの「学生街」にある「露店の屋台」で海鮮料理を食べる。安くで美味しい。午後10時頃、3人はホテルに向かって戻って行った。
 6月10日(金)の午前中、劉さんは上海へ、林さんと宮本先生は 日本に戻っていった。劉さんは、今年の9月から仕事を変わって、「沖縄のホテル」に勤務する可能性が大きいようだ。彼女も、日本に来ることになるかもしれない。嬉しいことだ。 










 

1 コメント

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写真が記憶を蘇らせる (宮本明人)
2016-06-11 18:52:59
 先生には大変お世話になりました。写真を見ていると、自分の目で見たものがまざまざと蘇ってきました。一時酔いつぶれた中で、よくこれだけの記事が書けるものだと驚嘆しました。
 夏季研修の件ですが、正確には私は担当ではなく、前の前の国際交流委員長に過ぎませんでした。2013年に提携を提案した時点で既に委員会を離れていましたので、個人的な提案でした。H 先生との学生時代からの友情に応えたかったからです。それにしても、一端とはいえ、短期間の間に中国社会の多彩な側面を体験できました。
 不覚にも痛めた足は、先生に頂いた薬で快方に向かいつつあります。ありがとうございました。林さんと劉さんの二人は、このヨタヨタ歩きの老人をよくいたわってくれ、彼女たちの心の優しさに触れることができました。春節の時にまた来いと言われていますが、糖尿病に悪そうで、迷います。
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