彦四郎の中国生活

中国滞在記

土楼群(世界遺産)のある地方都市「福建省:龍岩」に行ってみた―龍岩大学―

2015-01-24 07:54:40 | 滞在記

 福建省は、それほど広い省ではない。それでも、日本の「九州・四国・中国」地方を合わせた面積をもつ広さがある省だ。
 先週の金曜日(16日)に、中国の新幹線に乗り、「福州➡泉州➡アモイ(厦門)➡樟州➡龍岩」と経由して3時間、世界遺産「土楼群」のある街「龍岩(りゅうがん)」に行った。何回か新幹線を利用しているが、初めて1等車(軟座:席のシートが良質で、二等車の硬座よりややゆったりした空間がある。)に乗った。料金は、片道145元(約2600円)。2等車ならば、120元(約2200円)。中国の新幹線は、長距離バスより料金が安いのが特徴だ。
 今回の「龍岩」への旅は、世界遺産の「土楼群」には行かず、「龍岩大学」に勤める日本人教員を訪ね、大学の見学をすることとした。(※「龍岩」には、土楼群の他に、もう一か所とても行きたいところがある。龍岩駅から在来線に乗って北西へ2時間あまりの「長汀」という町にある「長汀古城」だ。) そして、「龍岩」の街の散策。新幹線の車中からは、小さな円形の土楼が一つ見えた。龍岩駅に、龍岩大学の鶴田さんが迎えに来てくれていた。

 駅からバスに乗り、市内を通過して30分間余りで、街の郊外にある「龍岩大学」に着いた。低い山々に囲まれた、適度な大きさの盆地の街だ。街の標高は500メートルはあるという。大学の学生数は約1万人の国公立大学。緩やかな丘陵地にあり、けっこう広々とした敷地がある大学だった。さっそく、宿泊する大学内のホテルに案内してもらった。簡素で小奇麗な部屋だった。建物は、「土楼」をイメージした円形型だった。

 ホテルに荷物を置いて、大学構内を案内してもらった。かなり広い。図書館には「客家(はっか)」研究所があった。「客家」とは、この地方を中心に、かなり古くから住んでいる人々の呼称で、土楼群などにも住んでいる人々である。国外で様々な経済活動を行い、中国華僑の中心的な存在でもある。

 日本語学科が授業に使っている建物の教室に行く。優秀で奨学金を受けている学生の写真などが廊下に掲示されていた。中国の証明写真の背景の色は3種類あるようだ。「赤・青・白」。この中でも、赤の背景が非常に多い。夕方の5時頃、丘陵地にある大学は、夕焼けの色に染まって来た。大学食堂で夕食を食べた。私の勤める閩江大学の食堂より、とても美味しくて食べやすい。

 夕方から夜にかけて、鶴田さんの「外国人教員宿舎」に行った。とても素敵な教員住宅だった。適度に年数を経ている2階建住宅だ。一階に「リビングルーム・ダイニング・台所・水房と個室」があり、階段を登って2階には2つの個室と広いベランダがあった。周りを木々に囲まれている。「龍岩名産」のピーナツなどを食べながらビールや高麗酒を飲み、いろいろな話をした。このピーナツが極めて美味しい。食べ始めたら止まらないぐらい美味い。少し、ニンニクも入っている味付けをしているらしい。日本のお土産で持って帰ったら驚きのうまさといって喜ばれるだろうな。体験したことのない美味しさだった。
 鶴田さんは、日本の大学で中国関係の学科を専攻し、その後 台湾の大学に留学していた経歴をもつ30才代半ばの独身。この「龍岩大学」で5年間の教員キャリア歴がある。中国語がかなりできるだけに、一人旅もよくしているようだ。特に、「貴州省」の少数民族を訪れる旅には何度も行っているようで、さまざまな映像などを見せてもらった。夜9時頃、ベランダからは、「天の川」をはじめとして、昴星団など多くの星々が良く見えた。

 翌日の土曜日(17日)に、朝食を食べた後、「龍岩」市内の中心部にバスで向かった。市内中心部は川が流れていた。水もきれいだ。
市内に行く途中のバスが、バス営業所の中にある洗車場に立ち寄った。実際に乗客として乗車しながら洗車される体験を初めてした。

 鶴田さんが、「中・長距離バス」の営業所に案内してくれた。「土楼群」や「長汀」にもここからバスで行ける。次回に来るときは、一人でも「土楼群」や「長汀」に行けるだろうか。ちなみに、中国の「中・長距離」バスに乗車する時は、新幹線と同様に、荷物のX線検査が行われる。
 市内には、「龍岩ピーナツ」がいたるところで大量に販売されていた。

 市の中心部に小高い丘がある。ここに、中国革命で戦没した共産党員の慰霊碑があった。丘全体が公園となっていて散策する家族連れも多い。また、「中国革命記念館」(博物館)が立派に作られていた。

 この「龍岩」は、中国共産党革命の発祥地の一つらしい。中国共産党が設立されて、第一回目の「共産党大会」がこの町の古田という場所で行われた。当時、中国共産党の根拠地であり毛沢東らもここに住んでいた。
 帰りの新幹線に乗った。「龍岩」から「厦門(アモイ)」までの車窓から、たくさんのバナナ畑が続いていた。夕方の6時半、福州に到着した。