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彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本に戻って今日で2週間連続、連日の猛暑日とは‥‥今年の京都の夏の日々、外国からの観光客の人たちもお疲れさんですね‥

2025-07-13 13:10:04 | 滞在記

 私が6月28日(土)に中国から日本に帰国して、今日で15日間が経過したが、この15日間、京都市内の最高気温は連日35度を超える猛暑日が連日続いている。京都市内にもちょっと出かけてみたいと、早朝には思ったりもするが、昼ごろになるとこの猛暑に、市内に出かける気がしぼんでしまうこの半月間。

 そんな異常なこの時期の暑さの中だが、7月6日(日)の午後、京都市内に出かけた。祇園白川地区、白川の流れのそばのアジサイも色あせてきている。

 月見草が白川の水辺に群生し黄色い花々を咲かせてもいた。

 鴨川に架かる四条大橋のたもとの出雲の阿国(おくに)像。橋から鴨川越しに三条大橋方面を望む。高瀬川のほとりにある喫煙所。この暑さに水辺を求めて歩く。鴨川に飛び込みたくもなる暑さは、翌日7日の京都市内の最高気温は37.9度と、この日の全国一の気温となった。

 7月8日付「京都新聞」には、「これが 日本の夏—35度以上の猛暑日が続くのは6月29日以来9日連続」や、「祇園祭 7月7日、暑さに負けず立派にお祈り(八坂神社)—綾傘稚児 社参の儀」、「"京"もぉ~~"暑"止まらへんやん~~最高気温23日連続で平年越え—"山鉾巡行(7月17日)から夏"の常識崩壊」などの見出し記事。あまりにも早すぎた梅雨明けと連日の猛暑日の中だが、京都市内の通りには祇園祭の提灯が掲げられている。

 7月9日(水)の午後、京都銀閣寺や哲学の道の界隈で、吉田山山麓の娘の家に日本に帰国して初めて行った。京阪電鉄「出町柳駅」近くの小さな寺院の門前には、「天の海 雲の波立ち 月の舟 柿本人麻呂」の句が書かれていた。娘に中国土産の夏向き水色の麻の衣服と白のスカートを渡した。

 4歳半になる孫の寛太と、夕方に近くの真如堂まで散歩にでかけた。秋の9月に花を咲かせる萩の葉が繫ってきている築地塀。真如堂の青モミジがとても美しく、境内にはムクゲ(木槿)の花が咲く。三重塔。

 6月中旬から下旬にかけて花を咲かせていたであろう本堂前の菩提樹や沙羅双樹(夏椿)は、今はもう花は見られない。寛太は今年は捕まえたアゲハ蝶を虫かごに家で飼っていた。

 7月12日(土)の午後、京都大丸や錦市場に買い物に行った。四条通に面した京都大丸近くには祇園祭の先頭を行く鉾(ほこ)である「長刀(なぎなた)鉾」が建てられていた。鉾の上に浴衣姿の人々が乗り、この日は鉾の曳き始め式が行われた。錦市場は大勢の人々で賑わっていた。

 錦市場もまた、大勢の外国人観光客の姿。立ち飲み居酒屋でも外国人の姿も多い。

 鴨川に架かる三条大橋の界隈。この日も37度の最高気温に、水辺を求める人たちの姿が多い。

 外国人観光客も水辺の涼(りょう)を求めて、思い思いに過ごしていた。今年の日本の夏の京都観光、暑さにお疲れさん‥。

 7月7日(月)の午前10時から午後2時ころまでの4時間余り、宇治市の宇治川に架かる宇治橋近くのファミリーレストランや喫茶店で、大学の先輩である小野さん・泉澤さんと会い、いろいろな話をして時を過ごした。また、翌日の8日(火)の午後、京都市伏見区の大手町商店街にある居酒屋「まん丸」にて、亀田さん(大阪市在住)や藤波さん(滋賀県近江八幡市在住)と会い、3時間余りにわたり乾杯と会食、いろいろな話をした。藤波さんはあと1週間ほどで、インドネシアに赴任する予定のようだった。

 今日は7月13日(日)、日本に帰国して暑い暑い2週間の日々が経過した。昨日、セミの声をこの夏にちょっとだけ、初めて聞いた。トンボも飛び始めた。

 

 


梅雨明けを告げる「合歓(ねむ)の木の淡い桃色の花」が開花、湖西路から北陸路と延々と桃色が続く季節、蓮の花も開花‥

2025-07-05 11:24:32 | 滞在記

 7月2日(水)、京都から福井県南越前町に向かう途中、滋賀県湖北地方の福井県との県境に近いマキノ町。メタセコイヤ並木は濃い緑色の葉を繫らせていた。並木道沿いの水田の稲はかなり生育し、水田の水をひかせての中干(なかぼし)がされていた。この中干を行うことで稲は地中のわずかな水分を摂取するために根を地中深くへと伸ばして根を成長させていく。

 滋賀県大津市の湖南地方から北へ北へと琵琶湖の湖北地方に至る湖西道路の道沿いには、今年のあまりにも早すぎた梅雨明けを知ってか、夏の到来を告げる合歓(ねむ)の木の花がもう開花していた。この湖北道路沿いには延々と合歓の木の淡いピンク色の花が咲き誇っていた。(例年なら7月15日過ぎに開花するのだが‥)

 合歓の木は、イラン・アフガニスタン、中国南部、朝鮮半島などの中央アジアや東アジア、日本の本州・四国・九州、そして沖縄などの南西諸島など、亜熱帯や温帯の気候の地に自生している。日本ではこの合歓の木の花が開花すると、海や湖で泳げる夏の季節の本格到来。私が暮らす中国福建省では、この地方の梅雨が明ける6月上旬頃に開花する。

 福井県のとの県境の集落、滋賀県マキノ町在原。湖北地方や福井県などの北陸地方ではまだアジサイが美しい。在原集落の村はずれの六地蔵。車を走らせ夕方の6時過ぎには福井県南越前町河野地区に到着した。かって江戸時代から明治時代初期にかけて北前船で栄えた河野浦。北前船船主の館群近くの北前船や小学校の二宮金次郎像と夕日のシルエット。

 翌日3日、越前市(旧武生市)内の総合病院「林病院」に、93歳の母をつれて診察に行き、高血圧症状の原因を探るいろいろな検査のため午前中いっぱいを要した。総合検査の結果は全て優良で、93歳にしては驚くほどの健康体との結果。午後に母とともに南越前町南条地区にある「花はす公園」に立ち寄った。

 この6月28日〜8月11日までが、「はすまつり」の期間となる。家への帰路、河野地区の南越前町役場支所に行き、母のマイナンバーカードに保険証を入れ込む手続きをしてもらった。

 4日(金)の早朝、越前市内に住む友人宅に中国のジャスミン茶を届けるために向かった。車で越前市の坂口集落や中津原集落を通る。「清流と生物の里 坂口」と書かれた看板。ここにも「府中馬借街道」の説明看板がある。河野浦と府中(現在の越前市内[武生市内])を結ぶ、中世・近世時代の運送を担った馬借たち行き来した街道だった。

 夏の水田の稲が美しい。合歓の木の花が咲き誇っていた。赤い鳥居のある神社のこんもりとした森が見える。

 友人にジャスミン茶を渡し、実家のある河野地区に戻る帰路にある黒川集落の蓮(はす)の群生。ここの大輪の蓮もまた見事に美しい。この日の午前中に、河野地区にある河野診療所に母と共に行き、昨日の林病院での診察結果を報告した。そして、実家をあとにして京都に帰るために敦賀市に向かう。市内の日本海市場でサザエや甘えびを買った。

 滋賀県マキノ町を経由して、京都への帰路は鯖街道(国道357号)を通った。朽木村を経由し安曇川沿いに京都に向かう。滋賀県と京都府の県境にある花折峠を越えて、京都市の大原地区や八瀬地区を経由して京都市内へ。

 白川沿いの柳並木と澄み切った川の流れが美しい。川に架かる石製の一本橋を和服の女性が渡っていた。八坂神社の祭礼でもある京都・祇園祭の祭礼行事が7月1日から31日までの一カ月間にわたって始まっている。「祇園祭」の幟旗(のぼりばた)が立っていた。

 


異例の6月下旬に梅雨明けとなった日本も暑いなあ‥梅雨とアジサイはどこに—「余命3カ月」を告げられていた義弟が息をひきとった

2025-07-02 09:45:23 | 滞在記

 6月10日頃に梅雨明けとなった中国福建省福州市。この季節からは真夏となるので日中の最高気温は33度~39度と熱帯夜の日々が始まる。そしてセミの声もうるさいくらい聞こえる日々。6月末には大学も夏休みが始まるので、私は6月28日(土)に日本帰国したが、この日の福州の最高気温予想は42度となっていた。気温の高さだけでなく福州は湿気がものすごいのだ。「ああ、この灼熱と湿気からようやく逃れられる」と、日本に帰国したのだが‥。

 この季節、例年なら梅雨時期真っ最中で、雨がよく降りアジサイが美しい日本に帰国だが、日本はなんと梅雨明けがされていた。関西国際空港に到着すると、日本も福州に負けないくらいの暑さだった。この日の大阪・京都の最高気温は36度予想のカンカン照り。ただ、湿気は福州よりかなり少なく、日陰に入ると過ごしやすい。

 日本に帰国して2日後の6月30日(月)の早朝午前5時頃、京都の自宅近くの水田や畑の道を散歩した。姫🌻ヒマワリは開花しているが、大輪の向日葵(ヒマワリ)はまだまだ蕾が固い。

 5月中旬頃に田植えされた苗が少し大きくなっている水田。こう梅雨明けが例年より3週間も早くきてカンカン照りの日が続くと、水田に張られている水は、お風呂のお湯のような水温となり、稲の生育にとっても良くないだろうかと思われる。緑のイチジクの実や梨畑の梨の実が少し大きくなり始めている。グラジオラスの花が開花し、トウモロコシもけっこう高くなってきている。

 同日の早朝、自宅からもほど近い石清水八幡宮の下宮近くにある、男山山麓の神応寺や杉谷不動の山道のアジサイ群を見に行った。

 この辺りは京阪電鉄「石清水八幡宮駅」から徒歩5分ほどの所。モミジや楓(かえで)の大木が山麓に多く、青モミジや紅葉が美しい。5月上旬には射干(シャガ)が群生し、梅雨の季節はアジサいの群生がとても美しいところだ。

 シトシトの雨に咲くアジサイの風情は残念ながら今年はあまり見られないようだが、アジサイの見事な群生を今年も日本で見ることができた。アジサイの世界的原産(原生)地はこの日本。わが家の鉢植えのアジサイも、今年も2輪の花を咲かせてくれていた。

 でも、梅雨明けとなったカンカン照りの京都だが、セミの声はぜんぜん聞こえないし、合歓(ネム)の木の花もぜんぜん開花していない。

■「自分らしく逝くために 余命3カ月と告げられた"仕事人間"の思い」と題された記事が、朝日新聞のデジタル版に今年の2025年5月4日に掲載された。(A4版5ページ) 記事に書かれた人は、私の義弟(妻の弟)の高室茂幸君だった。この記事の1カ月後の6月5日、茂幸君は息を引き取った。享年67歳、ちょっと早い享年となった。

 この記事の高室茂幸君のプロフィールには次のように書かれていた。— 高室茂幸 ケアタウン総合研究所代表。ケアプラン評論家として全国でケアマネージャーらに対する研修、講演を続けてきた。『利用者・家族に伝わる ケアプランの書き方術』など著書多数。2022年秋、難病の疑いで名古屋大学病院に緊急入院、23年秋に急性骨髄性白血病と診断を受けた。抗がん剤治療を受けてきたが、現在は通院と訪問診察で在宅緩和ケア中。—

 茂幸君と初めて会ったのは、40年ほど前の、おそらく私と妻との結婚式の時だったかと思う。妻の兄弟姉妹は2男2女の4人だが、茂幸君は末っ子、妻とは最も年が近い。私とは二人でしばしば会って乾杯し、いろいろと話し込むという40年間の親交が続いた。彼は地元の北桑田高校(京都府京北町)卒業後、日本福祉大学に進み、小さな出版社勤務を経て、統一劇場の劇団員となり、全国を興行して廻っていた。結婚を機に劇団を辞め、プレデンシャル生命保険会社に長年勤めていた。そして、彼は50歳前に退社し、ケアマネージャーやプランナーの仕事を始め、東京に会社を設立している。その後、日本福祉大学の講師なども兼務していた。そして彼は、ケアプランナとしては日本の第一人者的な存在ともなっていた。ちょっと破天荒なところもあり、私とは気が合い、東京の荒木町や京都の祇園などで、二人でよく酒盛りをしていたのが懐かしい。酔いながら議論していて口論になったこともあったのも懐かしい‥。

 白血病という難病、一時は快方に向かうかと思われていたが、昨年の12月に「余命3カ月」を告げられ、今年の1月に京都に来た折に、故郷の京北町や京都の祇園で、私の妻や親せきらとともに一席を設けた機会が、私と彼との最後の日となった。6月5日の早朝、私の妻から「茂幸がさっき息を引き取った」との連絡が入った。中国から葬儀に参加するために日本に帰国することはできなかったが‥。この7月21日に49日法要が営まれるので名古屋に行く。「私より先に逝ったのかよ‥茂幸君よ‥。」

 


中国の茶の入れ方、飲み方の奥深さ—昨日6月24日から福州の小学校・中学校では夏休みが始まった

2025-06-25 09:06:46 | 滞在記

 早朝6時前の市内バスにヘルメット姿で建築・土木現場に向かう60歳前後のおばさん2人の姿。夏至の頃に満開となった紫色の花の木々は、福州の街路樹にもみられる。

 閩江大学で私が今学期担当していた教科の学期末試験も、6月20日(金)までに全て終了した。

 そして、今学期担当教科の成績等の、けっこう膨大な諸資料を作成し終わったのが6月22日(日)。翌日の23日(月)に大学側に各教科の学生出席簿や採点し終わった試験問題等も提出した。これで一応、今学期(後期)の大学関連の仕事は終了したこととなった。

 この6月11日に南シナ海で台風1号が発生した。この台風の中国名は「胡蝶(こちょう)」。6月14日から15日にかけて中国南部の海南省や広東省に上陸、私が暮らす福建省には15日から16日にかけて通貨し、17日には上海に至り、熱帯低気圧に変わって行った。この台風と梅雨前線が相まって、特に中国南部の海南省、広東省では甚大な洪水被害が各地で広がった。

 ここ福建省福州でも道路が冠水した。道路が池や川となり魚を捕まえている映像も流れていた。

 夏至の日の21日(土)、閩江大学卒業生の王君が私のアパートに来てくれたので、近くの徒歩2分ほどの茶・珈琲店に二人で行くことになった。30代後半くらいの女性店主一人の茶店。

 この日、珈琲を飲んで帰ろうとしたら、店主が「ちょっとお茶を飲んで(試飲)みてください」と、私たちを引き留めた。ここ福建省は、紅茶・烏龍茶・ジャスミン茶の世界的発祥の地として有名だが、この日に店主が勧めてくれたのは白茶という、これも福建省発祥の茶の種類。

 3種類の白茶(バイチャ)を、1度目から3度目まで入れなおしてくれて、それぞれの香りや味を聞かれた。小さな茶器に、それぞれの種類を3杯ずつ、合計9杯をいただいた。同じ茶葉で1度目に飲む茶が最も香りが強く、3度目に飲む茶が一番味が濃くなった。これが中国式の正式な茶の飲み方のようだ。茶というものの楽しみ方は日本より中国の方が奥深く手間をかける世界でもある。

 アパート近くの路上で売られているこの季節の果物のマンゴーや桃。

 そしてライチ。暑い暑い日中の日々、木陰で横になって休んでいる人々の姿、まつたりした中国の光景。

 22日(日)、福州の伝統的な家屋が密集する「三坊七巷」に、日本の知人たちに渡すお土産のジャスミン茶をたくさん買いに行った。

 18日(水)の夜、日本の京都大学に1年間国費留学をしていた呉君と日本料理店「古都」で会い、久しぶりの再開に乾杯をした。

 最近、中国でスマホのニュースに、「2025年7月5日 日本で大地震が発生するとの予言」の記事をたびたび目にする。これは、漫画『私が見た未来』(1999年刊・たつき諒著)という日本人が書いた漫画での予言。この漫画では、2011年3月の東日本大震災の予言も書かれていて、それが的中したので関心をもたれている漫画だ。夢で見たというこの7月5日の大地震予言は、南海トラフの大地震予言だが、今年の4月ころよりまず香港でこの予言のことが広まり、中国全土へと広がって行った。

 このため、7月上旬から中旬にかけて日本旅行に行く人は中国では激減しているようだ。中国福建省福州の小学・中学校は、6月23日(月)に終業式となり翌日24日から2か月間以上の夏休みに入ったので、例年、家族連れで日本旅行に行く人たちも増え始める時期なのだが‥。

 私は6月28日(土)に日本に帰国し、8月29日(金)に再び中国に戻る予定をしている。帰国できる日まであと3日間となった。

 

 

 

 


夏至の頃、亜熱帯地方福建省福州の真夏の季節、蓮、月桃、銀香木、ハイビスカス、インドソケイ、芙蓉、グラジオラスの花々とセミの声、マンゴーの果実

2025-06-24 22:47:52 | 滞在記

 6月21日、ここ中国福建省福州も夏至となった。6月上旬から開花し始めた閩江大学構内の水辺の蓮群もピンク色の花々を点在させている。蓮の花は早朝に開花し昼頃には花が閉じる。開花1日目から4日間、日ごとに花は大きく開花していき4日目にはもっとも大きく開く。そして、5日目には花が落ち始める。蓮群は1か月間ほどをかけて次々と開花していき、蓮の花の季節が終わっていく。

 大学構内の蓮の花が開花するこの季節、日本の沖縄県にも自生する「月桃(げっとう)」もまた開花している。

 月桃が群生している時計台塔(鐘楼)付近には、熱帯と亜熱帯地方に咲く高木(こうぼく)のギンコウボクの白い花が香る。銀厚朴(ぎんこうぼく)と漢字では書かれるようだが、銀香木(ぎんこうぼく)と書いた方が似つかわしい。この木の付近ではギンコウボクの白い花から漂う甘く高貴な香りに包まれる。大学構内には十数本のギンコウボクの高木があるが、私が暮らすアパート棟に下にもこの高木が2本あり、室内にまでその香りが微かに届いてくる。

■ギンコウボク(銀厚朴)—マレーシアやインドネシアの熱帯地方が原産。木の高さは16m~30mにもなる。モクレン科の高木(こうぼく)の花は、日本でよくみられる香りのよい朴ノ木(ホウノキ)と同じ仲間。中国では「白蘭(バイラン)」と呼ばれる。

 福州市内の街路樹にも植えられているマンゴーの木々。アパート棟の入り口には3本のマンゴーの木があり、実が大きくなり始めてきた。あと1か月ほどでさらに大きく実り色が緑から黄色へと変わってもいく。そして、毎年、住民の誰かが実を収穫していくようだ。

 夏至の日の翌日の、22日(日)の午前中にバスで15分ほどのところにある光明港河川公園に行ってみた。蓮の咲く河畔の二箇所の池を見ておきたかったからだ。毎週の土曜日・日曜日の午前中に開かれる中国でも大規模な市(バザール)を通り光明港河川公園の蓮の群生する一つ目の池に着く。

 池の近くでは蝉(セミ)がよく鳴いている。男たちが公園内の石で作られた椅子やベンチの上でトランプや世間話に興じている。水か消防のホースのように吹き出す遊具で遊ぶ家族連れ。この日の最高気温予報は38度。湿気がものすごい一日となった。

 インドソケイの薄黄白色の花や芙蓉(ふよう)の薄桃色の花も咲く。池の畔(ほとり)で剣舞をしている人たち。

 太極拳をしている人たちもいる。暑い一日を裸で過ごす人の姿もよく目にする中国。木陰でカラオケセットで歌う人もけっこういる。もう一つの蓮の群生する池に着いた。夏の花、グラジオラスも満開だ。

 この蓮が群生する池の近くの河川、もう8年ほど前の2016年6月、長蛇(ちょうだ)の蛇を二匹も釣り竿で釣り上げる男がいたのには驚いた。こんな長い蛇を釣る光景は、この時に初めて見たのだった。

 ハイビスカスも美しい。セミが鳴き、入道雲ができて、午後から夕方にかけての1~2時間ほど雷を伴ったスコール性雷雨が⛈激しく降るが気温はほとんど下がらない夏の亜熱帯地方福建省福州。湿気がものすごいので、15分ほども外にいると汗だくになる。梅雨時期が終わった6月10日頃からほぼ連日35度から40度の熱風とものすごい湿気の日々が続く。「悶熱(メンロウ)」の季節は9月下旬まで続き、夏は5月上旬から10月下旬までとなる。

 この「悶熱」から少しでも逃れるため、福州の町の街路樹は高木の鬱蒼(うっそう)と横に枝葉を繁らせたカジュマルの木々も多い。カジュマルは中国語では「榕樹」という名前なので、ここ福州の別称は「榕城」。気温が35度以上の日が、この10年間で最も多かった省都の都市はここ福州。福建省で一番の大河「閩江(びんこう)」が市内を流れる盆地の町、福州は熱がこもりやすい。同じ緯度にある沖縄県の那覇市は、盆地ではなく、夜は海洋性の風が陸地に向かって吹くので、過ごしやすさは全然違うようだ。