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彦四郎の中国生活

中国滞在記

夏至の頃、亜熱帯地方福建省福州の真夏の季節、蓮、月桃、銀香木、ハイビスカス、インドソケイ、芙蓉、グラジオラスの花々とセミの声、マンゴーの果実

2025-06-24 22:47:52 | 滞在記

 6月21日、ここ中国福建省福州も夏至となった。6月上旬から開花し始めた閩江大学構内の水辺の蓮群もピンク色の花々を点在させている。蓮の花は早朝に開花し昼頃には花が閉じる。開花1日目から4日間、日ごとに花は大きく開花していき4日目にはもっとも大きく開く。そして、5日目には花が落ち始める。蓮群は1か月間ほどをかけて次々と開花していき、蓮の花の季節が終わっていく。

 大学構内の蓮の花が開花するこの季節、日本の沖縄県にも自生する「月桃(げっとう)」もまた開花している。

 月桃が群生している時計台塔(鐘楼)付近には、熱帯と亜熱帯地方に咲く高木(こうぼく)のギンコウボクの白い花が香る。銀厚朴(ぎんこうぼく)と漢字では書かれるようだが、銀香木(ぎんこうぼく)と書いた方が似つかわしい。この木の付近ではギンコウボクの白い花から漂う甘く高貴な香りに包まれる。大学構内には十数本のギンコウボクの高木があるが、私が暮らすアパート棟に下にもこの高木が2本あり、室内にまでその香りが微かに届いてくる。

■ギンコウボク(銀厚朴)—マレーシアやインドネシアの熱帯地方が原産。木の高さは16m~30mにもなる。モクレン科の高木(こうぼく)の花は、日本でよくみられる香りのよい朴ノ木(ホウノキ)と同じ仲間。中国では「白蘭(バイラン)」と呼ばれる。

 福州市内の街路樹にも植えられているマンゴーの木々。アパート棟の入り口には3本のマンゴーの木があり、実が大きくなり始めてきた。あと1か月ほどでさらに大きく実り色が緑から黄色へと変わってもいく。そして、毎年、住民の誰かが実を収穫していくようだ。

 夏至の日の翌日の、22日(日)の午前中にバスで15分ほどのところにある光明港河川公園に行ってみた。蓮の咲く河畔の二箇所の池を見ておきたかったからだ。毎週の土曜日・日曜日の午前中に開かれる中国でも大規模な市(バザール)を通り光明港河川公園の蓮の群生する一つ目の池に着く。

 池の近くでは蝉(セミ)がよく鳴いている。男たちが公園内の石で作られた椅子やベンチの上でトランプや世間話に興じている。水か消防のホースのように吹き出す遊具で遊ぶ家族連れ。この日の最高気温予報は38度。湿気がものすごい一日となった。

 インドソケイの薄黄白色の花や芙蓉(ふよう)の薄桃色の花も咲く。池の畔(ほとり)で剣舞をしている人たち。

 太極拳をしている人たちもいる。暑い一日を裸で過ごす人の姿もよく目にする中国。木陰でカラオケセットで歌う人もけっこういる。もう一つの蓮の群生する池に着いた。夏の花、グラジオラスも満開だ。

 この蓮が群生する池の近くの河川、もう8年ほど前の2016年6月、長蛇(ちょうだ)の蛇を二匹も釣り竿で釣り上げる男がいたのには驚いた。こんな長い蛇を釣る光景は、この時に初めて見たのだった。

 ハイビスカスも美しい。セミが鳴き、入道雲ができて、午後から夕方にかけての1~2時間ほど雷を伴ったスコール性雷雨が⛈激しく降るが気温はほとんど下がらない夏の亜熱帯地方福建省福州。湿気がものすごいので、15分ほども外にいると汗だくになる。梅雨時期が終わった6月10日頃からほぼ連日35度から40度の熱風とものすごい湿気の日々が続く。「悶熱(メンロウ)」の季節は9月下旬まで続き、夏は5月上旬から10月下旬までとなる。

 この「悶熱」から少しでも逃れるため、福州の町の街路樹は高木の鬱蒼(うっそう)と横に枝葉を繁らせたカジュマルの木々も多い。カジュマルは中国語では「榕樹」という名前なので、ここ福州の別称は「榕城」。気温が35度以上の日が、この10年間で最も多かった省都の都市はここ福州。福建省で一番の大河「閩江(びんこう)」が市内を流れる盆地の町、福州は熱がこもりやすい。同じ緯度にある沖縄県の那覇市は、盆地ではなく、夜は海洋性の風が陸地に向かって吹くので、過ごしやすさは全然違うようだ。

 

 

 


米国トランプ大統領下、世界各国の米国と中国の好感度が逆転した—イスラエル・イラン戦争に米国も参戦—今、中国で「何かが起こっている」‥

2025-06-24 09:50:56 | 滞在記

 アメリカ・トランプ政権は6月14日、首都ワシントンで軍事パレードを行った。米国陸軍創設250周年を祝うためだが、この日はトランプ大統領の79歳の誕生日も重なる。湾岸戦争直後の1991年以来34年ぶりとなる軍事パレードとなった。この軍事パレードを見るためにトランプ大統領を熱狂的に支持する人たちもパレード会場に多くが集まってもいた。「TRUMP FOR  KING」(王様となったトランプ氏よ)と書かれた大きな旗を掲げた支持者たちの姿も‥。(軍事パレードに要した費用は4500万ドル[約65億円])。トランプ大統領は、インタビューでこの出費のことを問われると、「私にとっては、はした金だ!」と答えていた。)

 このドナルド・トランプのために開催されたという色彩が強い異例の軍事パレードの実施に、「軍を私物化するな!」のプラカードを掲げた、この軍事パレードに反対する人々の姿も軍事パレードの会場付近で見られた。この日、全米2000箇所の市や町で、約500万人が参加した「反トランプデモ」が行われた。トランプ第二次政権が発足して以来、最大規模の「反トランプデモ」となった。

 米国移民関税執行局(ICE)による、カルフォルニア州での多くの人々の拘束に抗議するために、州都のロサンゼルスでは大規模な抗議行動が広がった。この抗議行動に対してトランプ大統領は、カリフォルニア州知事やロサンゼルス市長の軍投入反対を無視して、4000人の州兵や700人の海兵隊などの軍隊を派遣し抗議行動を抑え込み、約500人余りを逮捕している。また、州兵や海兵隊などの軍の派遣に反対したカリフォルニア州知事のキャビン・ニューサム知事(民主党)の逮捕などをトランプ大統領は示唆したりもした。

 デモ鎮圧に軍を派遣したり、軍事パレードを強行するなどと、独裁国家的な権力誇示に対し、全米でトランプ政権に対する大規模な抗議行動が起きることともなった。

 軍事パレードが行われた6月14日、アメリカ・ミネソタ州で、ミネソタ州議会議長が自宅で暗殺されるという事件が起きていた。議長の夫も殺された。同日、同じ犯人により別の州議会議員も暗殺されかけ重症。犯人は警察官を装い、乗って来たパトカーもホンモノそっくりに偽装。17日に犯人の男は逮捕されたが、手元には60人余りの暗殺リスト氏名が書かれたものが発見された。いずれもトランプ大統領と対立する民主党の議員や関係者たちの氏名。

   この事件に対しトランプ大統領は14日、「こんな暴力は米国では許されない」との声明を出すことはしたが‥。事件の対応に当たっているミネソタ州のウォルズ知事(民主党)に大統領から電話しないのかとの記者の質問に、17日、「電話などしない、時間の無駄だ」と言い放った。(ウォルズ知事も暗殺リストに入っていた。)このトランプ氏の対応、まったく人格的にも米国大統領としてのかけらもない男にも思える。

■今年4月9日から23日にかけて、デンマークに根拠地を置くシンクタンク「アライアンス・オブ・デモクラシーズ」が世界100カ国11万1273人を対象に意識調査を行った。そして、その結果が5月12日に発表されたが、世界の79%の国が「アメリカより中国に好感をもっている」と回答していることが分かった。

 また、世界41カ国を対象にした米国調査会社「モーニング・コンサルタント」の好感度調査(カナダ・フランス・英国・日本・ロシアなどの成人4900人を対象にした調査を今年5月末に発表した。)でも、中国の好感度が米国を上回った。昨年24年1月からの1年間では、米国の好感度は+(プラス)15ポイント~20ポイント前後、中国が-(マイナス)5ポイント~10ポイント前後だった。しかし、25年1月にトランプ氏が大統領に就任して以降、米国と中国の差が縮まり、3月に逆転。5月末時点では中国が+8.8ポイント、米国が-1.5ポイントとなっていると報告された。

 6月13日(金)、イスラエルが突如、イランに対して大規模なミサイル攻撃に踏み切った。これに対し、イランもイスラエルに対しミサイル攻撃で報復対応。

 6月15日から17日にかけてカナダで2025G7サミットが開催されていたが、トランプ大統領は1二日目から急遽、サミットから米国に帰国。アメリカ軍のイラン攻撃について検討する会議を開催した。

 アメリカ軍がイラン国内を爆撃するなど、米国とイランの戦闘がより拡大すれば、世界の石油やガスの多くが運ばれるホルムズ海峡がイランによって海上封鎖されることになる恐れもある。現在、日本は石油のほとんどをこのホルムズ海峡を通過して日本に向かう船舶によって輸入している。(➀サウジアラビア40.8%、➁UAE39.6%、➂クウェート9.0%、➃カタール4.9%、➄オマーン1.9%)   日本はイランとの石油取引は現在はほとんどないが、中国はイランとの友好関係もあり、イランへの石油依存度はかなり高いので、この戦争の経過はより経済に深刻な問題となる。すでに、世界の原油価格は高騰し始めたようだ。

 6月22日(日)、アメリカのトランプ大統領はイランの最重要核施設3箇所をミッドナイト・ハンマー作戦(真夜中の鉄槌作戦)と名付けて、ステルス爆撃機B2により地下貫通弾「バンカーバスター」を複数発投下して爆撃した。アメリカの対イランへの参戦である。(イランの地下80~90mの各施設の壊滅には至らなかったようだ。) このアメリカの参戦に対し、イラン側がどれだけの反撃・報復攻撃を行うか今のところまだ不明だが、もし、中東各地のアメリカ軍基地を大規模に攻撃すれば、この戦争はとてつもない戦争に拡大する恐れもある。

  トランプ大統領は、今、「してやったり」と得意満面だが‥。イランはロシアへの支援を求めてはいるが‥。ロシアもウクライナとの戦争下、なかなか動けないようだ‥。中国はさらに動けないようでもある‥。それはなぜなのか‥。今、中国国内では「何かが起きている」可能性が高いからだ‥。

■22日、トランプ大統領のイラン核施設への攻撃を批判した与党・共和党のマーシー下院議員に対し、次期下院議員選挙での共和党予備選挙で「刺客」を立てると言明した。「党内の異論を許さない」と、党内民主主義を封殺するとの言明だ。この日、全米17箇所で反戦デモが行われた。

 23日(月)、イランはカタールにある米軍基地に向けミサイル14発を発射した。(バンカーバスターがイランに投下された数と同数) このミサイル発射は、イラン政府よりカタール政府及び米国に、発射前に事前通告された。これ以上の米国の参戦を望まないイラン側のシグナルかとも思われる。また、イラン政府の外相がロシアを訪問しプーチン大統領などに会い支援を求めた。ロシア側は「イランへの核兵器の供与」を示唆し米国を牽制した。

■このブログを書いている最中の6月24日午前、上記のようなネット記事「イスラエルとイランが停戦に合意」とのニュースが入ってきた。停戦の実行開始時間は、日本時間では24日午後1時頃との報道。

 世界各国の好感度調査で米国を逆転した中国。中国のネットでは、「トランプが中国を再び建国させる」という意味の「川建国」(川はトランプ=川普の意味)が再登場。トランプ政権のハーバード大学などの留学生追放を大歓迎している有様だ。

 その中国の政治の中枢の地、北京の故宮や天安門に隣接する「中南海」地区。その中国で今、何かが起きている‥(ここでは書けないが)。その何かとは、2022年10月の第20回共産党大会(習近平氏3期目開始)から端を発し、2023年10月のある事件、2024年7月の三中全会(第20期中央委員会第三回全体会議)や同年8月の北戴河会議などを経て、その「何かが起きている」の流れがほぼ決まり現在に至っている可能性が高いようだ。

 そのような現在の中国の政治状況があり、イランへの支援がしにくい状況下にあると推測もされる。

■この「何かが起きている」ことに関して、日本の大手マスコミや新聞社による報道はほぼない。(最近「日経新聞」の電子版で一部そのことにふれた記事が掲載はされたが‥。) この「何かが起きている」の全貌は、もしかしたら、早ければ今年の8月~10月に全世界に明らかになる可能性もある。

 閩江大学構内に昨年の9月より大規模に掲示され続けている「三中全会」の宣伝コーナー。このような「三中全会」のコーナーは、中国のどこの大学にもあるのかと思われる。

■中国の大学で使われている教科書。『時事報告大学生版』(中共中央宣伝部)は、現在の中国共産党の諸政策と思想の全般が、わかりやすく著わされている。『中国現代史』は、1922年の中国共産党成立から日中戦争と終戦、国共内戦を経て1949年に中華人民共和国成立までが著わされている。中国現代史の教科書なのだが、1949年以降の内容ぱ著わされていない。

 


今年は1335万人が「高考(ガオカオ)」を受験、そのうち約450万人(33%)が4年制大学(本科大学)に合格できる

2025-06-10 11:38:18 | 滞在記

 今年も6月7日・8日と中国の大学統一入学試験「普通等学校招生試」(高考[ガオカオ])が行われた。2025年高考の受験生数は約1335万人(過去最高の昨年の約1342万人より約7万人減)。年々、増加の一途をたどってきていた高考受験生がわずかながらだが減少したことについて、中国メディアは「今年の受験生の出生年は2006・2007年生まれだが、この年より出生数の減少が始まったから」「北京や上海などの大都市の生徒の中には、国内で実施される高考を避けて、欧米や日本などの海外の大学に進学したいという希望者が増えている。国内でいわゆる有名大学に進学、卒業しても就職難で、希望通りに就職することがとても難しいからだ。」などと報道していた。

 最近、大都市の有名高校には「国際部」という海外への留学を前提としたクラスがあるのが一般的で、最初から国内進学は目指さないという生徒も増加しているようだ。中国政府の統計では、国外にいる中国人留学生は数は80万人を突破しており、2019年と比較すると23%増となっている。今年は米国のトランプ大統領の海外からの留学生制限の動きもあり、米国を避けて欧州やオーストラリア、日本などを目指す生徒がさらに増加するかと推測される。

 2017年頃までは、中国では「復読生」と呼ばれる、いわゆる浪人受験生はとても少なく、「復読生」になることは恥ずかしいことだという社会風潮があった。しかし、近年はそのような風潮は薄れてきている。このため、昨年は全体の3分の1余りに迫る約400万人が「復読生」だったが、今年はそれ以上に復読生受験者が多いと見込まれている。

 高考は「人生をかける一発勝負」「現代の科挙」などと表現されている厳しい試験。受験生たちは小学入学の時から中学、高校3年生までの12年間、父母とともにこの高考でいかにより高い点数をとるかという学校教育や家庭教育を受けて育っている。私が初めて中国の大学に赴任した年に、学生たちに「高校3年間の青春の良い思い出は何ですか?」と、聞いたことがあった。学生はほぼ全員が、「勉強、勉強、勉強で、とても辛い3年間。特に3年生の時は思い出したくもないです。」と、言っていたのには、日本の高校生たちとの「高校生活の思い出」とのあまりもの違いに驚きもした。高校3年ともなると午前7時までに登校し、朝学習(自習)が始まり、夜は10時頃まで学校の教室での補習授業等がある。

 「只要学不死」(勉強し過ぎても死ぬことはない)という言葉が中国にある。中学・高校は入学するとすぐにテストが実施され、その成績によって成績別クラスが編成される。年に何度が行われるクラス分けテストにより、クラスが変動していく。

 「書中自有黄金屋、書中自有顔如顔」(学問をすれば富も名誉も美しい伴侶も得られる)という古訓が、今でも人々の心に深く根付いているようにも思える中国。

 毎年、6月7日には「語文(国語)」「数学」、8日には「文科総合又は理科総合」「外国語(多くは英語での受験生だが日本語試験受験も認められ、最近は増加していると報道されている。)」の試験が行われる。

 6月7日の夕方、日本のテレビでもこの中国の「高考」についての報道がされていた。(日本との時差は1時間)

 中国には現在、中国の高等教育機関(四年制大学・短期大学)は合計3117校ある。これらの大学は全てランク付けがされていて、そのうち150校くらいが有名大学、300校以内ならそれなりに良い大学と考えられている。そして、500校以内なら「まあ、いいか‥この大学でも」とも考えられている4年制大学。(私立大学は少なくても全国に300校以上とけっこうあるが、ここに入学するためにも「高考」を受験する必要がある。中国の私立大学は、一般的に学費は4倍ほど国公立より高く、大学レベルも500校以内に入らない大学がほとんどなので、中国では私立大学のイメージはよくない。)

 3117校の内訳は、4年制大学(本科大学)が1308校、2~3年制大学(専科大学[短期大学])や高等職業学校などが1809校。今年の場合の「高考」の受験生たち約1335万人のうち、4年制大学(本科大学)のどこかに合格できるのは約450万人。(約33%の受験生)つまり、本科生大学の定員数(約450万人)内に合格し進学できるのは受験生の3人に1人。 それ以外の受験生は高考の総合獲得点数により、短期(専科)大学や高等職業学校に割り振られる。いずれにしても、本科大学の合格定数+専科大学の合格定数+高等職業学校の定数合計は約900万人余りかと推測されるので、この約900万人の枠内に入ることができるのは、受験生の約67%、10人に6.7人となる。これが中国の「高考」なのだ。

 父や母、そして祖父母とともに小中高の12年間、毎日の学校や塾への送り迎え、家庭教師などを受けながら勉強を続けてきた受験生たち。母や父にとってもこの12年間の努力の結果が判明する運命の受験となる、親も子も運命をかける2日間の「高考」。

 私はこの10年間余り、ほぼ毎年(コロナ禍の3年間以外)、この「高考」の受験会場前の光景を見続けてきた。アパートからほど近いところにある福建師範大学付属中学(高校)。(中国では、中学校のことを「初級中学(初中)」、高校のことを「高等中学(高中)」という。そして、大学のことを高等学校「高校」ともいう。)  ここも「高考」の試験会場の一つとなっている。

 6月7日(土)の午前7時30分頃にアパートの部屋を出て5分ほどの、大通りの信号のある場所まで行くと、母親の電動バイクの後ろに乗って試験会場に向かう受験生の姿。バイクに乗りながら最後の受験勉強用のプリントを見ている。信号のある横断歩道を渡り、福建師範大学付属中学(高校)に至る道は、バイクの後ろの乗りながら、プリントを見ている受験生たちがひっきりなしに通って行く。

 午前7時50分頃に会場前に着く。正門前面の校舎には、「2025福建省普通高等学校招生考試倉山考区福建師大附中考点」と書かれた電光掲示板。

 受験生たちは午前8時30分までに受験会場に入る必要があるため、8時頃をピークとして続々と会場に入って行った。赤いTシャツに「高考必勝」と書かれたものを着ている母親。会場前は赤い色の衣服を着ている父や母の姿が多い。赤色は中国人にとって縁起の良い色とされているからだ。

 チャイナドレスを身に着けている母親や祖母の姿もけっこう多い。チャイナドレスは、中国語では「旗袍(チーパオ)」。「旗(チー)」の字を、「旗開得勝」(旗を挙げたとたんに勝利を手にする)という中国の成語にかけて、チャイナドレスを身にまとって試験会場まで見送り(応援)に来る受験生の母親が、近年は多く見られるようになった。

 試験会場付近の道路は、午前8時前頃から試験終了時間まで、受験中の騒音対策のために車やバイクの通行禁止措置がとられる。2日間の高考が終わると受験生たちは、自分の総合得点を予測し、第一志望~第五志望の大学名と学部や学科などを地元教育局に申請することとなる。各省の教育局と中国政府教育局は、受験生約1335万人の総合得点と志望大学・学部などと突き合わせながら、一人一人の合格(入学)大学などを決定していく。

 そして、早い受験生では7月上旬に合格通知と入学大学・学部・学科が通知されていく。この早い時期に通知が来る受験生は総合得点がとても高かった受験生たちだ。つまりレベルの高い有名大学への合格者たち。7月下旬までには、総合得点が高かった順に全受験生に「合否」とともに、合格通知の場合は、その大学や短大、高等職業学校などの進学先が通知されていく。

 受験生たちの会場への入場が終わった午前8時30分、校門が閉められたので、アパート方面に向かう。会場の高校に隣接している喫茶店の前にある椅子にチャイナドレス姿と赤いTシャツ姿の受験生の母親が座って談笑していた。

※上記写真は、福建省三明市尤渓鎮の高校の正門付近に掲示されていた成績優秀生徒の顔写真。地方の高校に行くと、このような掲示板がよく見られるようになる。有名大学に合格できる可能性のある成績優秀な生徒は地元と家族や一族にとって誇りとなる。現代の「科挙」を彷彿させる光景だ。

■高考も大変だが、「中考(高校入試)」もかなりプレッシャーが大変な中国の受験制度

 2018年か19年に、中国の高校入学試験制度は大きく変わった。高校を「普通高校」と「職業系高校」の2種類に分け、高校入学統一試験の成績によって、上位50%は普通高校に合格、そして50%は「職業系高校」へと振り分けられるようになったのだ。

 普通高校を卒業した生徒は、「高考」において四年制大学(本科大学)に合格できれば進学できるが、職業系高校を卒業した生徒は、「高考」にてとても高得点をとっても「四年制大学」に入学することはできないという制度でもある。だから、2人に1人しか普通高校に進学できないため、ある意味、大学入試の「高考」以上に大変なプレッシャーの中での入学試験となっているのが中国だ。このため、高校入学段階から日本の高校などに留学生として進み日本の大学を目指す生徒も増加している。(※日本では大学を卒業したらそれなりの希望の会社などに就職できるが、中国はたとえ有名大学の卒業生でもなかなか就職が難しいという事情もその背景にある。)

 

 

 

 


福建省福州の琉球人墓地を久しぶりに訪ねる—約450年間続いた沖縄人の「琉球王国」の歴史を想う

2025-06-08 05:27:44 | 滞在記

 中国福建省福州には、日本の沖縄との昔からの歴史的なつながりが深いことを示す場所が二箇所ある。そのうちの一つ「琉球人墓地園」に、久しぶりにこの5月31日に行ってみた。私が暮らすアパートから徒歩15~20分ほどのところにあるこの墓地園は、かって対外貿易を行った福州の港があった閩江(びんこう)を見下ろせる丘陵地の一角にある。(福建師範大学構内にも隣接している。)

 2019年頃に行って以来、5年ぶりくらいに「琉球人墓地園」に行ったら、墓地の周囲の塀も入り口の門も美しい真新しく朱色に塗り替えられてなっていた。(以前は色も剥げ荒れ果てた感じだったのだが‥)

 そして驚いたことに墓地園には、おそらくかってはあったのだろう琉球風の守礼の門のような美しい建物が建てられていた。亀甲型の福州の伝統的な墓が点在し、墓標なども並べられている。ここに葬られている人の多くは、琉球使節団の随行員で、この地で客死した人たちだが、中には琉球からの漂着民の墓もあるようだ。

 2023年7月、沖縄県の玉城デニー知事は、友好関係にある福建省の福州を訪問し、福建省トップの周祖翼・党書記らと会談した。そして、ここ琉球人墓地園を訪れ焼香、さらに福州市内にある琉球館(柔遠駅)を視察している。 (2021年11月には、福建省を訪問した日本の中国大使であった垂(たる)大使も琉球人墓地を訪れている。)

 「柔遠駅(じゅうえんえき)」は、福州市内の中心地付近にある。閩江に流れる運河近くに置かれた歴史的建物で、明時代初期の1472年に建設された。沖縄が「琉球王国」であった時代、琉球王国と中国の明王朝は「冊封(さつふう)体制」と呼ばれる交易関係で結ばれていた。つまり大中華帝国である明王朝や清王朝が、琉球王国を属国の一つとして認め、朝貢貿易を行った。この朝貢貿易とは、大中華帝国に対し貢物をすると、その何倍もの返礼品がもらえるという制度。

 当時、琉球から中国に渡った使節団は、まずはここ福州港近くの「柔遠駅」に向かい宿泊。(琉球➡尖閣諸島や台湾経由➡福州)ここから明王朝や清王朝の首都である南京や北京に向かった。謂わば琉球王国の大使館兼宿泊所のような建物だった。「遠方から来た友人を手厚くもてなし、中華王朝による懐柔の極意の場所」という意味で「柔遠駅」との建物名がつけられたが、通称は「琉球館」だった。

■沖縄の中世・近代の歴史

 各地の豪族支配が長く続いた沖縄本島や琉球列島だが、1300年代から1400年代初頭にかけて、沖縄本島は「北山」「中山」「南山」の三つの国が成立し、それぞれに分かれて覇権を争う「三国時代」(戦国時代)が約100年間続いた(北山国は今帰仁城を拠点とし、中山国は浦添城を拠点に、そして南山国は南山城を拠点とした 。これらの沖縄の城[グスク]は、中国の城とは似ていない。日本の山城にどちらかと言えば似ている)。それぞれの国は、中国の明王朝との間で朝貢貿易を行ってもいた。1392年明王朝の洪武帝は、中山国の依頼で、中山国の首里城付近に中国の福州人の技能集団を送り、久米村と呼ばれた村に定住させた。(閩人36姓村とも呼ばれたチャイナタウン)

このこともあり、三国の中で中山国(尚氏)が力を持つこととなり、まずは北山国を、次いで南山国を併合し、1429年に沖縄本島を統一し「琉球王国」が成立した。そして、首里城を拡張し整備、琉球国の首府とした。その後、琉球諸島も支配下に置き、この王国は1879年までの約450年間存続した。(※1609年に日本の薩摩藩と琉球王国の間で奄美諸島の領有を巡って対立。薩摩藩は兵3000人を沖縄本島に送り、当時4000余りの兵を有した琉球国と戦い勝利した。このため、琉球王国は、明や清の王朝との冊封体制を続けながらも、日本国・徳川幕府の支配も受けるという二重間接被支配の時代に入った。)

 琉球王国は、中国大陸、日本、朝鮮、フィリピンやベトナムとの国々の中心的な海上位置にあり、それらの国々との間接貿易で豊かな国となった海洋王国だった。首里城近くの那覇の港には、それらの国々の船が寄港した。

 1800年代に入り、ヨーロッパの国々やアメリカがここ東アジアに進出し、1842年にはアヘン戦争が勃発、清国は敗れた。日本国も琉球王国もその影響を強く受けることとなる。幕末時代の日本は明治維新を経て「富国強兵」を推進。中国の清王朝は太平天国の大乱などもあり、弱体化していった。そして、日本は沖縄の琉球王国を併合し1879年に完全に日本国領土とした。1894年の日清戦争に勝利した日本は、さらに1895年に「台湾併合」を行うこととなり、その日本の支配は1945年まで続いた。

■『琉球建国記』『琉球建国記—尚円伝』(いずれも矢野隆著)は、琉球王国建国の時代を歴史背景とした時代小説で、とても面白く一気に読み進めた。『琉球の嵐』(上下)は、陳舜臣の著作。薩摩藩侵攻前後の琉球王国を描くこの著書もまた面白く、一気に読み進めることができる。

■沖縄と福建省福州は歴史的なつながりがとても強い。1909年創立の福建師範大学と沖縄県の国立琉球大学は、長く協定関係があり、毎年、福建師範大学日本語学科の学生が5人ほど交換留学生として3回生の時の1年間、琉球大学に留学している。また、福建省の大学の日本語学科の中国人教員の中にも、琉球大学に留学した経験をもつ教員も多い。

 福建省の日本語学科がある大学には、沖縄のエイサーを練習する学生チームがあり、毎年、「福建省大学エイサー大会」が福州で行われ、沖縄からもエイサー隊がゲスト出演している。昨年12月の福州日本企業会総会(兼忘年会)には、福建師範大学のエイサー隊が演舞を披露していた。

 そして、1980年代から2010年頃まで、中国から日本に来て働く人たちの多くがここ福建省出身者だった。現在でも東京上野界隈の飲食店街の中国系の店の多くは福建省の出身者が多い。

■沖縄と福州のつながりについては、この「彦四郎の中国生活」で何度が書いている。次の日付の記事である。参照してください。

2015年6月11日「福州と沖縄➀—沖縄の歴史と遥かなる琉球王国」、2015年6月11日「福州と沖縄➁—福州と琉球館➊(在中国 琉球国大使館)、2015年6月13日「福州と沖縄➂—福州と"琉球館"➋(閩江に至る)」、2023年6月1日「福建省福州と沖縄の歴史と文化、政治や暮らしでも人々の深いつながり—亜熱帯の二つの町の花々」など。

 


中国の珈琲(コーヒー)☕事情—珈琲不毛の茶文化の国から、ここ7-8年で茶文化+珈琲大国になってきている

2025-06-04 17:41:59 | 滞在記

 「積極参与選挙、携手共建美好家園!   対湖街道湖岭社区(宣)」(積極的に選挙に参加しよう、みんなが手を携えてこの団地を共に美しく良いものにするために!」と書かれた赤い横断幕が、私が暮らす団地のアパート棟近くのゲートに掲げられている。中国では、民主主義国のような選挙はないが、唯一ある選挙がこの住んでいる地区(エリア)の地区委員を選ぶ選挙である。

  とは言っても、定数通りの立候補者の地区委員立候補者の信任投票にすぎないのだが。(「社区」とは、住民が暮らす小さなエリアのこと。「社区」ごとに、その地区を管理すめ中国共産党の支部がある。)私が暮らすアパートのある団地は「湖岭社区」と呼ばれ、私は毎年「年間500元(1万円)」余りの社区費を払っている。 

 中国の伝統的節句の一つ「端午節」が5月31日(土)にあった。この関連で5月31日〜6月2日(月)までの中国は3連休となった。休みの日の5月31日、久しぶりにアパートから徒歩15分ほどのところにある「琉球人墓地園」にまで散策した。その帰り、アパートの棟から100mほどの距離にある「茶館」(喫茶店)に初めて入ってみることにした。どうやら珈琲(コーヒー)もメニューにあり、一つだけある外のテーブル席ならば喫煙もできるようだった。

 「美式(アメリカ式)」と書かれた珈琲を注文、値段は23元(460円)。ゆっくりと過ごせるこの「茶宇珈琲」という名の小さな茶店(喫茶店)は、30代かと思われる女性が1人で店をやっていた。コーヒーが運ばれてから15分後くらいに、大きな透明グラスに茶葉の入ったままの中国式の茶もサービスで運ばれた。タバコを吸いながら30分ほどの時間をここで過ごした。店内の大きなテーブルには白いアジサイの花が生けられていた。

 翌日の6月1日(日)、閩江大学卒業生の王さんが、私のアパートに故郷の粽(ちまき)を持って午前9時30分頃にやってきた。日本に帰国する航空券購入をしてもらつた後、昨日に行った喫茶店「茶宇珈琲」に誘ってアパートを出た。あいにく喫茶店主は不在のようなので、王さんに店主に電話をしてもらったら、この日は用事があり開店は夕方になるとのことだったので、近くの建物に向かうことにした。「書里書外—復合空間」という名前の建物は、案内銅板には1920年代に作られた西洋建築で、外国人旅行客などのホテルとして使われていたが、1949年からは福建師範大学美術系教授の居住となっていたと書かれていた。現在は修復されて、さまざまな個人的イベントや会合、食事などに使われる複合施設となっているようだ。

 

 6月1日のこの日、中国は「子供の日」となっていて、子供を祝うパーティなども準備されていた。かってはホテルとして使われていたためか、1階、2階に部屋数が多い建物だ。喫茶店のように珈琲コーヒーも注文できるようだった。

 2階には、さまざまな個室が見られた。

 中庭のテーブル席は、喫煙可能だったので、珈琲を注文ししばし王さんと時を過ごした。(コーヒー代金は25元[500円]) この建物のとなりの坂道は中国らしい風情のある光景がみられる。

■中国の珈琲(コーヒー)飲料事情

 私が2013年9月に中国に赴任した頃、「中国人は老若男女、珈琲をほとんど飲まない民族だなぁ」という印象だった。学生たちが授業のある教室に持ってくる飲料用の大きめのポット容器に入れているものは、自前の「茶」または「白湯(さゆ)」だった。人口800万人余りの福建省の省都・福州市は、中国茶を飲む「茶店」はとても多いが、珈琲を飲める「喫茶店」はとても少なく、見つけるのが難しかった。

 中国に珈琲を出す喫茶店が初めてできたのは、1999年の「スターバック珈琲」(米国資本)だった。中国1号店は北京に開店。STARBACK珈琲は、中国では「星巴克珈琲」と書かれる。1999年に中国映画「初恋の道」(張芸謀監督/主演:章子怡[チャン・ツイー])が世界的にヒットしたが、スターバックは章子怡をCMにも登場させたようだった。

 私が初めて中国の喫茶店でコーヒーを飲んだのも、スターバックだった。2013年12月下旬、妻と娘が日本から中国・福州を訪れてくれて、福州の伝統的な建物群が残る観光地ともなっている「三坊七巷」を案内、スターバックで珈琲を飲んだのだった。2014年~15年、福州にはここ三坊七巷とその近くにももう一軒、スターバックコーヒがあった。建物は周囲と調和した建物でもあった。(コーヒーの値段はとても高く35元[700円]と、一般庶民がちょっと珈琲でもという値段ではなかった。)

 2013年頃から、中国の若年層を中心に徐々にだが飲まれ始めたようで、スターバックなどの喫茶店に行くことは、ステータスを感じる象徴のような店だった。私は、2015年の9月から閩江大学から、同じく福州市内にある福建師範大学教員に転勤したのだが、この福建師範大学の倉山キャンパスの正門近くにあった喫茶店「雕刻時光book&cafe」が、なかなか素晴らしい喫茶店だったので、しばしばここで時を過ごすことがあった。(室内も喫煙可能だった)。

 この2015年~16年の時代はまだ、中国人にとっても珈琲を飲むことは一般的ではなかった。このため私が毎朝自宅で飲むためのインスタントコーヒーを買うのも、一般のスーパーマーケットや店舗では売っておらず、福州市内に2つあるカルフールなどの外資系スーパーマーケットに行かなければ買えなかった。

 このような中国での珈琲事情だったが、2017年~18年頃から徐々に珈琲を注文し持ち帰り飲むという若年層が増加し始めた。2017年に中国福建省厦門(アモイ)に拠点を置く「瑞幸珈琲—Luckin」が開店し、2020年には中国全土に6000店舗にまで急成長した。このLuckin珈琲は、客がスマホで事前注文しすると、客が店舗に到着したら即座に商品を受け取れるというシステムの店舗。珈琲だけでなく、様々な飲料が販売された。この方法がITスマホ時代の中国人の特に若年層の支持を受けたのだった。鹿のマークのLuckinは、店舗内で飲むことも可能だが、多くは持ち帰り客が多い。

 2025年現在、中国の珈琲業界のチェーン店数で、トップ3はこの「瑞幸珈琲Luckin」(珈琲は15元[300円])、次いで「星巴克珈琲STARBACS」(珈琲は33元[660円])、そして「庫迪珈琲 Cotti」(珈琲は10元[200円])となっている。トップ3に次いでは、「幸運珈琲」。

■中国のコーヒー豆産地は、主に雲南省の高地にある。(全国の80%) 他には同じく高地の青海省。

 「2023年中国城市珈琲発展報告」によると、中国コーヒー産業の市場規模は2020年の1364億元(2兆7280億円)から2022年に2007億元(4兆140億円)になり、さらには2025年には3693億元(7兆3860億円)にまで拡大すると予測をされている。2020年以降コロナ禍や不動産バブル崩壊不況など、中国経済の低迷が続く中でも、急成長していることが見て取れる。

 「アレグラワールド コーヒーポータル」によると、2023年における東アジアのコーヒーチェーン店舗数約12万店のうち、中国は約5万店と全体の42%を占め、米国の4万店をも上回る状況となった。中でも上海には8530店があり、ニューヨークやロンドン、東京などを大きく上回り、世界で最もコーヒーショップの多い都市となっている。

 例えば、中国における2023年のコーヒー店舗増加数(前年比)を見ると、中国系のLuckin(ラッキンコーヒー)は(+8034店)、同じく中国系のCotti(コッティコーヒー)は(+6426店)の中国系2強が際立って多く、スタバ(+785店)と比べてもその増加ぶりが目立っている。

 米国STARBACS(スターバックス)は前述したように1999年に中国へ進出。もともと中国にはコーヒーを飲む習慣がなく、浸透するまでに年数を要したものの、2017年から一気に中国での店舗数を拡大して、2023年には6806店となっている。(参考:日本は2023年では1885店)。スタバは以前から中国を「スタバの成長をけん引する重要エリア」と位置付けており、米国に次ぐ市場として、今年2025年までに9000店舗の体制にすることを宣言している。

 ラッキンもコッティも、スタバの「サードプレイス戦略(職場でも家庭でもない第三の場所とコーヒーを提供)」とは真逆の「スタバと同じ品質のコーヒーを半額以下で提供する戦略」を採っている。

 最大の特徴はモバイル(スマホアプリ)オーダー(注文)への特化。これによって、客は行列に並ぶこともなく、ドリンクが出来上がるのを待つこともなく、店舗でスマホ画面を見せるだけで注文の品を受けとることができる。また店舗で提供されるサービスは基本的に商品の受け渡しのみが多いため、厨房と受け渡し口だけを備えたミニマム店舗化が可能となり、店舗の賃貸料が安くて済む。

■中国では伝統的にお茶文化が深く根付いており、2000年まては珈琲不毛の地であった。そして、これだけ珈琲が広く浸透してきたのは、2017年以降の7~8年間の出来事だった。中国系のトップ3珈琲チェーン店は、ゆっくりと席に座り珈琲を飲んだりタバコを吸うという喫茶店ならでは雰囲気はまったくないが‥。しかし、初めに紹介した私のアパート近くにあるような喫茶店もまた、中国では若い人が起業して開店することも急増している。

 最近では大学の食堂の一角にある珈琲店で、事前に注文した珈琲(アイスコーヒー)などを受け取って授業のある教室に持ち込む学生の姿も多くなった。また、私がアパートで毎朝飲むNesCafeのインスタントコーヒーの瓶も、一般のスーパーでも買えるようになってきている。