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彦四郎の中国生活

中国滞在記

映画「国宝」について➍—李相日監督が語る「さらばわが愛 覇王別姫」(中国の陳凱歌監督作品)を学生時代に観た衝撃、いつかこんな映画を作ってみたいと想っていたと‥

2025-07-28 14:18:55 | 滞在記

 映画「国宝」の監督・李相日(51歳)は、1974年に新潟県で生まれた在日朝鮮人三世の人だ。父は新潟朝鮮初中級学校(小中学校)[北朝鮮系学校]の教師をしていた。4歳の時に、一家で横浜に移り住み、横浜の朝鮮初中級学校、高級学校(高校)に通った。卒業後、神奈川大学経済学部に進学、この大学を卒業後は日本映画大学に進んでいる。

 2006年に映画「フラガール」を作り大ヒットさせた。そして、吉田修一原作の作品を映画化した作品(2010年には「悪人」、2016年には「怒り」など)を次々と発表した。私はこれらの原作を文庫本ですでに読んでいたが、映画もなかなか素晴らしかった。2022年には映画「流浪の月」を発表もしている。でもなぜ?この映画化は不可能だろうと言われた吉田修一原作の『国宝』を撮ろうと李相日は思ったのだろうか‥?『悪人』や『怒り』は、殺人などの事件性もあるので映画やドラマ化もしやすいのだが、この『国宝』はあまり事件性というものはない小説でもあったのだが‥。

 映画「国宝」を見終わって、あの吉沢亮が演じる喜久雄が、女形(おやま)の着物の下着を身に着け、化粧した顔で夜に彷徨う(さまよう)場面を思い出す。あの場面はどこかで以前、何かの映画で見たことがあるなあ‥と。

 家に帰って、ネットで陳凱歌(チェン・ガイコー)監督(中国西安出身の72歳)の映画「さらばわが愛 覇王別姫(はおうべっき)」を調べてみたら、やはりこの映画の主人公の一場面と、吉沢亮演じる喜久雄の表情や化粧がとてもよく似ているものだった。また、この映画の主人公たち二人も、京劇という世界でライバルとして競い合ったというストーリー性も「国宝」とよく似ている部分でもあった。おそらく、李相日監督も、この「覇王別姫」をいつの時代かに観ていて、影響をうけて今回の「国宝」を制作したのではないだろうか‥とも思ってみた。

 そして数日前に、ネット記事で「『国宝』の背景に、『さらば わが愛  覇王別姫』 李相日監督が上海国際映画祭で明かす」と題された記事(6月19日配信)が掲載されているのを見つけた。その記事には、上海国際映画祭での映画「国宝」の上映終了後に、鳴りやまない拍手喝采の中に舞台挨拶に登壇した李監督は、「今回、上海で上映できることは僕にとって特別な想いがあります。『国宝』の映画制作にあたり、学生時代にチェン・カイコ―監督の『さらばわが愛 覇王別姫』(1993年)を観た衝撃から、いつかこんな映画を撮ってみたいという想いを持っていた。それが歌舞伎をテーマに映画を撮ってみたいという思いにつながっていました」と制作秘話を語っていた。

 中国の張芸謀(チャン・イーモー)監督ほど日本では知られていないが、陳凱歌(チェン・ガイコー)監督も中国を代表する監督の一人だ。2000年代に入り日本の立命館大学映像学部の客員教授を務めていた時期もあり、立命館大学構内で彼の講演を聞き、その後に映画「花の生涯 梅蘭芳」を観たこともあった。

 1993年に中国・香港・台湾の合作映画として制作された「さらばわが愛 覇王別姫」。日中戦争や文化大革命などを時代背景として、時代に翻弄される京劇役者の小楼や蝶広(二人は小さい頃より京劇の練習を積むライバルでもあり,支え合う親友でもあった)の目を通して近代中国の50年間を描いている。

 陳監督の最近の作は、2018年に発表された日中合作映画「空海—美しき王妃の謎」。原作は日本の作家・夢枕獏。

 


映画「国宝」について➌—映画が撮影された京都市内などの、いろいろな場所とは‥➁ドライブインレストラン「百花園」

2025-07-28 12:15:20 | 滞在記

 映画「国宝」でのシーンで心に残る場面の一つが、京都市伏見区淀に隣接する京都府八幡市の郊外にある昭和レトロなドライブイン・レストラン(食堂)で撮られている。京阪電鉄「石清水八幡宮」駅から、二つの橋(木津川に架かる御幸橋と宇治川に架かる橋)を渡って、すぐのところにある「レストラン百花園」がその場所。徒歩だと石清水八幡宮から20分ほど、車だと5~7分。石清水八幡宮駅前も昭和レトロな駅だが、その駅の掲示ショーケースに、小さいが、「映画"国宝"で、レストラン百花園が—ロケ地を巡る楽しみ」と書かれたポスターが掲示されている。私の京都の自宅は、この石清水八幡宮駅からほど近い。

 歌舞伎界名門家の一つ吾妻千五郎(中村鴈治郎)は、娘・彰子(森七菜)が喜久雄と付き合っていることを知り激怒し殴打する。そしてこの歌舞伎界から追放してやると怒る‥。彰子と喜久雄は駆け落ちをし、歌舞伎の女形(おやま)の衣装を持ち歩き、地方の宴会場や料理屋などの座敷で演技させてもらい、二人の生活費をなんとか稼ぎながら各地を巡る。時には客からからかいや罵声を浴びせられることも‥。

 そんなある日、ドライブイン食堂で夕食を二人で食べていると、食堂のテレビに歌舞伎界で活躍している俊介のインタビュー映像が流れる。そして、彰子が喜久雄に、「もうこんなこと(暮らし)やめよう!‥」と、強く言い、おそらくその後、喜久雄の前から去っていく。彼女もみじめな気持ちにもなる、この土(ど)さ廻りの暮らしに疲れたのだろう‥。この場面が撮影されたのが、レストラン「百花園」だった。

 私はこの百花園の前の道を、ここ20年の間だけでも数十回となく車で通っていたのだが、もう廃業して昭和レトロな建物と看板だけが残っているものだとずっと思っていた。営業などはまさかしているとは思ってもみなかった風情の平屋の建物だった。

 7月中旬の早朝6時頃に、自宅から車でここに来てみたら、なんとまだ現役で「百花園」は営業を続けていたのには驚いた。映画「国宝」のポスターも貼られていて、ポスターの下には「映画"国宝"の1シーンの撮影がこの"百花園"にて行われました。」と書かれていた。

 「創業は昭和39年(1964年)、愛されて60年、親子三代で経営、看板娘は87歳のおばあちゃん」「秘伝のタレのハンバーグ」という店のようだった。名前は「レストラン百花園」だが、ドライブイン食堂という感の昭和レトロの建物と店内。砂利の敷かれた水たまりもある駐車場はかなり広く、かってはトラックの運転手などもよく食べに来たのかと思われる。営業時間は現在午前10:00~午後3:30までと短い。このため、この時間帯にはここの店の前を通ることはなく、営業時間が終わると駐車場は閉鎖されていたので、もう営業はしていないと思い続けていたのだと分かった。

 それから数日後の7月22日の昼12:15分頃にここ昼食を食べにきたら、なんとほぼ満席で、しばらく待ってくださいとのこと‥。4人架けのテーブル席が4つほどあり、向かい合う細長くコーナーは丸い楕円のカウンター席は20人ほどが座れるだろあか。この日は時間があまりなかったので、87歳の看板娘らしきおばあさんにまた来ますわと告げて、写真だけ撮らせてもらった。店内の壁には、「映画国宝でレストラン百花園がロケ地になりました。2024年6月1日、当店のカウンター席で撮影が行われました。李相日監督、そして撮影スタッフの方々が当店の中と外にお越しになられ、吉沢亮さんと森七菜さんお二人が食事をする1シーンが撮影されました。」と書かれていた。

 駐車場がとても広く、工場や会社なども近くには多いので、平日には車で食事に立ち寄る人も多いのだろう。日曜と祭日は定休日となっていた。(近くには大きなラブホテルが2軒ある。)

 看板娘のおばあさんによると、撮影で吉沢さんたちが食べたメニューは、当店の看板メニューの「ナポリタン付ハンバーグステーキ」とのこと。吉沢さんが座っていた席は、店の入り口に近いカウンター席の中ほどの席とのことだつた。俊介が写っていたテレビは、当時のブラウン管の分厚いテレビが持ち込まれ使われたようだ。

 石清水八幡宮駅改札口のすぐ前の八幡観光案内の建物にも、店内にあった説明ポスターとまったく同じものがあったので写真に撮らせてもらった。

 

 

 

 

 

 


映画「国宝」について➋—映画が撮影された京都市内などの、いろいろな場所とは‥①

2025-07-28 06:16:28 | 滞在記

 日本における現在の三大映画製作配給会社は、①東宝➁東映➂松竹となっている。今回の映画「国宝」の制作配給会社は「東宝」だが、「東映」がその制作に大きく関わってもいるようだ。3時間余りにも及ぶ映画「国宝」だが、その各場面の撮影は、主に京都太秦(うずまさ)にある東映京都撮影所に大セットが設営されて撮影されている。例えば、映画冒頭場面での長崎の料亭「花丸」での任侠団体の組長である喜久雄の父(立花権五郎/永瀬正敏)が殺される場面のセットや、歌舞伎座である「日乃本座」の内部セットなど、多くの場面でこの東映京都撮影所で撮影されている。

 そして、ここ京都ではいろいろな場所で映画「国宝」の撮影が行われている。京都先斗町にある鴨川に架かる三条大橋近くの「先斗町歌舞練場」は、映画では大阪の「浪花座」の場面として使われ撮影がされている。

 映画「国宝」を見た帰りに、この先斗町歌舞練場の前を歩いた。「京の夏の旅」初公開で、特別公開としてこの歌舞練場は公開されていて見学ができるようだ。(2025年7月14日〜9月30日/10:00~16:30/見学料金大人800円)  また、「in 歌舞練場 ザ・プレミアムモルツ ビアホール」として舞妓・芸妓さんが相手もしてくれるようなビアホールが開催されている。(8月6日〜8月19日/17:00~20:30)

 そして、映画の帰りに四条大橋近くの京都四条南座の建物を見た。ここも映画「国宝」の撮影場所となっている。三条大橋を東に行ったところの南禅寺や平安神宮などが間近な蹴上(けあげ)にある老舗ホテル「ウエスティン都ホテル京都」。ここも撮影場所の一つ。このホテルは私が京都の大学の学生だったころ、近くに下宿していたが、アメリカのレーガン大統領が宿泊したりもしたホテル。私の大学卒業式後のパーティがここで開催されたので、同級生数人と黒いトンビコートの学生服に学ラン帽子と高下駄の衣装で参加した。ところが、分厚い紅い絨毯(じゅうたん)に高下駄が食い込むということで、ホテル側から高下駄を履くことを止められた思い出もある。最近、中国人の知り合いに、京都旅行の際にこのホテルを推奨した。東山連山や社寺の景観が最も良いのがこのホテルである。

 京都五花街の一つ「上七軒」(北野天満宮のとなりにある花街)の通りや上七軒歌舞練場でも撮影がされた。

 襲名を控えた喜久雄(吉沢亮)と花井半二郎(渡辺謙)が人力車に乗ってお練りをする場面があった。それを観客の一人としてそっと見守る(喜久雄の子どもを抱いている)舞妓・芸妓の( 藤駒/見上愛 )。ここは、上七軒からもほど近い、今宮神社の参道で撮影がされている。この参道には「あぶり餅」で有名な老舗も映画に映されていた。

 名門の歌舞伎役者(吾妻千五郎/中村鴈治郎)を父にもつ娘(  彰子/森七菜  )と駆け落ちをして、地方の場末の宴会場などで女形(おやま)の芸を披露して糊口(ここう)を凌ぐ喜久雄。その喜久雄が芸を披露している時に客に絡まれるシーンがある。このシーンは京都市内から比叡山を越えて滋賀の大津に至る途中にある「京都北白川不動温泉」の休憩室(畳座室)で撮影されている。

 京都駅に近い東寺。この寺の近くにストリップ劇場の「DX東寺」(1913年創業)がある。東寺が仏像の御開帳なら、いわゆる女体の御開帳というストリップ劇場は、かっては全国津々浦々にあったが、現在は18箇所のみが現存して営業している。映画「国宝」では、俊介(横浜流星)がストリップ小屋で踊り、「恨めしい」と倒れるシーンが撮影されている。

 あと、京都市内での映画「国宝」の撮影場所として、四条大橋からほど近い京町屋の「玄想庵」でも撮影が行われている。京都府下では、舞鶴市の水無月神社や舞鶴蠣(かき)小屋美味屋でも撮影が行われた。そして、京都市伏見区の淀に隣接する京都府八幡市にある昭和レトロな「ドライブイン・レストラン百花園」でも、喜久雄と彰子(森七菜)が食事をとるシーンが撮影されている。この百花園については、次号のブログで紹介したい。

 滋賀県では、「日乃本座」の外患と、彰子の父・千五郎が喜久雄に殴りかかるシーンが撮影された「琵琶湖大津館」(大津市)がある。このホテルはかって来日したヘレン・ケラーも宿泊した「琵琶湖ホテル」であった。また、滋賀県守山市の滋賀県立総合病院では、俊介が入院した病室でのシーンが撮られている。この二つの撮影シーンについて、「映画国宝 滋賀県撮影マップ」として、滋賀県内の道の駅などにテークフリーの冊子が置かれている。(昨年の滋賀県は、東映時代劇映画「室町無頼」の滋賀県撮影マップを作成して道の駅などに置いていた。)

 京都や滋賀以外での撮影場所として、映画「国宝」で心に残るシーンの場所がいくつもある。喜久雄と俊介が、授業後に自転車で歌舞伎の練習に向かうシーン(桜の花が満開の校舎)は、大阪府東大阪市立日新高等学校。喜久雄と俊介が踊りの練習をする吊り橋は昭和4年(1929年)に架けられた玉手橋(大阪府柏原市/有形文化財)。

 岡山市にある豪邸の「矢吹邸」とその周囲では、花井家一門の自宅兼稽古場などとして設定され撮影が行われた。そして、大阪市十三にあるキャバレー「グランドサロン十三(じゅうそう)」。歌舞伎興行の成功を祝した宴会の舞台。喜久雄を追って長崎から上阪した春江(高畑充希)がホステスとして勤務するキャバレーとして設定されていた。

 こういうキャバレーは、かっては日本の都市にはたくさんあったが今はとても少なくなっている。京都市内でも何軒ものキャバレーがあった。最も有名なのが「べラミ」(三条大橋の近く)。ここで、山口組三代目・田岡一雄組長が狙撃された事件があった。

   四条大橋近くにあったキャバレーでは、私には思い出深い記憶がある。私の親友の一人は1970年代中頃に福井県立の高校の新米教員となつていたのだが、卒業式を終えた教え子たち数名(男子生徒)とともに3月下旬に京都観光に来ていて、私は彼らを夜の京都に案内することとなった。生徒たちはこのようなキャバレーに入るのは初めての経験でドギマギしている様子。ホステスさんが、生徒の一人の頬(ほほ)に突然にいたずらキスをした。そうしたら、しばらくしてその生徒は泣き出した。「僕にはガールフレンドがいるのに、他の女性からキスされてしまった。カール―フレンドに申し訳がない‥彼女を裏切ってしまった自分が許せない‥」と言ってオイオイ泣いていた。そんな純情な高校生も多かった昭和の時代‥。

 他に、兵庫県出石市の現存する芝居小屋なども映画のシーンに使われた。

 

 


映画「国宝」について➊—"素晴らしいものを見たなあ"と、思った‥

2025-07-27 15:21:23 | 滞在記

 作家・吉田修一の文学作品は6~7年前から読み始め、『さよなら渓谷』・『路(ルウ)』・『湖の女たち』・『悪人』・『怒り』など、彼の代表作のかなりを読んだが、今の日本で大きな話題の映画「国宝」の原作(吉田修一著)を読んだのは2023年の2月頃からだったかと思う。その『国宝』文庫本の上・下(青春篇・花道編)は今、中国のアパートにある。とにかくこの『国宝』は、読み終えるのがもったいないような書籍の一冊だった。それが今、映画化されて日本で実写邦画としては、空前の大ヒットしている。また、書籍も書店に特設コーナーが設けられている。

 6月28日に中国から日本に帰国して1週間後の7月上旬、妻が友人と二人で朝一番の映画「国宝」を京都市内に見に行った。家に帰ってきて彼女は、「国宝、よかったわ!!3時間の上映時間があっという間だったわ‥。映画が終わって丸善書店に行って『国宝』を買おうと思ったけど、購読者が多くて売り切れていたようだったわ‥」と話した。

 6月6日から公開が始まった映画「国宝」を、私は7月15日(火)の朝一番に京都市内の映画館に見に行った。やはり評判通りに素晴らしい映画だった。3時間もの上映時間は長くは感じなかった。主役の吉沢亮も横浜流星も、歌舞伎の女形(おやま)の演技力・舞踊力も、ここまでよう練習したな‥と思えた。また、田中泯の演技の老練さと凄み、映画の脇をかためる渡辺謙や寺島しのぶなどの演技も真に迫っていた。

 7月24日までの公開49日間で観客動員510万人、興行収入71.7億円を突破。東宝映画社によると、興行収入100億円突破を見込める推移だといい、本作は"社会現象"にもなっている感もある。原作は、作家の吉田修一が3年間にわたり歌舞伎の黒衣をまとい、楽屋に入った経験を血肉にし、4年の歳月をかけて書き上げた上下巻800ページを超える大作。任侠の一門に生まれながらも、歌舞伎役者の家に引き取られ、芸の道に人生をかける主人公・立花喜久雄の50年を描く。

 その原作を監督の李相日と俳優たちが、「ほんとうにこんな素晴らしい映画によう仕上げたもんやな‥」と思わせる大作となった。この映画国宝は、カンヌ映画祭(フランス)、上海国際映画祭(中国)でも上映され、大きな注目と反響をよんでいる。カナダのトロント国際映画祭にも出品・上映される予定。今年度のアカデミー賞の最有力候補作品となる可能性も高いようだ。

 この映画「国宝」の各場面はいったいどこで撮影されたものなのだろうか。京都の東宝映画撮影所を中心に、京都・関西の各所で撮影されたようだが‥。次回はその場所について記しておきたい。優れた映画を視聴すると、その撮影場所が気になり始めるものかと思う。また、優れた時代小説を読むと、描かれた場面の城跡など、その場所に行ってみたくもなる。


はたして、何が起きているのだろう!?❷—「祇園精舎の鐘の声 諸行無情の響きあり‥盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず‥‥。」

2025-07-25 08:55:39 | 滞在記

 中国の憲法とはどのようなものなのか‥。それを日本人にわかりやすく言えば次のようになる。「日本の大日本帝国憲法(明治憲法)での日本国の主権は"天皇"にある。そして、立法(国会)、行政(政府)、司法(裁判所)の三権は、この天皇を補佐するものであるとなっている。中国の憲法での国の主権は、この"天皇"を"中国共産党"と置き換えたものとなっている。だから、三権分立ではなく、あくまでも三権は中国共産党を補佐するものである。つまり、三権の上位に中国共産党がある。だから、立法も行政も司法も全ての判断と行為は中国共産党が行うこととなっている。」と‥。

 そして、「銃口から政権は生まれる」という中国の政治に関する言葉からしてもわかるが、中国人民解放軍(これは国防軍ではなく、中国共産党の軍である。)を事実上掌握している人物こそ、現代中国の最高権力者なのである。大日本帝国憲法では、この軍を事実上掌握する統帥権は天皇であった。

 7月20日に行われた日本の参院選挙で大躍進をした「参政党」が日本の国の憲法草案を作成し発表した。その草案は、「大日本帝国憲法」と現行の「日本国憲法」の中間的な内容だった。そこに、「国民主権」や「思想・表現の自由」などの明記はなく、どちらかと言えば明治憲法に近い感じがする。

 さて、中国で今、「はたして何が起きているのだろう!?」 現在、進行している中国の激しい政変は、2022年の第20回中国共産党大会での胡錦濤前国家主席・中国共産党総書記の強制退出という世界に衝撃を与えた出来事から始まっている。そして現在、「習主席の権力に歯止め—党指導部が新規定審議」(2025年7月8日配信)という状況にまでなっている。特に、中国人民解放軍を事実上掌握している人物が、大きく変動し始めたとの憶測。

 この中国の大政変の推移や現状に関して、日本の大手マスコミでは、新聞でもテレビでもほとんど報道されてこなかった。しかし、この7月上旬から中旬にかけて、ようやく日本のテレビ報道で特集番組として、私が知る限り3つの局から報道が行われた。まず報道したのは、TBSのBS報道番組「報道1930」。「習主席に何が"健康不安説"は本当か—BRICS会議を初めて欠席」「習主席に何が"権力闘争の渦中なのか"—軍事委員会 異例の4人体制に」などと題されて特集報道がされた。

 この「報道1930」には、コメンテーターとして小原凡司・松田康博・高橋哲史の三氏が出演していた。そして、台湾国防安全研究所の沈明室氏の見解を詳しく紹介していた。(※私は8月下旬に再び中国に戻る身なので、詳しくはここで紹介できないが‥‥。)

 また、同報道では台湾の政局についても、「台湾"リコール運動"中国はどう動くか」と題して報道していた。「国民党の立法委員を対象に—7/26・8/23に26人(国民党)のリコール提示へ—12人がリコール罷免されれば、頼清徳総統の与党・民進党が多数派となる」。

 続いて、ABC(朝日)地上波の報道番組「大下容子のワイドスクランブル」でも、「習近平国家主席の側近 粛清相次ぐ—権力集中を抑制か、新機関創設を審議」「中国 指導体制に変化の兆しか 習氏側近幹部の処分相次ぐ"変化の兆し"習近平体制に何が?」と題されて特集番組が報道された。アメリカの外交専門誌『ザ・ナショナルインタレスト』のブランドン・ワイチャート上級編集委員の見解や韓国の新聞「中央日報」などの見解を詳しく紹介していた。(※ここに詳しく紹介できないが‥)

 この報道番組には、コメンテーターとして阿古智子東京大学大学院教授が出演していた。他には、中室牧子慶応大学教授やジャーナリストの柳澤秀夫氏など。

 そして、BS11イレブンの「報道インサイドOUT」でも、「トランプ関税で中国経済減速 "一強"習政権は盤石か?」と題して特集報道が行われた。

 同番組てはコメンテーターとして近藤大介・高口康太の両氏が出演。中国は当面、世界に対する面子や国内統治のために、表面上はこれまでの習近平体制が続いているように当面は装うだろうとの見方が強くある。

 2012年より13年間が経過し、一強とされてきた習近平氏だが、その政権にも大きな変動が起きてきているようではある。日本の『平家物語』の冒頭にある文章のごときであるのかもしれない‥。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあわはす。おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし‥」が思い浮かぶ。

 世界も動く。7月18日付朝日新聞には、「BRICS ロシアと歩調—共同宣言でウクライナ側の反撃を批判」の見出し記事。BRICS加盟国の、中国・ロシア・インド・ブラジルなどの主要国がこの共同宣言に賛同したということは、インドもブラジルもそのようなものなのかと驚きもする。7月15日と16日付同紙には、「米国トランプ政権、対ロシア圧力への転換 ウクライナへのパトリオットミサイル供与明言」「対ロシア取引国に100%関税と トランプ氏停戦合意迫る」「強気のロシア"気にしない"—トランプ二次関税制裁下でも経済はプラス成長」などの見出し記事。

 今読んでいる中でとても興味深い二冊の著書。一冊は『21世紀の独裁—世界は新たなフェーズ(局面・段階)に入った』(舛添要一・佐藤優の両氏の対談)[祥伝社新書]。「独裁の中国・ロシア・トランプ"皇帝"のアメリカ、右傾化するヨーロッパ。日本の未来は?」と銘打たれた一冊。「時代の転換期によみがえった"20世紀の亡霊"」たち。日本のポピュリズム・参政党の伸張などについ考察するのに参考にもなる一冊だ。

 もう一冊は、『茜唄』(今村翔吾著)[ハルキ文庫上・下)。「直木賞作家・今村翔吾が魂を込めて描く、熱き血潮の流れる真・平家物語」。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。朗々とした唄、琵琶の音が闇夜に響く。何者かが男に伝える、二十余年の歳月を要して編み上げた物語。その名は—。平氏棟梁・平清盛が四男・知盛(とももり)。‥‥。」「歴史とは、勝者が紡ぐもの。では、何故(なぜ)『平家物語』は「敗者」の名が冠されているのか?作者不明の『平家物語』は誰が書き、何を託されたのか‥‥。」今村翔吾の歴史考察と筆が冴える一冊だ。

 習近平氏は後世の歴史家や文学者からはどう描写され描かれるだろうか‥。今回の中国での政変は、彼の家族史の現在そのものも生々しく描かれるかもしれない。ロシアのプーチンは、アメリカのトランプは‥。