まだまだ40℃近くの猛烈な暑さが続く8月上旬、6日からは秋雨前線の南下で日本の本州はようやく雨も降りそうな予報となっているので、「😥やれやれ‥ようやく‥」か‥。この1か月間、記録的な6月下旬の梅雨明けと猛暑、まとまった雨のなさで亜熱帯化した日本列島だった。8月3日の夕方、京都の自宅近くの水田の稲は、ちょうど中干(なかぼし)の時期になっているので田に水は張られていないが、水田の土(粘土)は極端な雨不足でひび割れている。今年の稲の収穫に影響がありそうだと心配にもなる。
中国の大学の夏休みで日本に帰国中、これまでに何人かの閩江大学の留学生や卒業生と京都市内の祇園や先斗町などで再会の乾杯をした。7月26日(土)の夜7時30分に京都南座前で待ち合わせたのが、閩江大学を卒業し、現在は大阪大学大学院の博士課程(日本の近世[江戸]文学と中国の近世文学の比較を研究)に在籍している任天楽君(中国山西省出身)。
彼と会うのは1年半ぶりになるだろうか。祇園の白川石畳の通りにある居酒屋「侘助(わびすけ)」に行き、つもる話をした。博士論文完成は来年2026年3月を目指しているとのこと。
任君と侘助を9時頃出て、祇園のスナックを2軒余りはしご、時刻は午前0時をとっくに廻っていた。任君は京都市内にアパートがあるので、任君とは八坂神社付近で別れた。そして私は、(かなり)久しぶりに八坂神社の石段山門(朱塗りの山門)の軒下で眠ることにした。ちょうど長い板が置かれていたのでベット代わりにして眠る。午前5時頃に目覚めたら空は明るくなっていた。京阪電鉄「祇園四条駅」の始発電車に乗り自宅には午前6時半頃に着いた。妻はこの日、早朝6時過ぎに自宅を出て、故郷の丹波山中・京都市京北町の実家に里帰りし、100歳の母親を午前9:0から予約していた「京北ブルーベリー園」に行ったので留守だった。私は昼過ぎまで、自宅のソファーで寝なし、ようやく体の疲れがとれた。もうすぐ73歳のこの身だが‥。まあ、年甲斐もなく‥である。
7月31日、閩江大学卒業生で現在は福建省福州市の日系企業で働いている王文重君から「今、日本に旅行に来ています。8月1日〜4日まで京都に泊まります。会食と乾杯したいのですが、先生の御都合はいかがですか。」との連絡が突然に入った。
そこで8月1日(金)の夜に会うこととなった。京都南座前で午後7時に待ち合わせ。南座前は浴衣姿の欧米系外国人が20人ほどもいたのには驚いた。王君はフィアンセの甘さんとの二人旅。鴨川沿いに100軒余りある「鴨川納涼床」も、たくさんの客でにぎわっていた。
まずは、四条大橋西詰にある中国料理の「東華菜館」の屋上テラスビアガーデンに行った。この建物は有名なアメリカの建築家であるヴォーリズの設計。エレベーターは日本最古のもので、エレベーターボーイとともに現役にして使われている。この屋上テラスから見える、鴨川、四条大橋、南座、八坂神社、東山連山が眼下に見える景色は素晴らしい。おそらく京都の夜景でここほど美しいビヤガーデンはないかと思われる。
清水寺や比叡山の夕暮れも望める。
次に高瀬川沿いの沖縄小料理店「海と空」に行き食事、祇園のスナックにも行って三人で歌った。夜も10時頃になったので、ここでお開き。私はこの日は京阪電車で自宅に戻った。王さんたちは烏丸御池にあるホテルに戻る。
昨日は夜も遅かったので、今日8月2日の一日は自宅でゆっくり過ごしたいと思っていたら、その日の昼前に「先生、私は今、京都の観光に来ています。明後日の4日には関西空港から中国に戻ります。今日か明日、夜に会って一緒に食事ができませんか」という連絡が突然に入った。この1年間、日本の広島大学との交換留学生として来日していた姚博厳君(閩江大学3回生/今年の9月から4回生)からの連絡だった。
2日(土)の午後7時に京都南座前で待ち合わせをしたが、最初、姚(よう)君だとは分からなかった。1年前には丸々としていた顔がスマートな顔に変貌していたからだ。その理由を聞いたら、「日本食のおかげです。日本食はヘルシーで健康的ですね‥」とのことだった。四条大橋から三条大橋まで続く鴨川沿いの「鴨川納涼2025」(8/2・3)は、日本の47都道府県の物産や食べ物店のテントが軒を連ねていた。中央ステージではさまざまな演目。人で溢れかえっていた。
そして、昨夜も行った沖縄小料理店の「海と空」へ。二人で乾杯しながら、好物の沖縄ラッキョウを食べる。姚君はまだ広島大学に残っている閩江大学からの交換留学生(2人の女子学生たちは8月中旬に中国に帰国するようだった。)とスマホ映像電話をし始め、私も彼女らとしばらく話した。二次会は高瀬川からすぐそばの、先斗町の「民謡カラオケ みちのく」へ向かう。午後8時頃の先斗町の通りは、外国人観光客でいっぱい。
「みちのく」で姚君は店のオーナー女性から三味線や日本の歌の練習をさせられることとなった。例えば、「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も‥」の歌を、まずは、オーナーの三味線に合わせて歌わされ、次にカラオケで歌わされるという具合。まあ、日本文化のいい経験にはなるだろうが‥。午後9時過ぎに姚君と別れ、私は京阪電車で自宅に向かい、姚君は京都駅近くのホテルに向かった。この3人の広島大学への留学生たちとは、今年の9月からの私の「日本文学作品選読」の授業を受講することとなる。
8月2日の昼過ぎに、1日に会った王文重君から、「先生、明日3日の午前中、京都丹波地方にある"瑠璃渓(るりけい)に、車で案内してもらえないでしょうか」、との連絡があった。3日の午前6時30分に自宅を出て、午前7時30分に彼らが泊まっている京都市内のホテル前に到着。二人を乗せて瑠璃渓に向かう。丹波縦貫高速道路なども使い1時間半ほどで瑠璃渓に着いた。
今年の瑠璃渓は雨の少なさもあり水量はやや少ないようだが、暑い京都観光の行先としては涼がとれる。
瑠璃渓谷の遊歩道の入り口付近で彼ら二人だけで遊歩道を行くことを勧めた。渓谷の遊歩道は約4kmで、1時間余りで通天湖に到着できる。私は、1時間後に渓流遊歩道の最終地点付近の車道で彼らと待ち合わせ合流することにした。彼らは渓流美と涼しさを体感したようだった。通天湖では貸カヌーに乗る観光客たちもいた。ここ琉璃渓には温泉や宿泊施設なども充実している。瑠璃渓谷高原の喫茶店に立ち寄り一服した。ここの「柚ジュース」は特別に美味しかった。丹波の山々の栗の実が少し大きくなり始め、イチジクの実も少し大きくなり始めていた。(「瑠璃渓谷」は、京都府と大阪府と兵庫県の三つの府県が交わるあたりにある。)
京都市内の宿泊ホテルに帰る途中、「今泊っているホテルの値段は?」と聞いたら、「一泊1万円です。二人で1万円なので、4泊で、二人で4万円と安いです」とのこと。新しくできたきれいなホテルで、場所も四条御池なので地下鉄駅もあり交通の便もけっこう良いのにこの値段とは驚いた。
彼ら2人は、明日5日に関西空港から中国に戻る予定だ。連続した8月1日からの中国人たちとのハードな夜と昼の3日間がようやく終わった。