多文化共生なTOYAMA

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災害時における避難所運営の難しさ

2018-09-13 16:16:22 | ダイバーシティ
今日はこちらのページをご紹介します。
人道的な避難所設営と運営を」というNHK解説委員室のページになります。
2018年06月25日 (月)の記事になります。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/299804.html

まずはエキスとなる部分を抜粋してみます。
-----ここから-----
国連は紛争や災害後であっても被災者や難民が人間的に安全に生活できる権利があることを明確に認めています。
これを実現するため国際赤十字や人道援助を行っている世界中のNGOが集まって1997年より地球規模で行うという意味で、スフィアプロジェクトという活動が開始されました。スフィアプロジェクトでは人道的な避難所運営のための行動理念と基準そして場所・物資などについての最低基準を明文化しました。
この避難所の最低基準がスフィア基準と言われているものです。これは発展途上国を含めた全世界の災害被災者および難民の人権を守るための最低基準です。
しかし日本の避難所ではその基準を満たしていないものがたくさんあるのです。
-----ここまで-----

と、ここからは日本の災害時における避難所でのトイレの設置基準が引用され、日本政府はもっと深く理解し、反省して改善すべきとしています。
こちらの衝撃的な写真が掲載されており、日本の避難所は85年前と同じ景色と紹介されています。
いつの間にか、私たちの意識の中に、災害時の避難所は「劣悪な環境」であることが当たり前と刷り込まれているようです。

日本の避難所の設営、運営が基礎自治体である市区町村に任されている一方で、イタリアでは1980年のイルピニア地震を受けて、自治体中心の災害対策から市民保護の国家機関を設立し、国が直接関与する体制に移行させたことや、アメリカでは国土保障省や緊急事態管理庁FEMA、英国には国土安全保障省、EU諸国にも市民保護省があります。
一方で、日本ではかつて、寺田寅彦(東京帝国大学の物理学者で東大地震研究所所にも所属)が、昭和初期から災害、天災は国難であって、国防と災害対策は国が行うべきと主張されていたことも紹介されています。
ということで、「日本政府はもっと深く理解し、反省して改善すべき」ということに再びつながっていくわけです。

そして、2009年に発生したイタリアのラクイラ地震では仮設トイレが発災当日に届き、暖かい夕食が当日夜に供与されたことを例にあげ、この理由を3つ明示しています。

(1)法律で避難所には48時間以内にテントやベッド、仮設トイレや食堂などを準備し提供しなければならないことが明記してあること
(2)支援物資が大量に備蓄されていること。このための大きな備蓄倉庫が各州にあり、さらにボランティア団体にも備蓄倉庫があること
(3)災害支援物資を運搬・配布する職能支援者が多数いること

国が先導しているからこそ実現可能ということです。
このことを受けて、日本の避難所環境改善のために必要なこととして、次の2つのことを提言しています。

(1)災害救助法など災害関連法の見直しと改訂
(2)職能支援者組織の構築と国による統括

1つめの理由は明確です。国主導へと法改正を行っていくことです。必要な備蓄や仮設トイレや簡易ベッドの数を明文化することで、48時間以内に必要な設備を整えていくことになります。

2つめには、日本では聞きなれない「職能支援者」という単語が出てきます。
こちらについて、少し詳しく触れています。

-----ここから-----
職能支援者とは職業を持った一般住民です。災害支援活動を希望して、あらかじめ災害時の対応訓練を受けてから国に登録している人々です。職能支援者は被災地で自らの職業を行います。たとえばコックさんは料理を作る、運転手はトラックを運転するなどです。また職能支援者には被災地までの交通費が国から支払わられ、日当も支給される場合があります。さらにイタリアでは登録している職能支援者に被災地へ行くように連絡があった場合には、雇用者はそれを拒否できない法律もあります。このようにしてイタリアでは災害時に支援する300万人近い登録された職能支援者がいます。
日本でもこのような仕組みが早急に必要です。なぜなら首都直下地震や南海トラフ地震などでは圧倒的に災害支援者が不足するからです。熊本地震と同じだけの支援を行おうとすると警察・消防だけでも400万人以上必要という試算もあり公務員だけでは現実的に不可能です。
-----ここまで-----

災害時の現場を見ていると、すべての避難所に公務員が張り付いていないという現実もあります。学校の教員が自主的に避難所運営を手伝っている例もありました。
また、必ずといっていいほど、他の自治体から公務員が派遣され、場合によっては、かなり長期的に派遣され続けているという例もあります。
明らかに、基礎自治体だけで災害時対応していくことは、とても不可能であることは、すでに自明のことです。

最後に、避難所運営についての人道的配慮について触れられています。

-----ここから------
最後に避難所の運営側への人道的配慮について考えたいと思います。日本では家族が行方不明になるなかで公務員が住民のために無理して働くことが美談とされているところがあります。しかしこれは被災地の公務員も一人の被災者であると考えた場合に人道的に許されることなのでしょうか。家族を気遣い、行方不明の家族を探すことを認める人道的な配慮が必要なのではないでしょうか。残念ながら日本で今の災害対策を続ける限りこのようなことは続くと思われます。イタリアでは前述したように国が中心となって被災地以外から市民保護省と職能支援者が来て避難所を設営し運営します。もちろん被災地の公務員も協力しますが、日本のように被災地の公務員が中心になって避難所運営することはあり得ません。
-----ここまで-----

この記事では、法を改正して国に災害対策専門省庁を設置すること、職能支援者組織の構築が、人道的な避難所運営の唯一の方法とまとめています。
ただ、私はそれにはもっと根深い背景があると考えています。
国民所得と国民負担率、社会保障制度、行政の肥大化と国民の行政に対する無関心、地域住民同士やボランティア活動の低調など、さまざまな問題が、ほどけることなく複雑に絡み合っていると考えられます。
国に災害対策専門省庁を設置することは必要でしょうが、現状のままだと、国に丸投げして、すべての責任は国に押し付けられるでしょう。職能支援組織もすぐに機能するとは考えにくいです。