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外国人社員にはキツい「関西弁」

2013-10-09 10:14:05 | 多文化共生
言語に着目していては多文化共生が進まないというわかりやすい記事。

(以下、SankeiBIZ新聞から転載)
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外国人社員にはキツい「関西弁」 理解不能なツッコミで誤解招くリスク
2013.10.9 06:00

大和ハウス工業人事部では、ラトビア出身のアンティポヴァ・ダナさん(左)と、西村昇主任が熱心にコミュニケーションをとる=大阪市北区【拡大】

 その関西弁、外国人社員に正しく伝わっていますか?-。クボタやパナソニックなど、関西に本社拠点を置く企業が共同で、関西企業向けの外国人社員受け入れマニュアル作成に取り組んでいる。標準語の日本語を学んだ外国人に関西弁の意味やニュアンスは理解されにくく、ミスコミュニケーションにつながりかねないためだ。だが、生粋の関西人に標準語で仕事をしろというのも酷な話。マニュアルで、両者の距離はどこまで縮められるか…?

 「お前、何しとんねん。ともかく、やる気やで!人間ガッツが大事やさかいに!」

 「?…す、すみません…」

 とある関西の企業。ミスをした外国人社員を日本人上司が元気づけようとかけた言葉に、その外国人社員は縮み上がった。関西弁の微妙なニュアンスが分からず、「ひどく叱られた」と感じてしまったのだ。

 日本人上司としては、ミスを正面から責めるのでなく、軽い調子でミスについて触れたつもりの「何しとんねん」は、「何ということをしたのか」という非難に。「頑張れば何とかなるから大丈夫」、と励まそうとした「やる気やで!人間ガッツが大事やさかいに」は、「やろうという意欲がないからダメなんだ」というだめ押しに聞こえたのだ。

 関西人が親しみをこめていう「アホか」や、「なんでやねん」という独特の突っ込みも、外国人には理解不能だ。冗談ではなく、こうした積み重ねによって関西企業では今、日本人上司と外国人社員の間でのミスコミュニケーションが急増。「十分な能力が発揮されていない」など、深刻な問題となっている。

 こうした事態に、クボタやパナソニックなど関西企業5社が立ち上がった。平成23年には日本人上司と外国人社員255人にアンケートを実施。外国人社員の96%は自分のキャリアビジョンを持っているが、それを知っている日本人上司は72%にとどまるなど、「両者の間にコミュニケーション上の問題などがあることがわかった」(クボタの担当者)という。

 5社は24年から共通のマニュアルづくりに着手。現在はクボタとパナソニックのほか、大和ハウス工業、シャープ、武田薬品工業、川崎重工業、田辺三菱製薬の計7社で作業を進めており、素案も完成した。同様のマニュアルは東京のシンクタンクなども作成しているが、7社では関西企業向けにさまざまな工夫を凝らしている。

 マニュアルでは、外国人社員の活躍には普段からの密なコミュニケーションが大切と指摘。「何しとんねん」と上司に言われて縮み上がった外国人社員の例を挙げ、方言やカタカナ言葉、慣用句ではなく、「わかりやすく前向きなアドバイスを」とアドバイスしている。

 このほか、「時間厳守、5分前集合」や、会ったことがない相手にも「お世話になっております」で始まる挨拶文など、日本独特のビジネスマナーも「指導、都度確認が必要」と指摘。宴会での座席や女性へのお酌要求も「パワハラと受け止められる」など、注意を呼びかけている。

 マニュアル作成を進めている7社は、外国人や女性、障害を持つ人が気持ちよく働ける組織について考える「ダイバーシティ西日本勉強会」のメンバー。いずれも外国人の採用に力を入れており、パナソニックでは、平成12年に35人だった国内採用の外国人社員が現在は約300人に増えている。

 クボタも21年から外国人の国内採用を開始し、中国人や韓国人ら約50人が働く。現在は、「新卒採用の10%は外国人に」との方針で、外国人社員への対応は社全体の課題だ。

 ただ、このマニュアルは日本人の上司が配慮すべき点をまとめたもので、外国人社員自身がどうすべきかは書かれていない。ある業界関係者は、「『郷に入っては郷に従え』という言葉があるように、外国人社員が“日本流”の理解を深めるよう意識づけを促すことも重要だ」と話している。(中村智隆)

介護での外国人の積極活用を求める声も

2013-10-09 10:13:37 | 多文化共生
(以下、CBnewsから転載)
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介護での外国人の積極活用を求める声も- 人材不足懸念し、厚労省の事業者懇談会で

 厚生労働省の老人保健健康増進等事業として行われる「介護人材確保の推進に関する調査研究」の介護事業者懇談会が8日に開かれ、事業者の代表者らへのヒアリングが行われた。事業者からは、2025年までに約100万人の介護人材の確保が必要と推計されている点を不安視する声が続出。外国人労働者の積極活用を求める声も上がった。


「介護人材確保の推進に関する調査研究」の介護事業者懇談会(8日、東京都内)  ヒアリングには、特別養護老人ホームや介護老人保健施設、認知症グループホーム、有料老人ホームなどの事業者団体の代表者や、介護福祉士やホームヘルパーの団体の代表者が参加した。

 日本介護福祉士会の石橋真二会長は、人材確保を容易にするために「介護の仕事を魅力あるものにする必要がある」と主張。具体的には、介護福祉士の上位資格である認定介護福祉士の導入などキャリアアップ制度の確立と、さらなる処遇改善の実現が必要とした。また、全国老人福祉施設協議会(全国老施協)の介護人材対策委員会で幹事を務める河原至誓氏は、「3年以上同じ職場で働いた人は、あまり離職しない傾向がある」と指摘。3年以上同じ職場で働き続けられる環境を創出する必要があるとする一方、「離職率が低いことが、良い介護や良い職場環境を実現していると捉えていいのか」と疑問を呈した。

 全国特定施設事業者協議会の国政貴美子副代表理事は、2025年までに新たに約100万人の介護人材が必要とされている点について、「産業構造を変えない限り実現できない」と指摘。介護を他産業より魅力ある存在とする努力と同時に、外国人を積極活用する取り組みが必要とした。全国老施協の河原氏や、橋本正明委員(至誠学舎立川 常務理事)も、外国人の積極活用の必要性を訴えた。

 これに対し、藤井賢一郎委員(上智大准教授)は、今の状況のまま、外国人を受け入れれば、「介護は大変な仕事というイメージにならざるをえない」と指摘。また、介護職の処遇改善を実現する上でも、介護福祉士の資格取得の要件をより厳しくする必要があると訴えた。

? 「介護人材確保の推進に関する調査研究事業」は、介護現場の魅力を向上させるための課題を探るとともに、介護事業に対する社会的評価の改善に向けた方策を検討することを目的としている。既に同事業の検討委員会では、人材確保のための論点として、▽介護福祉分野の養成施設以外の学生らの採用推進▽共同採用などを行う複数の事業所によるユニット形成の促進▽離職率に着目した事業内容の見える化・差別化―などを提示している。【ただ正芳】

「日系人の生活安定が大事」=厚労省・堀井課長が来伯

2013-10-09 10:13:09 | 多文化共生
(以下、ニッケイ新聞から転載)
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日系社会ニュース

ニッケイ新聞 2013年10月8日

「日系人の生活安定が大事」=厚労省・堀井課長が来伯=雇用情勢、対策を説明
 厚生労働省職業安定局・外国人雇用対策課の堀井奈津子課長がCIATE(国外就労者情報援護センター)主催のコラボラドーレス会議に参加するため来伯し、9月27日午前に記者会見を行い、在日日系人の雇用状況や日本政府の対策について概略を説明した。帰国支援を受けた人の再入国を10月15日から条件付きで許可されたことにも触れた堀井課長は、「せっかく来ても、仕事がなく行ったり来たりになっては意味がない。安定した生活を確保してもらうことが大事。そのためにもリアルな雇用状況を伝え、情報提供に努めたい」と話した。
 堀井課長によれば、日本での今年7月時点での有効求人倍率は、過去最低の0・42倍だった09年8月から0・94倍に回復、完全失業率は3・8%と下がってきていることから、現在の雇用情勢は「一部に厳しさが見られるものの改善が進んでいる」という。
 南米国籍の在留者数は減少傾向にある。伯人に関しては07年から12年の間に約12万6千人減少したが、在留者の求職活動は「苦戦を強いられている状態」。経済の持ち直しで短期の就労は戻ってきているものの、不安定雇用の構造は変わっていないという。
 近年の日系人の新規求職者、相談件数はともに増加傾向で、08年8月と今年7月を比較すると求職者数は約1・5倍、相談件数は約3・6倍に増えている。派遣や請負での就労は景気や雇用情勢の影響を受けやすく、2011年11月から1年間の離職率は34・9%に上った。堀井課長は「相談件数が多いのは、短期で就労を繰り返しているからでは」と分析する。
 「日系人の希望する賃金の水準は高い」(堀井課長)。外国人でも日本語能力が高い求職者が好まれる傾向が強くなる中、日本人並みの賃金を求めるなら日本語も職業スキルも日本人を凌ぐものが必須だ。
 日系人への雇用対策としてはハローワークに通訳・相談員を設置し、今年度はその数116カ所、外国人専門員は97人に増えたが、09年から実施する就労準備研修については「財政が厳しい」(堀井課長)ため年々受講者の人数は減り、初年度は6300人だったが、今年度計画では半数以下の2800人規模となっている。

年金制度は手厚い日本 それでも高齢者貧困率が高いのはなぜ?

2013-10-09 10:12:31 | ダイバーシティ
(以下、THE HUFFINGTON POSTから転載)
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年金制度は手厚い日本 それでも高齢者貧困率が高いのはなぜ?

日本は立派な?年金制度があるのに高齢者貧困率が高いのはなぜか?

国際連合は10月1日、高齢者の生活水準に関する国際比較調査の結果を発表した。日本は総合ランキング10位となっているのだが、調査結果は日本の社会保障政策の課題を浮き彫りにしており非常に興味深い。この手の国際比較ランキングは、指標のウェイトの置き方によって結果が大きく変わるので、総合ランキングの結果について議論することにはあまり意味がない。だが個別の指標については、各国の状況を如実に表しているものが多く参考になる。

調査によると日本の年金のカバー率は先進諸国の中でもかなり高い。この統計では65歳を基準値にしているので、65歳以下でも年金が支給される場合にはカバー率が100%を超える。日本は127.6%となっており、先進諸国ではフランスについて高い。諸外国は支給開始年齢が65歳以上のところが多いので、少なくともこれまでは日本はかなり恵まれていたといえる(ただし、今後は支給開始年齢が上がっていく)。

だが手厚い年金とは裏腹に、日本は高齢者の貧困率が極めて高いという特徴がある。ドイツや英国の高齢者の貧困率は10%だが日本は20%と倍以上の貧困率の高さとなっている。これは先進国ではもっとも貧富の差が激しい米国(23%)に近い水準だ。

実は日本の貧困率の高さは高齢者に限ったことではない。OECDの調査によれば、日本全体の相対的貧困率は、欧州の約2倍で、やはり米国に近い同水準だ。米国は一部を除いて公的な医療保険や年金制度がないことを考えると日本の貧困率の高さはかなり異常といってよい(米国はオバマケアによって10月1日から皆保険制度が始まったが、状況は依然不透明)。

そうなっている理由は、日本の年金制度と労働市場にある。日本は保険料を個人負担できない場合は一切年金を受け取ることができないシステムになっている。若い時に貧困状態にあると保険料を納めることができず、結果的に年金も受け取ることができないため貧困が永久に継続する。これをカバーする制度は基本的に生活保護しかない。

これに拍車をかけているのが日本の労働市場の硬直性だ。日本の場合、新卒時の就職環境で生涯年収がほぼ決まってしまう。途中で人材が入れ替わる可能性はほとんどなく、最初で失敗した人は、永久にチャンスがない。これは事実上の身分制度といってよい。

日本は所得の再分配機能が充実しているといわれるが、実はそうではない。富裕層から中間層に対する所得の再分配機能は強力だが、それ以下の層にはほとんどお金が回らない仕組みになっている。年金の問題は世代間格差が議論の対象となっているが、実は世代内格差も深刻な状況にある。社会保障制度改革を実施するにあたっては、世代内格差をどう処理するのかについても議論しないと、抜本的な解決にはならない可能性が高い。

日本には米国型の自由競争主義を否定する意見が多い。つまり日本人の多くは結果の平等を強く求めているということなのだが、現実に結果の平等は達成できていない。日本の所得分配機能はうまく機能していないのである。日本には突出した富裕層がいないことを考えると、富は中間層にのみ集中している可能性が高い。もし結果の平等を求めるのであれば、中間層に集中している富を低所得者層にもっと分配していく必要があるだろう。

ちなみに同調査では、高齢者における人生の選択肢に関する満足度は、他の先進国に比べてかなり低い。先進諸国が軒並み90%近くの満足度になっているにも関わらず、日本は71%となっており、これは中国(79%)より低く、なんと韓国(67%)に近い水準である。両国の社会が日本よりずっと息苦しいというのはこれまでの常識だったが、状況は必ずしもそうではないらしい。

日本の社会保障政策は、結果的に米国型市場原理主義と社会福祉型政策のいいとこ取りになってしまっている。高度成長時代にはその矛盾が露呈することはなかったが、経済力が落ちた今、これらが一気に顕在化しており、多くの人にとって不満足な状況となっている。

日本社会が今、大きな曲がり角に来ていることは誰もが認識している。日本は、個人の自由を最優先にした自由競争社会を望むのか、結果の平等を重視した福祉型社会の望むのか、もう一度真剣に考え直すべき時が来ている。

もし福祉型社会を望むのであれば、中間層から低所得者層への所得分配は必須となるだろう。逆に自由競争社会を望むのであれば、経済のドライバー役が期待される高所得者に対しては社会としてもっと優遇しなければならない。日本が平等な社会であったというのは幻想であり、それにしがみついている余裕はもうないのだ。