収穫
2020-10-01 | 日記
十月です。
田畑は黄金色に変わり、収穫の季節をむ迎えました。
北海道のお米は品種改良の積み重ねで、今や全国的に有名になりました。
農業者の長い努力が実りましたね。
お米といえば、2500年ほど前に大陸からドッと大挙して来た、向こうの人たちが
持ち込んだものとなっています。
そして先住の縄文人と仲良くなって、しだいに列島の東へ北へと伝播していったとさ
れています。
それが弥生時代のはじまりで~す。と誰もが信じています。
だからどうしても、高い文化を運んできた渡来人が偉い人、先住の縄文人は偉くない
人との印象があります。
へたすれば、渡来人はきれいな服を着て、上品な生活をする人。縄文人は毛皮のパン
ツで石斧を振りかざして、動物を追いかける人。こんなイメージさえあります。
しかし、若い学者のなかには、函館の「垣ノ島遺跡」から9000年前の漆塗の副葬
品(現在世界最古)が出土していることなどから、当時列島にも高度な文化があった
と考える人が少なからずいます。
そんななかで、岡山の南溝手遺跡から、3500年前に作られた土器で籾の痕がつい
ているものが出土したのです。
これは大変なことです。古代の歴史が変わるのですから。
しかし、偉い学者たちは、わが国の縄文時代に稲作があったなどとは、認めたくあり
ません。自分たちの沽券に関わるからです。
最近の科学は、炭素年代測定法とDNA鑑定法を組み合わせることで、古代遺跡の出土
品のかなり正確な制作年代と、産地や成分を特定することができるようになりました。
そんなことから、国立歴史民俗博物館は「日本の水田耕作は3000年以前から開始
されていた」と認めました。
さらに焼き畑の陸稲栽培となったら、もっともっとさかのぼっていくのでしょう。
ごく最近も、熊本の大矢遺跡から、縄文中期(5000~4000年前)の土器に
稲籾の痕が見つかっています。
それじゃ、いままでのお話は全部作り話だったのですか? 本当はどんなだったの
ですか? そもそも、稲はどこからどんなふうに伝わったのですか? さては、日
本人はどこからきたのですか? 貴人たちとはどこの人なのですか?
さまざまな疑問と妄想が駆け巡ります。
最近の道南ではお米だけではなく、清酒の新規醸造所も計画されています。
また、新しいワイナリーのための葡萄栽培も始まりました。
収穫の秋が楽しみです。