昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

東祖谷の古民家「小釆家住宅」

2008年12月21日 | 四国の旅
剣山を下山して、祖谷地方の見物に行きました。

見の越から祖谷川に沿って国道439号線を西に走り、「奥祖谷二重かずら橋」へ立ち寄りました。

急な坂の入口にあった料金所の案内表示で、「かずら橋まで150m」とあり、登山で痛んだ足の状態を考えて、パスしました。

次に、三好市東祖谷菅生[ひがしいやすげおい]の小釆家[こうね]住宅へ行きました。



国道439号線沿いの東祖谷菅生の祖谷川に架かる橋を南に渡り、北向きの斜面を西に登って行くと「いやしの温泉郷」の駐車場があり、「小釆家住宅」は、そのすぐ近くにありました。

他に見学者はなく、ちょっとさみしい見学でしたが、高地の東祖谷の古い民家の様子がよく分かりました。

■「小釆家住宅」の案内板があり、転記します。
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重文、小釆家住宅について
                        昭和51年○月○日
旧小釆家住宅は、徳島県西部剣山地祖谷山に所在していた小規模な山村農家で、当村栗枝渡名の急斜面の山腹を切り開いた小台地に東面して建っていました。
かって天保の年号をもつ棟札があったといい当時新しく発達した構造手法が用いられている他、間取りは素朴であり、祖谷地方の民家を知るうえで好個の資料になるものとして昭和51年文化財保護法により重要文化財に指定されました。
???改造を受けて今日まで維持されてきたものの、破損甚だしく、所有者の維持管理が困難になったため昭和56年に東祖谷山村が買い上げ公有化していたものです。
このたび今後の併存活用をはかる目的で県ならびに文化庁の指導を受けて、同村菅生、青少年旅行村構内へ移築しました。
修理事業の総額費用4,200万円で、ならびに県から多額の補助金をうけ、昭和57年7月着工、工期14か月を要して昭和58年8月滞りなく完了しました。
今回の修理では創建当初の姿に復元したもので、往時を偲ぶ建物の再現を見るに至りました。
この文化財を広く世に紹介するとともに後世に伝える貴重な資料として各会界に利すること多きを期待するものです。

昭和58年8月
東祖谷山村教育委員会
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???の文字は、説明板の黒くなった部分で、読めませんでした。



建物の西側です。

藁葺き屋根は、青いビニールシートに覆われて痛々しさを感じます。

地方公共団体が赤字に悩む時代、藁葺き屋根を維持することは困難となっているようです。



建物の裏、南側です。



建物の東側です。

西側と同様、こちら側にも窓などなく、壁を竹で覆った素朴な建物でした。



北向きの斜面に建つ家の正面の様子です。

近くの国道沿いにカカシの人形がならぶ集落があり、そこにあった人形に似ています。
縁側は、太い木で剛健に造られているようです。

縁側に人形が二体置かれています。
近くの国道沿いによく似た人形がたくさん並ぶ集落があり、同じ人たちが作ったものではないかと思われます。



便所の西にある玄関を入ると土間があり、台所と、食事をする座敷がありました。

正面の座敷の上にも小さな釜戸がありますが、向かって左に大きな釜戸が並んでいました。



竹を敷き詰めた座敷です。

竹を敷き詰めた古民家は、沖縄地方の古民家で見たことがありますが、まさかここで見るとは意外でした。



台所側から見た囲炉裏のあるメインの部屋です。

天井がなく、屋根の下にある大きな梁が印象的でした。

天井のない藁葺き屋根は、なんとなく竪穴式住居を連想します。

竪穴式住居は、約1万2千年前の縄文時代初めころから平安時代末期頃まで造られ、その後掘立柱建物に変って行った歴史があります。

現代の基礎の上に立てる建物の歴史は、日本の長い歴史から見ると実に短いものと感じます。



正面から見た部屋の様子です。

台所との間の引き戸の上には壁がありません。

高地の急斜面での農業は、平地と比較して労働生産性も低く、住いの整備もこれが精一杯だったものと考えられます。

この建物から地方の人々が、厳しい自然に生き延びてきた苦労を感じます。



玄関脇の便所で、ここも竹の床です。

床の下には大きな木の樽が土に埋められていました。

大便も仕切りのない場所でしていたのでしょうか。



祖谷川を挟んだ対岸の景色です。

対岸が近くに見えて、間の谷が深い感じは受けません。


次の地図の等高線を見ると谷底が標高700m、小釆家住宅付近が780mで、谷から80mの標高差があります。

地図に「いやしの温泉郷」から「奥祖谷観光周遊モノレール」があり、標高1385m付近まで登って帰るようです。