写真上は、「枚聞神社」(ひらききじんじゃ)を入口からとったもので、上に「開聞岳」が見えます。
「開聞岳」は、古くは「ひらきき岳」と呼ばれ、「枚聞神社」は、「開聞岳」を神体山とすることが知られています。
古代、遥拝所であった場所に建物が建てられ、神社に発展したものと推察しています。(霧島市上野原遺跡の祭礼場所と思われる遺跡を連想します)
「枚聞神社」は、薩摩国一の宮で、案内板によると祭神は「枚聞神一座」とあり、「神社由緒記に大日孁貴命(天照大神)を正祀とし他に皇祖神を併せ祀る」とあります。
鹿児島湾の入口にあり、航行の目安になる「開聞岳」の「開聞」の名は「海門」の意味もあるようで、航海安全・漁業守護の神さまとして厚い信仰を受けているようです。
写真中段は、拝殿の正面で、朱漆塗・黒漆塗・金の菊のご紋・独特のしめ縄などがあり、華やかさの中にも厳粛さを感じさせる建物でした。
写真下は、毎年10月15日に開催される「ほぜ祭り」のテントや、その左に相撲の土俵ですが、1週間前の状況です。「ほぜ祭り」鹿児島県内各地で行われる秋祭りで、「ほぜ」とは、豊饒の意味だそうです。
「開聞岳」は、古くは「ひらきき岳」と呼ばれ、「枚聞神社」は、「開聞岳」を神体山とすることが知られています。
古代、遥拝所であった場所に建物が建てられ、神社に発展したものと推察しています。(霧島市上野原遺跡の祭礼場所と思われる遺跡を連想します)
「枚聞神社」は、薩摩国一の宮で、案内板によると祭神は「枚聞神一座」とあり、「神社由緒記に大日孁貴命(天照大神)を正祀とし他に皇祖神を併せ祀る」とあります。
鹿児島湾の入口にあり、航行の目安になる「開聞岳」の「開聞」の名は「海門」の意味もあるようで、航海安全・漁業守護の神さまとして厚い信仰を受けているようです。
写真中段は、拝殿の正面で、朱漆塗・黒漆塗・金の菊のご紋・独特のしめ縄などがあり、華やかさの中にも厳粛さを感じさせる建物でした。
写真下は、毎年10月15日に開催される「ほぜ祭り」のテントや、その左に相撲の土俵ですが、1週間前の状況です。「ほぜ祭り」鹿児島県内各地で行われる秋祭りで、「ほぜ」とは、豊饒の意味だそうです。